(記事の内容とは県警がない) |
母親や祖母の「虐待」で苦しむ10歳の女児の、「”助けて”という声」のことである。その声を、児童相談所が無視をした。
結果、女児は、長崎県に対し「提訴」に踏み切った。
母親と祖母もそうだが、児童相談所の対応は、ひどすぎる。
10歳の女児が、母親や祖母から「虐待」を受けた。しかし、児童相談所は適切な対応を取らなかったとして、その女児が、提訴した。
学校関係者」の対応が、唯一、救いに思えるが、「もっと、踏み込んだ対応」は出来なかったのであろうか。
この記事は、「裁判が出来るかどうか」が問題になっており、それに必要な限りにおいての「虐待」の記述にしか、なっていない。
が、私の関心は、「裁判が出来るかどうか」より、この「虐待」そのものに関心がある。その限りにおいて、この記事を利用させてもらったに過ぎない。
◆ 「弁護士ドットコム」(=ヤフー)の記事より
≪児童が母親と祖母から虐待されているとの通報があったにもかかわらず、長崎県の児童相談所が適切な対応を怠り、虐待が続いたとして、長崎市の女児(10)が今年7月、長崎県に慰謝料50万円を求めて、長崎地裁に提訴した。
報道によると、女児は2010年4月ごろ、母親に肩をライターであぶられた。医療機関から通報を受けた児童相談所は母親と面会して指導したが、母親が姿を見せなくなってそのままに。
さらに、2014年10月には、女児が母方の祖母から髪をつかまれて、1メートル引きずられた。このことを知った学校関係者の連絡で、関係機関が対応を協議する「要保護児童対策地域協議会」が開かれ、出席者の多くが児童相談所に一時保護を要請した。しかし、児童相談所は応じなかったという。≫
◆ 「一人親」だから、という「甘え」がありはしないか。
この記事からは、「虐待」の全体像を知ることは出来ない。
だから、軽々しく「いい加減な判断」の基づいて、論評することは、避けるべきだと思う。それでで、この記事から読み取れる範囲内において、感想を述べておきたい。
私は、多少「子供の教育に関わった経験を持っている」が、もうずいぶん昔のことであるし、現状がどのようなものになっているのかは、よく知らない。
普段のニュースなどを呼んで、想像する程度である。
それでも、度々報道される「イジメ」に関するニュースなどで、大体「教育現場」の様子がわかる。
今の日本の家庭の様子も、分かる。
それにしても、この記事で出てくる「虐待」が事実だとすると、凡そ、人間とは思えないような「ひどさ」である。
恐らくは、ふだんから、もっと「ひどい」虐待を受け続けていたのではないかと、思える。
「祖母」とあるから、かなりの年齢を想像してしまいがちだが、この児童の年齢から推察すれば、50歳~60歳のあいだであろう。
もう十二分に、分別のつく年齢だ。
「目に入れても痛くない」ほどに可愛がる、というのが、孫を持つ人々の「常」であると、私は思っていた。
どうやら、この認識は、「改めるしかない」ような時期に来ているように感じられる。「悲しい」ことであるが、これが現実なのかもしれない。
「一人親」という、「訳の分からない」言葉を「流行」しているようだ。
一人であろうと、二人であろうと、「親であること」に変わりがない、と私などは思うのだが、世間では違うらしい。
「一人親」だから、という「甘え」がありはしないか。
◆ 何よりも問題なのは、行政(政府)の怠慢
もちろん、児童相談所の対応も、問題である。
児童相談所の業務は、法律により、以下のように決まっている。(wikipedia)
① 児童に関する様々な問題について、家庭や学校などからの相談に応じること。
② 児童及びその家庭につき、必要な調査並びに医学的、心理学的、教育学的、社会学的及び精神保健上の判定を行う。
③ 児童及びその保護者につき、前号の調査又は判定に基づいて必要な指導を行なうこと。
④ 児童の一時保護を行う。
この児童相談所は、①は、クリアーしている。
だが、②、③、④については、まったく、その責務を果たしていない。
もし、②の判定がしっかりできていれば、その時点で食い止めることが出来たであろう。
だが、児童相談所を責めるだけでは、問題の解決にはらないであろう。色々な評価がなされる、児童相談所ではあるが、ここで来ると、根本的な見直しが必要な時期に来ているのではないか。
そう思える。
個々の事例をもって、児童相談所全体を批判することは、適当ではないというう気もする。
何よりも問題なのは、行政(政府)の怠慢である。
安倍首相は、国民の命と暮らしを守ると、大見得を切った。
そうであるなら、今、安倍政権にとっての緊急の課題は、こうした問題を解決することにあるのではないか。
(2015年10月14日)