2015年10月6日火曜日

 アイドルとナルシズムについて


<アイドルの「恋愛禁止」裁判 (上)>
驚くべき「判決」が出された。
訴えられたのは、17歳の少女。
訴えたのは、この少女が働くマネジメント会社。
この少女は、いわゆるアイドルと称されるグル―プの一員である。


◆ アイドルメンバーの女の子に、賠償金の支払いを命じた

共同通信が、次のような記事を掲載した。(9月19日)

アイドルグループのメンバーだった女性(17)が異性との交際を禁じた規約に違反したとして、マネジメント会社などが女性に損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は18日、「交際発覚はアイドルのイメージを悪化させる」と規約違反を認め、65万円の支払いを命じた。
賠償額は、65万円であり、それほど多額な金額であるとは、思えない。だが、この「事件」自体は、今の日本の世相をよく反映するものになっている、と思う。そこで、詳しく検討をしてみたい。


◆ アイドルのなかに、自分の姿を観ようとする「追っかけ」たち

その前に、アイドルと、ナルシズム(=ナルシシズムともいわれる)について、見ておきたい。

それを補助線にして、「アイドルに恋愛の禁止」を強制することが許されるのか。
先進国での殺人事件、とくに「尊属殺人」。世界中で起こっている「民族紛争、極地戦争」などについて、考えてみたい。

まずは、アイドルとはどんな存在であるのかを、観てみる。
ロケット博士で有名な、糸川英夫博士も著書の引用から始めたい。
≪アイドルというのは、それに対する崇拝者がいて成り立つ概念である。最近の言葉でいえば「追っかけ」という存在である。・・・若い高校生ぐらいの女の子が、エレベーター前をぎっしりと埋めて、タレントが出てくるのを待っていて、その熱気は恐ろしくなるほどである。
こういう熱狂的な追っかけの背後にそれの何万倍にもなるテレビの視聴者がいるわけである。それを見張るスポンサーがいるわけである。アイドルに払われる億単位のCM出演料は、実はその視聴者たちを獲得するために払われているのである。これがE3商品(「ぜいたく品」と考えてもよい)のひとつであるアイドル経済の基本的論理である。・・・・
「アイドルの崇拝者たちは自分をアイドルと同一化している」つまり追っかけたちは、アイドルのなかに自分の姿を観ようとしているというのである。≫

◆ 自己以外を愛せないものは他人を愛せない

「ナルシスの伝説」というものがある。
それは次のようなものである。

ナルシスという美少年が自分の顔に見とれて、自分を愛してくれた女性を見向きもせずに、冷たくあしらった。それを観た「神様」が、ナルシスに呪いをかけたので、彼の足に根が生えて、ナルシスは水仙になった。

この故事を引いて、糸川博士は、次のように書いている。
≪このギリシャ神話の言わんとするのは、自分だけを愛することは自殺行為だということである。他人を愛するのが人間の本来の姿なのに、自分しか愛せないものは他人を愛せない。それは許されないことだというのである。・・・
アイドルと自分を同化してしまうことは、鏡に映った自分の顔に陶酔するナルシスト同じである。そして、ナルシスの危険は自分以外の人間を愛せなくなることである。
マスメディアの発達、その中で作られた多くのアイドルたち、そのアイドルを自分と同一視する追っかけを含む大勢のアイドル崇拝者たち。彼らの中で育っているナルシズム。
これが多くの国々の人々の心の中に、自分以外の他人を愛せない傾向をつくり上げているのではないか。それが筆者の心配である。
・・・・・・
 さらに、このような民族・部族間紛争だけでなく、先進国の殺人事件の激増にも、このアイドル経済化が関係していると思われる。人の命を簡単に奪う殺人は他人を愛さず、自分だけを愛しているからこそできる。≫(『人類生存の大法則』 徳間書店 1995年)

   「ナルシスの伝説」が示すもの・・・過度な「自己陶酔」による、自己愛

ところで、アイドルと呼ばれる人々派、ナルシストなのであろうか。彼ら、彼女らは、ナルシスのように「自分自身を愛している」のであろうか。

私には、そうは思えないのである。
自分を大切にするのであれば、自分の「人生のすべて」を「相手に売り渡してしまう」ということなど出来ない、と思うのだ。

アイドルになるということは、その時点で、「自分を”喪失”する」ということではないか、と思うのである。それは、「自己陶酔」に浸る世界とは、ほど遠いものだろう。

同じ理由から、「追っかけ」と呼ばれる人々も、「自分を失っている」存在である、と思える。アイドルに自分を重ね合わせることは、自分の人格を放棄するにも等しい行為である、と思うからだ。

そう考えると、アイドルも、「アイドルの崇拝者」も、ともに、「自分を見失った」人々であり、個人の自覚に欠ける人々である、ということが出来るだろう。


 次回は、アイドルと恋愛の自由、「恋愛禁止」は、適法か、といったことについての記事を投稿する予定です。


(2015年10月6日)