<web読書会 正村(27)>です。2回にわたって、韓国・北朝鮮問題について、読んでいきます。米国と、ソ連が、朝鮮半島を「二分」して、その支配下に置いたことで、
日本・韓国・北朝鮮がもめる根本原因を作りだす結果になりました。
今日は、「在日朝鮮人の処遇(国籍)」や、「朝鮮半島の分断」などを、観ていきます。
ここに、今日の日本・ 韓国・北朝鮮、三国問題の問題の「根っこ」が、あります。戦争に負けた日本は、米国の占領下におかれたので、戦後処理について「独自に処理」することができませんでした。
また、朝鮮半島が「二分されたことで、「朝鮮戦争」の火種を作ることになりました。
◆ 「在日朝鮮人の処遇」に苦悩する日本とGHQ
≪・日韓・日朝の国交確立も日本にとって重要な戦後処理案件であった。
・1894年~95年(明治27年~28)年の日清戦争、1904年~05(明治37年~38)年の日露戦争は、ともに直接には朝鮮半島に対する支配権をめぐる戦争であった。
日本は日露戦争直後に韓国(李王朝末期の朝鮮王朝の国号、公式には大韓帝国という)を保護国化し、1910(明治43)年には完全に併合してしまった。それ以来1945年に至るまでの35年間、日本人は朝鮮半島を植民地として支配し朝鮮人を抑圧し収奪した。
独立運動は過酷な弾圧を受け、姓名をさえ強制的に日本名に変えさせれれた。日本本土へ渡った朝鮮人も、日本人による差別と虐待を受け、関東大震災(1923(大正12)年にさいしては大量に虐殺された。
・1945年8月の降伏により、日本はカイロ宣言とポツダム宣言に従って朝鮮に対する統治権を失った。日本は、当然、独立国家を形成するはずの朝鮮と国交を確立し、植民地支配に対する謝罪と賠償を行う責任を負わなければならなった。
しかし、朝鮮は38度線で分断され、南北がそれぞれ米ソの支配下におかれることになった。米ソ対立の深刻化により統一の可能性は失われ、南北朝鮮はそれぞれ大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国として独立を宣言し(1948年)、やがて二つの国家は全土を戦場とする大戦争に突入した。
アメリカ占領下の日本は南側の韓国(大韓民国)との協力を要求されおのずから北朝鮮と対立することになった。
・戦後初期から日本政府が直面した問題のひとつは在日朝鮮人の処遇であった。GHQもこの問題では動揺を重ねた。GHQは一時は「帰国を希望しない在日朝鮮人は日本国籍をもつものとみなす」と日本政府に通告したが、その後、外国人登録令の交付(1947年5月)により在日朝鮮人を外国人と規定し、登録国籍欄に朝鮮と記入させることになった。
しかし、日本政府の法務当局は、なお講和発効までは在日朝鮮人は日本国籍を有するものとみなすという見解を発表した。
・日本政府の調査によると、1950年の在日朝鮮人は約5万人とされている。在日朝鮮人は北朝鮮系と韓国系に分裂し、帰国問題の解決や権利擁護のためそれぞれ団体を結成して運動した。
・1949年1月に在日韓国代表部が設置された。韓国代表部は、日本政府の外交権を代行しているGHQに、在日朝鮮人の国籍は「韓国」または「大韓民国」とさせたいという希望を伝えた。1950年1月GHQがそれを日本政府に仲介した。
外務省は難色を示したが、2月、GHQの再度の要望により、公文書に「韓国の用語を使用するとことを閣議決定した。法務庁は、在日朝鮮人の国籍欄への記入は「朝鮮」または「韓国」のいずれも選択できることとし、これは実質的な国籍や国家の承認問題とは無関係であり、いずれの用語を使用しても法律上は不平等な扱いをしないという見解を公表した。
・・・・(日本政府と韓国政府の公式会談が決定)・・・
・サンフランシスコ平和条約調印直後の1951年10月21~12月22日、東京で日韓両国政府代表による予備会議が開催され、ついで1952年2月15日~4月26日には第一次の正式会談が開かれた。
日本側首席代表松本俊一(外務省顧問)、韓国側首席代表梁裕燦(駐米紺国大使)であった。在日朝鮮人の法的地位、国家間の基本関係、請求権問題、漁業問題などが議題とされたが、とくに請求権問題と漁業問題で意見が対立し、交渉は難航し、何の成果もなく終った。≫
◆ 「分割統治」というのが、西洋流「”植民地”の治め方」の特徴
「遠くの親戚より、近くの隣人」ということわざがあります。我々は、何か困ったことがあったときは、「お隣さん」を頼りにするものです。
それは、国家の関係においても、おなじことではないでしょうか。
我々、なぜ、「お隣さんである、韓国や北朝鮮などと、「もめる」必要があるのでしょうか。
何故、韓国や北朝鮮を嫌って、遠くにある米国に頼るのでしょうか。頼らなければならないのでしょうか。
それほど、我々の国家、日本という国には、「ひねくれた」国なのでしょうか。
「古来より、「和をもって貴しとする」というが、国是となっていました。それは、日本の国内に限られたことでしたが、それでいいのでしょうか。
いまこそ、この「和をもって貴しとする」という精神を発揮する秋(とき)なのではないでしょうか。
「分割統治」というのが、西洋流の「治め方」の特徴です。彼らは、ーーまるで判を押したようにーーこの方式に固執しています。
それは、朝鮮半島、旧ドイツ、イスラエル・パレスチナ、日本と沖縄(本土と外地)などの例でも明らかです。(この見解には、異論があるでしょうが。)
別の言い方をすれば、「夷を以て夷を制する」と言ったほうが分かり易いでしょうか。つまり、「仲間割れ」をさせ、お互いを憎むように仕向ける。そのことで、自分たちの有利になるようにする、ということです。
こうすれば、自分たちの力が強くなくても、相対的に相手より「強くなったこと」になります。
これが、「分割統治」というやりかたの「基本思想」です。
我々は、今、このことをよく考えてみなければならない、と思います。
※ 明日は、日韓会談を観ていきます。
(2015年10月28日)
日本・韓国・北朝鮮がもめる根本原因を作りだす結果になりました。
今日は、「在日朝鮮人の処遇(国籍)」や、「朝鮮半島の分断」などを、観ていきます。
ここに、今日の日本・ 韓国・北朝鮮、三国問題の問題の「根っこ」が、あります。戦争に負けた日本は、米国の占領下におかれたので、戦後処理について「独自に処理」することができませんでした。
また、朝鮮半島が「二分されたことで、「朝鮮戦争」の火種を作ることになりました。
◆ 「在日朝鮮人の処遇」に苦悩する日本とGHQ
≪・日韓・日朝の国交確立も日本にとって重要な戦後処理案件であった。
・1894年~95年(明治27年~28)年の日清戦争、1904年~05(明治37年~38)年の日露戦争は、ともに直接には朝鮮半島に対する支配権をめぐる戦争であった。
日本は日露戦争直後に韓国(李王朝末期の朝鮮王朝の国号、公式には大韓帝国という)を保護国化し、1910(明治43)年には完全に併合してしまった。それ以来1945年に至るまでの35年間、日本人は朝鮮半島を植民地として支配し朝鮮人を抑圧し収奪した。
独立運動は過酷な弾圧を受け、姓名をさえ強制的に日本名に変えさせれれた。日本本土へ渡った朝鮮人も、日本人による差別と虐待を受け、関東大震災(1923(大正12)年にさいしては大量に虐殺された。
・1945年8月の降伏により、日本はカイロ宣言とポツダム宣言に従って朝鮮に対する統治権を失った。日本は、当然、独立国家を形成するはずの朝鮮と国交を確立し、植民地支配に対する謝罪と賠償を行う責任を負わなければならなった。
アメリカ占領下の日本は南側の韓国(大韓民国)との協力を要求されおのずから北朝鮮と対立することになった。
・戦後初期から日本政府が直面した問題のひとつは在日朝鮮人の処遇であった。GHQもこの問題では動揺を重ねた。GHQは一時は「帰国を希望しない在日朝鮮人は日本国籍をもつものとみなす」と日本政府に通告したが、その後、外国人登録令の交付(1947年5月)により在日朝鮮人を外国人と規定し、登録国籍欄に朝鮮と記入させることになった。
しかし、日本政府の法務当局は、なお講和発効までは在日朝鮮人は日本国籍を有するものとみなすという見解を発表した。
・日本政府の調査によると、1950年の在日朝鮮人は約5万人とされている。在日朝鮮人は北朝鮮系と韓国系に分裂し、帰国問題の解決や権利擁護のためそれぞれ団体を結成して運動した。
・1949年1月に在日韓国代表部が設置された。韓国代表部は、日本政府の外交権を代行しているGHQに、在日朝鮮人の国籍は「韓国」または「大韓民国」とさせたいという希望を伝えた。1950年1月GHQがそれを日本政府に仲介した。
外務省は難色を示したが、2月、GHQの再度の要望により、公文書に「韓国の用語を使用するとことを閣議決定した。法務庁は、在日朝鮮人の国籍欄への記入は「朝鮮」または「韓国」のいずれも選択できることとし、これは実質的な国籍や国家の承認問題とは無関係であり、いずれの用語を使用しても法律上は不平等な扱いをしないという見解を公表した。
・・・・(日本政府と韓国政府の公式会談が決定)・・・
・サンフランシスコ平和条約調印直後の1951年10月21~12月22日、東京で日韓両国政府代表による予備会議が開催され、ついで1952年2月15日~4月26日には第一次の正式会談が開かれた。
日本側首席代表松本俊一(外務省顧問)、韓国側首席代表梁裕燦(駐米紺国大使)であった。在日朝鮮人の法的地位、国家間の基本関係、請求権問題、漁業問題などが議題とされたが、とくに請求権問題と漁業問題で意見が対立し、交渉は難航し、何の成果もなく終った。≫
◆ 「分割統治」というのが、西洋流「”植民地”の治め方」の特徴
「遠くの親戚より、近くの隣人」ということわざがあります。我々は、何か困ったことがあったときは、「お隣さん」を頼りにするものです。
それは、国家の関係においても、おなじことではないでしょうか。
我々、なぜ、「お隣さんである、韓国や北朝鮮などと、「もめる」必要があるのでしょうか。
何故、韓国や北朝鮮を嫌って、遠くにある米国に頼るのでしょうか。頼らなければならないのでしょうか。
それほど、我々の国家、日本という国には、「ひねくれた」国なのでしょうか。
「古来より、「和をもって貴しとする」というが、国是となっていました。それは、日本の国内に限られたことでしたが、それでいいのでしょうか。
いまこそ、この「和をもって貴しとする」という精神を発揮する秋(とき)なのではないでしょうか。
「分割統治」というのが、西洋流の「治め方」の特徴です。彼らは、ーーまるで判を押したようにーーこの方式に固執しています。
それは、朝鮮半島、旧ドイツ、イスラエル・パレスチナ、日本と沖縄(本土と外地)などの例でも明らかです。(この見解には、異論があるでしょうが。)
別の言い方をすれば、「夷を以て夷を制する」と言ったほうが分かり易いでしょうか。つまり、「仲間割れ」をさせ、お互いを憎むように仕向ける。そのことで、自分たちの有利になるようにする、ということです。
こうすれば、自分たちの力が強くなくても、相対的に相手より「強くなったこと」になります。
これが、「分割統治」というやりかたの「基本思想」です。
我々は、今、このことをよく考えてみなければならない、と思います。
※ 明日は、日韓会談を観ていきます。
(2015年10月28日)
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