<web(読書会 正村(23)>を投稿します。
今回から、中国との関係をみていきます。鳩山一郎の最大の悲願である中国との国交回復の妨げになったのは、「吉田内閣が蔣政権(台湾の政権)と結んだ平和条約」でした。
中国との関係においても、国交回復は重要な課題でした。
◆ 最大の懸案である、日中国交回復
鳩山内閣は日ソ復交と国連加盟という懸案を処理したが領土問題は残された。さらに、日中国交回復、日韓・日朝関係の正常化、沖縄・小笠原の返還といった一連の課題はほとんど進展を見ないで終わった。
日本の軍隊がもっとも長期にわたって侵略戦争を仕掛け、領土を切り取り、多数の住民を殺害し、無数の残虐行為を働いたのは、中国に対してであった。
その中国と国交を回復し、可能な最大限の賠償と経済的協力を行い、両国の友好関係の基礎を築き上げることは、戦後日本の最大の国際的債務のひとつであった。
戦後、中国大陸を統治する政権が交代してしまったが、共産党政権が現実に中国国民を代表する政府となり、しかも、その政府がこれまでになく全国を統一的に掌握しているという事実を考えれば、既往にとらわれず新中国との国交確立を目指すのが妥当であった。
しかし、中国代表はサンフランシスコ講和会議に招待されず、吉田内閣は蔣政権と平和条約を結んでしまった。
吉田内閣の「対米従属」を批判し、「自主国民外交」を掲げて登場した鳩山内閣にとって、中国との国交回復こそ急務であり、最大の課題であったはずである。しかし、日中関係には日ソ関係以上に大きな障害が存在した。
第一は、米中の対立とアメリカの対日圧力の厳しさであった。朝鮮戦争で米中両国軍隊は宣戦布告なしに局地的戦争状態にはいってしまった。国連は、アメリカの提案により中国を「侵略者」と規定し、西ヨーロッパ諸国は中国に対する経済封鎖を強化した。
中国革命後、アメリカは台湾への不介入を表明していたが、朝鮮戦争後は台湾海峡封鎖の方針に転換してしまった。朝鮮休戦以後も、アメリカは、ソ連と中国が協力して共産主義の世界支配を目指しているという考えを捨てず、アジアにおける共産主義の浸透作戦では中国がより大きな役割を演じているとみていた。
日米関係を優先する日本の保守勢力の基本的原則に立てば,日中国交回復の可能性は容易には開けてこなかった。
第二は、日本国内の反共産主義・反中国的な勢力の存在であった。日本の保守派の政治家の中には蔣介石政権の要人と直接に親しい関係を持つものも少なくなかった。
彼らは台湾を捨てて大陸の新中国政府と国交を回復することに強く反対していた。しかし、新中国は、台湾は中国の一部であり日本が蔣介石政権との関係を切ることなしには日中国交正常化はありえないと主張した。
日本政府が台湾政府との関係を維持したまま新中国と国交を回復することは不可能だった。
朝鮮戦争により極東の緊張が極度に激化するなかで、アメリカと日本は、共産主義の直接・間接の侵略を防止するために平和条約と同時に安全保障条約を締結した。
それは、本質的には攻撃的なものではなく、共産主義者による公然の武力攻撃や隠然の革命主義的侵透による体制変革の阻止を目的とするものであった。しかし、その日米同盟はかえって中ソ側の警戒心を高めた。
ソ連と新中国の関係は、実に複雑な調整課題を抱えており、決して一枚岩ではなかった。しかし、アメリカや日本の指導者は1950年代の中ソ同盟を共産主義世界戦略の布石の一つと考えた。
中国共産党がこの時期にコミンフォルムに呼応して日本共産党に反米武力闘争を呼びかけたことも保守勢力のあいだの警戒心を助長する一因になった。
日本の産業界の指導層の多数は、日中友好運動が共産党に利用されるという警戒心とアメリカからの圧力を恐れる気持ちから、対中国貿易を推進する日本の業者は対米貿易から締め出すと威嚇した。
そのため、日本の大手商社は日中貿易のために身代わり商社(ダミー)を使って対処した。≫
◆ 「歴史に学ぶこと」
「満州」だけにとどまらずに、「長城」を超えて進行したことで、その後の日本は、大きな「負債」を背負う事になりました。
もし、陸軍が、当初の予定通り「満州」だけで満足して、ソ連」に侵攻していれば、今日の状況は、大きく変わったもの担ていたことでしょう。
もちろん、それは「後知恵」にすぎません。しかし、「仮に」と考えることをしないでいては、「歴史」を学ぶ意義はない、と思います。
「歴史を学ぶこと」ももちろん重要ですが、肝心なことは、「歴史に学ぶこと」です。
たった一文字の違いですが、この違いは大きいのです。
そうはいっても、「”歴史に学ぶこと”について、説明してみろ」といわれても、すぐには、どうすればいいのかは、―正直なところー私にも、分かりません。
ただ、思うのは「小説を楽しむ」ように、「歴史を楽しむ」というだけでは、「いけない」ということです。
孔子がいうように「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」という態度が、重要であると思います。
そうでなければ、私たちは、再び、同じ過ちを繰り返しかねません。
とくに中国との関係の置いては、このことは軽視できません。
安倍首相が、―こともあろうにー安保法案の審議において、中国を名指して批判したからです。
過去に我々、日本人が繰り返してきたことを思えば、そう簡単には、「中国を責めること」は出来ない、と思います。
(2015年10月24日)
今回から、中国との関係をみていきます。鳩山一郎の最大の悲願である中国との国交回復の妨げになったのは、「吉田内閣が蔣政権(台湾の政権)と結んだ平和条約」でした。
中国との関係においても、国交回復は重要な課題でした。
◆ 最大の懸案である、日中国交回復
鳩山内閣は日ソ復交と国連加盟という懸案を処理したが領土問題は残された。さらに、日中国交回復、日韓・日朝関係の正常化、沖縄・小笠原の返還といった一連の課題はほとんど進展を見ないで終わった。
日本の軍隊がもっとも長期にわたって侵略戦争を仕掛け、領土を切り取り、多数の住民を殺害し、無数の残虐行為を働いたのは、中国に対してであった。
その中国と国交を回復し、可能な最大限の賠償と経済的協力を行い、両国の友好関係の基礎を築き上げることは、戦後日本の最大の国際的債務のひとつであった。
戦後、中国大陸を統治する政権が交代してしまったが、共産党政権が現実に中国国民を代表する政府となり、しかも、その政府がこれまでになく全国を統一的に掌握しているという事実を考えれば、既往にとらわれず新中国との国交確立を目指すのが妥当であった。
しかし、中国代表はサンフランシスコ講和会議に招待されず、吉田内閣は蔣政権と平和条約を結んでしまった。
吉田内閣の「対米従属」を批判し、「自主国民外交」を掲げて登場した鳩山内閣にとって、中国との国交回復こそ急務であり、最大の課題であったはずである。しかし、日中関係には日ソ関係以上に大きな障害が存在した。
第一は、米中の対立とアメリカの対日圧力の厳しさであった。朝鮮戦争で米中両国軍隊は宣戦布告なしに局地的戦争状態にはいってしまった。国連は、アメリカの提案により中国を「侵略者」と規定し、西ヨーロッパ諸国は中国に対する経済封鎖を強化した。
中国革命後、アメリカは台湾への不介入を表明していたが、朝鮮戦争後は台湾海峡封鎖の方針に転換してしまった。朝鮮休戦以後も、アメリカは、ソ連と中国が協力して共産主義の世界支配を目指しているという考えを捨てず、アジアにおける共産主義の浸透作戦では中国がより大きな役割を演じているとみていた。
日米関係を優先する日本の保守勢力の基本的原則に立てば,日中国交回復の可能性は容易には開けてこなかった。
第二は、日本国内の反共産主義・反中国的な勢力の存在であった。日本の保守派の政治家の中には蔣介石政権の要人と直接に親しい関係を持つものも少なくなかった。
彼らは台湾を捨てて大陸の新中国政府と国交を回復することに強く反対していた。しかし、新中国は、台湾は中国の一部であり日本が蔣介石政権との関係を切ることなしには日中国交正常化はありえないと主張した。
日本政府が台湾政府との関係を維持したまま新中国と国交を回復することは不可能だった。
朝鮮戦争により極東の緊張が極度に激化するなかで、アメリカと日本は、共産主義の直接・間接の侵略を防止するために平和条約と同時に安全保障条約を締結した。
それは、本質的には攻撃的なものではなく、共産主義者による公然の武力攻撃や隠然の革命主義的侵透による体制変革の阻止を目的とするものであった。しかし、その日米同盟はかえって中ソ側の警戒心を高めた。
ソ連と新中国の関係は、実に複雑な調整課題を抱えており、決して一枚岩ではなかった。しかし、アメリカや日本の指導者は1950年代の中ソ同盟を共産主義世界戦略の布石の一つと考えた。
中国共産党がこの時期にコミンフォルムに呼応して日本共産党に反米武力闘争を呼びかけたことも保守勢力のあいだの警戒心を助長する一因になった。
日本の産業界の指導層の多数は、日中友好運動が共産党に利用されるという警戒心とアメリカからの圧力を恐れる気持ちから、対中国貿易を推進する日本の業者は対米貿易から締め出すと威嚇した。
そのため、日本の大手商社は日中貿易のために身代わり商社(ダミー)を使って対処した。≫
◆ 「歴史に学ぶこと」
「満州」だけにとどまらずに、「長城」を超えて進行したことで、その後の日本は、大きな「負債」を背負う事になりました。
もし、陸軍が、当初の予定通り「満州」だけで満足して、ソ連」に侵攻していれば、今日の状況は、大きく変わったもの担ていたことでしょう。
もちろん、それは「後知恵」にすぎません。しかし、「仮に」と考えることをしないでいては、「歴史」を学ぶ意義はない、と思います。
「歴史を学ぶこと」ももちろん重要ですが、肝心なことは、「歴史に学ぶこと」です。
たった一文字の違いですが、この違いは大きいのです。
そうはいっても、「”歴史に学ぶこと”について、説明してみろ」といわれても、すぐには、どうすればいいのかは、―正直なところー私にも、分かりません。
ただ、思うのは「小説を楽しむ」ように、「歴史を楽しむ」というだけでは、「いけない」ということです。
孔子がいうように「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」という態度が、重要であると思います。
そうでなければ、私たちは、再び、同じ過ちを繰り返しかねません。
とくに中国との関係の置いては、このことは軽視できません。
安倍首相が、―こともあろうにー安保法案の審議において、中国を名指して批判したからです。
過去に我々、日本人が繰り返してきたことを思えば、そう簡単には、「中国を責めること」は出来ない、と思います。
(2015年10月24日)
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