2015年10月12日月曜日

中国・ソ連との国交正常化交渉と「鳩山ブーム」

<web上「読書会」 正村(11)>を投稿します。
今回は、「鳩山ブーム」を取り上げます。

中国や「ソ連」との「国交正常化」交渉と、「鳩山ブーム」のついて、社会党の躍進との関連で観ていきます。

この時代も、今と同じで、政治が国民の「感情」で左右されることが、顕著であったようです。いわゆる「空気に左右される、状況にあった、ように観けられます。


◆ 「鳩山ブーム」への、国民の「危機感」

鳩山首相は、1954年12月の組閣後、日本民主党の「自主的国民外交」の政策路線により、ソ連、中国との交流、平和共存、国交回復を目指すという態度を示した。

1951年9月のサンフランシスコ平和和条約調印後、ソ連、中国との国交正常化は日本外交の大きな課題として残されていた。平和条約発効後、日本は国連加盟を申請したが、1952年9月にソ連の拒否権によって否決された。

ソ連との国交は日本の国連加盟のためにも不可決であった。ソ連側も日本との国交正常化に関心を示していた。1954年9月12日、ソ連外相モロトフは、『中部日本新聞』(のちの『中日新聞』)の質問に対して、対日国交正常化の用意があると回答した。

12月10日にはソ連政府の機関紙『イズべスチア』が「サンフランシスコ平和条約は日ソ国交正常化の障害にならない」と論じた。

鳩山の「自主的国民外交には中国も反応を示した。12月30日、『人民日報』の社説は「日本はアメリカとの関係を断絶しなくても中国との国交正常化できる」と述べた。

重光外相はソ連との国交回復に消極的であった。1955年1月6日、重光は、「日本外交の第一は米英との協調、第二にはアジア諸国との親善、第三が中ソとの国交調整だ。対中ソ関係は機の熟するのを待つべきで、軽々に動くべきではない」と語った。

しかし、鳩山首相は日ソ国交正常化を強く志向していた。それは、吉田の「対米従属路線」を批判して登場した彼の重要な政治課題であった。

1955年1月7日、占領時代のソ連代表部首席代理ドムニツキ―が鳩山を私邸に訪問した。吉田内閣は、講和発効後、ソ連代表部の退去を求めたが、ソ連側は無視して居座っていた。

そのため日ソの接触が東京で開催された。ドムニツキ―は日ソ国交正常化を提議し、鳩山は賛意を表明した。ドムニツキ―は、25日、再度鳩山邸を訪問し、「ソ連政府は、モスクワまたは東京で行われるべき交渉のための代表者を任命する用意がある」との文書を手交した。

鳩山内閣は、成立時の約束に従い、1955年1月24日に衆議院を解散し、2月27日に総選挙を実施した。総選挙での鳩山の人気は意外に高かった。

・・・・(この間は、鳩山の経歴の紹介)・・・・

鳩山の高齢と病身は大きなハンディキャップであったが、保守派の選挙民は占領政策のために機会を逸した不運の政治家として鳩山に同情し、また、吉田長期政権への不満から鳩山に期待を抱いた。

鳩山内閣のナショナリズムも、長い占領とそれに協力した吉田内閣に飽きた国民の支持を集めた。こうして「鳩山ブーム」が起こった。


この状況に社会党は深刻な危機感を抱いた。鳩山の日本民主党は公然と憲法改正を唱えていた。民主党が議席を大幅にふやし、自由党が協力すれば、憲法改正が実現する可能性があった。

憲法改正は、国会が各議院の三分の二以上の賛成で発議し、国民投票で過半数を得れば成立する規定になっている。すでにみたように、当時、保守勢力は三分の二に近い議席を占めていたのである。

護憲・非武装・中立を主張する左社が憲法改正に反対したのは当然だが、右社も「保守勢力が三分の二以上を確保すれば憲法改正・再軍備・徴兵制が実現される」として鳩山路線反対の立場を鮮明にした。

両派社会党は、総選挙後に再統一を実現して、「逆コース」に対抗すると公約し、「民主憲法擁護」を共通のスローガンに掲げた。

総選挙の結果、鳩山の日本民主党は185議席を得て第一党になったが、39・7%の議席数にとどまった。吉田に代わった総裁緒方竹虎の率いる自由党は、選挙後、首相は第一党から出すべきだとして鳩山に投票したから、第二次鳩山内閣成立に問題はなかった。

しかし、保守勢力は三分の二の議席を確保できなかった。左右社会党と労農派の合計は160(総議数の34・4%)、共産党の二議席を加えると参議院の総議席数の34・7%に達した。

当面、憲法改正は不可能であった。保守層のあいだでは「鳩山ブーム」が起こったが、その他の国民はそれに動かされず、むしろ、憲法改正の提案に危機感を抱き、社会党を強く支持したのである。≫


◆ 早くも、憲法改正が課題に

このところを読むと、講和条約締結後、すぐの頃から、憲法改正が課題になっていたことが、よく解ります。

もちろん、保守合同の目的は、この憲法改正にあったのですから、当然のことなのでしょうが。

いまだに、「押し付け憲法」という批判が絶えませんが、その「嚆矢」は、ここにあると言ってよい、でしょう。  

※ 明日は、社会党を取り上げます。

(2015年10月12日)

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