2015年10月10日土曜日

政治資金の一本化「日本の政治体制全体をそっくり買収」

<web上「読書会」 正村(9)>を投稿します。今日は、昨日の続きです。 
保守合同前には財界が、日本の政治体制全体をそっくり買収した、ということが起きてい
ました。ポイントは、財界の指導層が、「政治資金の一本化」を推進することで、保守政党の合同を推進した、という点です。


◆ 財界の指導層が、「政治資金の一本化」を推進

≪保守政権が長期化するにつれて、保守派の政治家は政府の補助金行政などの「公約」をテコにして票を掘り起こすようになった。しかし、同時に、自己の後援会を維持し、地域の有力者や地方議員を養成し、督励しなければならず、そのためにやはり巨額の政治資金が必要であった。

そうした資金のますます多くの部分を供給したのが財界であった。政治資金のある部分は特定の産業や企業を優遇する政策などの約束と交換された。昭電疑獄や造船疑獄はその一端を示すものであった。

この種の政治資金の授受は保守政治のひとつの伝統となった。しかし、財界はもっと一般的に保守の統治の維持そのもののために政治資金を集める役目を担うようになった。

この種の政治資金は、特定の産業・企業のために政治家を買収するというものではないが、いわば日本の政治体制全体をそっくり財界が買収するという性格を持っていた。

その資金は、ほとんどすべて、経営者の私的資金ではなく、企業経理で「損金」(費用)に計算される「企業献金」であった。ずっと後には、不用意にも経営者自身が大企業の組織を使って特定の候補を支援するという「企業ぐるみ」選挙を推進した。

従業員は職業生活の必要上帰属している組織から特定の政治的立場を強要されたのである。自由主義的市民社会の常識から逸脱したこうした行為は、当然、世論の厳しい批判を受けた。

日本の産業経営者層は、一面では産業合理化と日本経済近代化を促進しつつ、他面では日本社会のもっとも前近代的で保守的な旧勢力と政治的に連合した。

産業経営者層は、あえてもっとも保守的な政治勢力をバック・アップすることによって、左翼勢力に対抗し、統治の安定性を確保し、体制の現状維持をはかろうとしたのである。

吉田内閣末期の保守政治勢力の離合集散に不安と不満を感じた産業経営者層は、保守合同論のもっとも熱心な推進者となった。財界全体は、この時期に戦後の政治史においてもっとも活発に政治的発言を行った。

経団連、経済同友会などの財界諸団体は、繰りかえし保守勢力の合同の必要性を呼びかけ、保守派の内部抗争を非難しつづけた。財界指導層は、吉田内閣が不人気になると吉田退陣による保守勢力結集を目指して倒閣の圧力をかけた。

1954年12月、内閣不信任に対して吉田が国会解散・総選挙で対抗しようとしたさい、財界長老は緒方や池田に「解散しても政治資金の面倒は見ない」と通告した。それは吉田が政権を投げ出す直接の契機になった。

財界は、政治家からの資金の要求に個々に応ずることをやめ、ひとつにまとめる方策を講じた。1955年1月13日、財界指導者層は経済再建懇談会を設立し、政治資金ルートをここに統一しようとした。

この団体は、企業の政治献金に対する世論の批判により、1961年3月末に解散した。同年7月、自民党が国民教会を設立し、広く国民各層から募金することにしたが実質的には、これも財界の献金機関となった。

財界の指導層は、経済再建懇談会の成立により政治政治資金供給体制を合理化し統一するとともにいっそう強く保守合同を要求するようになった。

資金の需要側の保守勢力の分裂は資金の供給側の財界からみて不便なことであったから、保守合同はこの観点からも要請された。しかし、産業経営者層の最大の共通関心事は左翼の政治的進出の阻止であった。

産業経営者層は、保守の内部抗争が左翼に利用されるのを何よりも恐れた。≫


◆ 日本の政治体制全体をそっくり財界が買収

この部分を読むと、日本の政治は、この頃とあまり進歩していない、と感じます。

「この種の政治資金は、特定の産業・企業のために政治家を買収するというものではないが、いわば日本の政治体制全体をそっくり財界が買収するという性格を持っていた。」というところは、今日の日本において、ますます、ハッキリとしてきているようにおもえます。

今回の安倍政権が「ごり押しで成立させた、安保法案」も、そいう性格を持つものであると、思います。

これは、「武器輸出の自由化」とも関連しています。米軍やオーストラリアなどと「武器協定」取り結ぶことで、財界に貢献しようとするものである、と思います。


※ 次回は、財界が保守合同を求めた理由の、「第3の背景」についてみます。

(2015年10月10日)

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