2015年10月31日土曜日

”問答無用”の暴挙「安倍政権が、米軍基地の辺野古移設工事を再開」


私も”問答無用”の暴挙である、と思う。
「社説」が、「もはや、政治の名に値しない」と述べる。安倍政権が強引に、米軍基地の辺野古移設工事を再開した。この、強引な手法を批判した。東京新聞が社説で、安倍政権の強引なやり方を、「日本の民主主義のあり方が問われてい
る」と批判した。

「民意を試みない安倍政権の暴走である」と厳しい口調で、非難した。沖縄の米軍基地の辺野古への移設工事のことだ。

「県内移設に反対する県民を押しのけて工事を強行するだけなら、もはや政治の名には値しない」と、「断罪」した。


 米軍基地の新設工事を開始=「東京新聞」の社説

沖縄県名護市辺野古で米軍基地の新設工事が始まった。海兵隊拠点の国外・県外移設を求める県民の民意を顧みない安倍政権の暴走だ。安全保障のみならず日本の民主主義の在り方をも問うている。

米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)返還のため、代替施設の建設地を辺野古に定めた一九九九年の閣議決定から、十六年を経ての本格的な着工である。予定工期は二〇二〇年十月末だという。・・・

普天間飛行場の閉鎖、日本側への返還が急務であることに異論はない。しかし、代替施設を同じ沖縄県に造る県内移設に、なぜ県民の多くが反対するのか。政府だけでなく、本土に住む私たちも深く考えねばならない。・・・

国土面積の1%にも満たない沖縄県には今も在日米軍専用施設の約74%が集中する。事故や騒音、米兵による犯罪に加え、米軍の戦争に加担しているという心理的圧迫など、基地集中による重い負担を、県民は強いられている。・・・

基地を同じ県内に移しても負担軽減にはならない、なぜ沖縄だけが過重な負担を強いられるのか、日米安全保障条約体制が日本の平和に必要なら、日本国民が等しく基地負担を負うべきではないか。

 
 米国とは、米国国民のこと

社説は、「沖縄県民の訴え」をみとめ、「私たちも共感する」と述べる。

そして、安倍政権が、「選挙で示された県民の民意をも顧みず、『抑止力』を掲げて、県内移設に向けた手続きや工事をやみくもに進める」、この手法を忌引き区断罪した。

それは「法令の乱用であり、民主主義への逆行にほかならない」と述べた。

安倍政権とオバマ政権が出した「結論」は、「同じ県内の辺野古への移設であり、唯一の解決策との立場」をとっているといわれる。

だが、本当に安倍首相は、米国に対して「交渉をおこなった」でのあろうか。本当に、真剣に米国と交渉する気を持っていたのだろうか。私には、そうは思えない。

もし、本当に「交渉を行う気持ち」があるのなら、機会があった。それは、4月の訪米の時である。あの時に、議会演説で、「沖縄を返してほしい」と言えばよかったのである。

米国は、何も、オバマ政権だけが、米国なのではない。米国とは、米国国民のことである。それは、「バージニア憲章」が、示す通りである。

安倍首相が、真剣に沖縄の基地の問題を解決したいと思うなら、直接に米国の国民に話しかけるべきであった。それが、あの議会演説のなかでなら、出来た。

だが、安倍首相は沖縄の現実には、一言も触れなかった。それでは、米国の国民は、日本が沖縄の現実を認めている、と受け止めたであろう。

何の問題もない」と思ったことであろう。

それでは、到底、沖縄の米軍基地問題を解決することは出来ない。

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(2015年10月31日)

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