<web上「読書会」 正村(8)> 「農村地主階級の没落と、依然として蔓延(はびこ)る『腐敗選挙』」を投稿します。
今回は、保守合同の背景の「第二の要因」についてみていきます。この記事では、政党の支援基盤が、農村から、都市の大経営者へと移行していく過渡期の状況が、明らかにされます。
なお、この章は長いので、2回に分けて掲載していきます。
◆ 地主階級の没落と大経営者層の台頭
≪そうした事態を避けるのは日米同盟そのものを解消する以外になかった。しかし保守勢力やそれを支援する産業経営者層は共産主義に警戒感を持っており、ソ連の直接・関節の「侵略」を防止するためにアメリカと同盟するという政策を捨てられなかった。
日米同盟を解消して日本の中立を実現するためには、米ソ中など関連諸国の相互信頼を確立し、日本の安全保障に関する国際協定を実現することが不可欠の前提であった。保守の主流にはそうした大転換を提起する政策思想はなかった。
アメリカの世界情勢認識に明確な批判を持ち、独自の世界情勢認識にもとづいて独自の外交政策を追及するというところまでは、日本の保守勢力のナショナリズムは徹底されていなかった。
・・・・・中略・・・・
さて、保守合同の背景の第2は、財界すなわち大産業経営者層と政治的発言力の強化である。
産別会議の崩壊と「左旋回」した総評系労働運動の挫折により、経営者層は産業の指導権を掌握するとともに、ひとつの有力な社会勢力として影響力を行使し、自由私企業体制の安全と強化のために、また経済の持続的発展のために、保守安定政権を要求した。
保守政治勢力にとって、戦後、財界は唯一のまとまった政治資金源となった。戦前の多くの政治家の基盤であった農村地主勢力が戦後の農地改革とインフレで没落したのにたいし、大産業は急速に復興し、経営層の社会的地位は強化され、資金源としての財界の役割は決定的に大きくなった。
しかし、保守の社会的基盤はなお圧倒的に農村の伝統的秩序にあった。1952年に、そのことを示す象徴的事件が静岡県上上野村で起こった。同年5月の行われた参議院議員補欠選挙で、部落の有力者が投票場の入場券を集めて歩き、同一人物が何度も投票し、選挙管理者もそれを黙認したという事実が明らかになったのである。
そのため、村長初十数人が警察の取り調べを受けた。この事件は村内に住む同県富士宮高校生であった一人の少女の投書から発覚した。そこで部落の人々はこの少女の一家を「村八分」にした。
「村八分」は婚礼と葬儀以外の付き合いを一切停止するという古くからの制裁法である。当時の農村はもっぱら人力に依存し、田植えや稲刈りなどの農繁期には部落内で労働力の相互提供が行われていた。
少女の父は元警察官で小規模の農地しか持たず、農繁期には他の農家に雇われて生計の重要部分を維持していた。この家族にとって「村八分」は経済的にも打撃であった。
この事件を、翌年、あるプロダクションが映画化した。部落の人々は集団でロケーションを妨害し、少女の家族に暴力をふるった。
選挙におけるこの種の不正行為は、全国の農村を中心に各地行われていたと考えられる。「村八分」事件は氷山の一角でった。保守勢力は、こうした社会構造に依拠し、農村の旧勢力の支持によって議席を獲得していたのである。
しかし、農村の有力者を獲得し、選挙の地盤を維持するためには資金が必要であった。しかも、保守政党は、多数の党員を要する組織をつくり、その党員の党費や寄付によって資金を調達するという近代的な大衆勢力体制を確立していなかった。
もっとも、これは、共産党やのちの公明党のようなイデオロギー政党・宗教政党を除けば、日本の全政党に共通する問題であった。社会党も大衆的な政党組織を確立できなかった。
1950年代に総評の支援で左派社会党が躍進したのは、社会党のこの弱点を労働組合という大衆団体が補ったからである。しかし、総評・社会党ブロックの形成は、一面では社会党が総評の立場に拘束される結果を招き、社会党がより広範な国民から遊離することになり、現実性のある改革的な政策を掲げたり有力な野党として育つことができなくなる原因になった。
またそれは、他面では、労働組合を特定の政党に系列化することになり、多様な立場の労働者からなる大衆団体としての労働組合の活動を損なうことになった。≫
◆ 農業の近代化、機械化追いつかない「人の心」
選挙における「不正」は、今も、昔も変わらないようです。ここで書かれているような「大胆な不正」は、現在の農村においては、行われていないと思います。しかし、これに似たようなことは、少なからず、行われているという気がしています。
農業の近代化、機械化により、「結い(共同作業)」のような制度は、もう見られなくなっているとは思いますが、依然として「村八分」に近いようなことは、存在していると、思います。
いくら近代化が進んでも、人の心がそれとパラレルに進行して行くことは、むずかしいのだと思います。伝統的な「考え」を打破することは、大変な抵抗を産むでしょうし、ものすごく「労力」を要することである、と思います。
私も、農村の出なので、このことは、よく解ります。私の故郷は、50年前とほとんど変わりません。確かに、道路はコンクリートで固められ、家の中は文明の利器が、溢れています。
しかし、人々は、依然として、早朝から畑や田んぼに出て、草を刈り、農薬をまいたりして、働いています。それは、日曜日であろうと休日であろうと変わりありません。
外に出て働いていないと、人に何といわれるか解らないのです。「そんなことを気にする必要はないじゃないか」と思われるでしょうが、「そうはいかないのです」。それが、農村の暮らしなのです。
そうであってみれば、人々の選挙に関する「考え」も、それほど進歩しているとは思えなくなります。
いや、そんなことはない、ということであれば、もちろん、それに越したことはないのですが。
(2015年10月9日)
今回は、保守合同の背景の「第二の要因」についてみていきます。この記事では、政党の支援基盤が、農村から、都市の大経営者へと移行していく過渡期の状況が、明らかにされます。
なお、この章は長いので、2回に分けて掲載していきます。
◆ 地主階級の没落と大経営者層の台頭
≪そうした事態を避けるのは日米同盟そのものを解消する以外になかった。しかし保守勢力やそれを支援する産業経営者層は共産主義に警戒感を持っており、ソ連の直接・関節の「侵略」を防止するためにアメリカと同盟するという政策を捨てられなかった。
日米同盟を解消して日本の中立を実現するためには、米ソ中など関連諸国の相互信頼を確立し、日本の安全保障に関する国際協定を実現することが不可欠の前提であった。保守の主流にはそうした大転換を提起する政策思想はなかった。
アメリカの世界情勢認識に明確な批判を持ち、独自の世界情勢認識にもとづいて独自の外交政策を追及するというところまでは、日本の保守勢力のナショナリズムは徹底されていなかった。
・・・・・中略・・・・
さて、保守合同の背景の第2は、財界すなわち大産業経営者層と政治的発言力の強化である。
産別会議の崩壊と「左旋回」した総評系労働運動の挫折により、経営者層は産業の指導権を掌握するとともに、ひとつの有力な社会勢力として影響力を行使し、自由私企業体制の安全と強化のために、また経済の持続的発展のために、保守安定政権を要求した。
保守政治勢力にとって、戦後、財界は唯一のまとまった政治資金源となった。戦前の多くの政治家の基盤であった農村地主勢力が戦後の農地改革とインフレで没落したのにたいし、大産業は急速に復興し、経営層の社会的地位は強化され、資金源としての財界の役割は決定的に大きくなった。
しかし、保守の社会的基盤はなお圧倒的に農村の伝統的秩序にあった。1952年に、そのことを示す象徴的事件が静岡県上上野村で起こった。同年5月の行われた参議院議員補欠選挙で、部落の有力者が投票場の入場券を集めて歩き、同一人物が何度も投票し、選挙管理者もそれを黙認したという事実が明らかになったのである。
そのため、村長初十数人が警察の取り調べを受けた。この事件は村内に住む同県富士宮高校生であった一人の少女の投書から発覚した。そこで部落の人々はこの少女の一家を「村八分」にした。
「村八分」は婚礼と葬儀以外の付き合いを一切停止するという古くからの制裁法である。当時の農村はもっぱら人力に依存し、田植えや稲刈りなどの農繁期には部落内で労働力の相互提供が行われていた。
少女の父は元警察官で小規模の農地しか持たず、農繁期には他の農家に雇われて生計の重要部分を維持していた。この家族にとって「村八分」は経済的にも打撃であった。
この事件を、翌年、あるプロダクションが映画化した。部落の人々は集団でロケーションを妨害し、少女の家族に暴力をふるった。
選挙におけるこの種の不正行為は、全国の農村を中心に各地行われていたと考えられる。「村八分」事件は氷山の一角でった。保守勢力は、こうした社会構造に依拠し、農村の旧勢力の支持によって議席を獲得していたのである。
しかし、農村の有力者を獲得し、選挙の地盤を維持するためには資金が必要であった。しかも、保守政党は、多数の党員を要する組織をつくり、その党員の党費や寄付によって資金を調達するという近代的な大衆勢力体制を確立していなかった。
もっとも、これは、共産党やのちの公明党のようなイデオロギー政党・宗教政党を除けば、日本の全政党に共通する問題であった。社会党も大衆的な政党組織を確立できなかった。
1950年代に総評の支援で左派社会党が躍進したのは、社会党のこの弱点を労働組合という大衆団体が補ったからである。しかし、総評・社会党ブロックの形成は、一面では社会党が総評の立場に拘束される結果を招き、社会党がより広範な国民から遊離することになり、現実性のある改革的な政策を掲げたり有力な野党として育つことができなくなる原因になった。
またそれは、他面では、労働組合を特定の政党に系列化することになり、多様な立場の労働者からなる大衆団体としての労働組合の活動を損なうことになった。≫
◆ 農業の近代化、機械化追いつかない「人の心」
選挙における「不正」は、今も、昔も変わらないようです。ここで書かれているような「大胆な不正」は、現在の農村においては、行われていないと思います。しかし、これに似たようなことは、少なからず、行われているという気がしています。
農業の近代化、機械化により、「結い(共同作業)」のような制度は、もう見られなくなっているとは思いますが、依然として「村八分」に近いようなことは、存在していると、思います。
いくら近代化が進んでも、人の心がそれとパラレルに進行して行くことは、むずかしいのだと思います。伝統的な「考え」を打破することは、大変な抵抗を産むでしょうし、ものすごく「労力」を要することである、と思います。
私も、農村の出なので、このことは、よく解ります。私の故郷は、50年前とほとんど変わりません。確かに、道路はコンクリートで固められ、家の中は文明の利器が、溢れています。
しかし、人々は、依然として、早朝から畑や田んぼに出て、草を刈り、農薬をまいたりして、働いています。それは、日曜日であろうと休日であろうと変わりありません。
外に出て働いていないと、人に何といわれるか解らないのです。「そんなことを気にする必要はないじゃないか」と思われるでしょうが、「そうはいかないのです」。それが、農村の暮らしなのです。
そうであってみれば、人々の選挙に関する「考え」も、それほど進歩しているとは思えなくなります。
いや、そんなことはない、ということであれば、もちろん、それに越したことはないのですが。
(2015年10月9日)
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