2015年10月27日火曜日

遅すぎる。ブレア元英国首相「(イラク戦争は)誤りだった」と謝罪


いかにも、遅すぎる。
英国のトニー・ブレア元首相が、”G・W・ブッシュの戦争”を否定「(イラク戦争は)誤りだった」と謝罪した。CNNのインタビューに答えた。
今頃になって、「何故」というのが、この記事を最初に読んだ感想である。

こんなことをいまさら言われたところで、イラクの国民は、誰ひとり、納得をすることは、ないだろう。


 ブレア「イラク進攻は、誤りだった」=「CNN」
英国のトニー・ブレア元首相は25日に放送されたCNNの単独インタビューで、米国の主導による2003年のイラク進攻について、「誤りだった」と認めて謝罪した。ただ、サダム・フセイン元大統領を排除したことは後悔していないとした。
ブレア氏はインタビューの中で、「我々が入手した情報が間違っていたという事実については謝罪する。(フセイン元大統領は)国民などに対して化学兵器を集中的に使用していたが、それは我々が考えていたような形では存在していなかった」と明言した。
米英政府はフセイン政権が大量破壊兵器を保有しているという報告を根拠に、イラク進攻を正当化した。だがその報告の根拠となった情報は間違いだったことが後に分かった。
この戦争とフセイン政権の崩壊によりイラクは混乱に陥り、宗派対立が激化して国際テロ組織アルカイダが勢力を増し、後に過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」が台頭した。長引く戦争で何万人ものイラク国民が犠牲になり、米兵4000人以上、英兵179人が死亡した。」

 国連の支持のない「開戦」

この戦争は、国連で、否決されたものであった。それを、無視をして、強引にジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領が、攻撃に踏みきった。国連の支持のない「開戦」であった。

「イラク攻撃にはフランス、ドイツ、ロシア、中国などが強硬に反対を表明していた。国連の武器査察団による査察を継続すべきとする声もあった。

それを、イギリス・ブレア政権が、積極的に支持をした。そのことで、ブレア政権何の閣僚が相次いで辞任を表明した。そして、トニー・ブレアの方針に反対した。

それを何か、今頃になって、「誤りだった」などと、よく言えたものである。

しかも、ー謝罪をしながらもー中途半端なことには、「サダム・フセイン元大統領を排除したことは後悔していない」と述べた。それで、本当に「誤りだった」と認めたことになるのか。「反省をしている」といえるのか。

ブレア氏は、未練たらしくも、「(フセイン元大統領は)国民などに対して化学兵器を集中的に使用していた」というが、証拠を示すことが出来たのか。

その証拠を確認したうえで、「化学兵器を集中的に使用」したと、言っているのか。もし、そうであるなら、「なぜ、その化学兵器を見つけることが出来なかったのか。

科学兵器を見つけるまで攻撃を延長し、徹底的に「証拠をみつける」努力をしなかったのか。何故、軽率にも、攻撃に踏み切った米国を支持したのか。イギリス軍も、攻撃に加わったのか。


 イラクの市民の犠牲者(死者)は、10万人から60万人

イラク戦争での、軍人の死者は、2万人であると、言われる。ところが、民間の犠牲者、イラクの市民の犠牲者(死者)は、10万人から60万人であるという統計がある。

そして、今なお、イラクの国民は、日々の暮らしの中において、生命の危険に晒されている。毎日毎日、テロの危険と隣り合わせの中で暮らしている。

そのことが、どれほどのストレスを産み、人々の心を「すさんだ」者にしていることか。毎日のように、病院などへのテロ攻撃で、市民に犠牲者が出ている。

それを「誤りだった」の一言で済ますなど、到底、許されることではない。

そうであるのに、ーーイラク進攻の決断を「戦争犯罪」とする見方もあると指摘についてーーブレア氏は、「あの当時は自分が正しいと思ったことをした」と言ってはばからない。

しかも、ご丁寧なことには、「”今になってそれが正しかったかどうかは、それぞれで判断すればいい”との認識を示した」というのである。

これで本当に「謝罪した」ことになるのか。これが、「ヨーロッパ流」の謝罪の仕方なのか。我々日本人には、到底、考えられないことだ。

ブレア氏は、「今になってそれが正しかったかどうか」については、どう考えているのか。それを明らかにしてこそ、はじめて、「謝罪した」ことになるのではないか。

「それぞれで判断すればいい」というようなことで済ます問題ではない、と思うのである。

なぜ、今頃になって、ブレア氏が、「誤りだった」と認める気になったか。そのことについて、CNNの記事は、「サラリ」と触れているだけある。

なぜ、そういう「心境になった」野か、ここを追及する記事(インタビュー)になっていたなら、この記事は、完璧であった。


(2015年10月27日)