2015年10月16日金曜日

日本共産党「1960年代を通じて議会政治における地位を高めた」 

<web上「読書会」 正村(15)>を投稿します。
今回は、日本共産党の動きについて、観ていきます。


戦争が終わって、ようやく表舞台に登場してきた共産党であるが、この頃の共産党は、先行きが、依然不透明なものであり、「混迷」していた。だが、徐々に、議会政治における地位を高めていった。

ところで、自民党の『党の政綱』の第一項目は「国民道徳の確立と教育の改革」であり、「正しい民主主主義と祖国愛を高揚する国民道徳を確立するため、公教育制度を改革するとともに、教育の政治的中立を徹底し、また、育英制度を拡充し、青年教育を強化する」というものであった。

この政策は、自由民主党と日教組との激しい対立・紛争と原因となった。


◆ 方針転換を図る日本共産党

≪社会党統一および保守合同と同じ年に日本共産党が方針転換を発表した。

1955年7月27~29日、共産党は全国の党機関代表を集めて第六回全国協議会{6全協)を開催した。六全協は、1950年代以来の当分裂克服のため、除名処分などで党を離れた「国際派」の共産主義者たちを無条件で復党させるという方針を採択し、さらに、極左冒険主義(武力革命路線)、セクト主義、家父長的個人指導の克服を決議した。

「家父長的個人指導」は具体的には書記長徳田球一の指導を意味した。徳田は、1950年6月、GHQによる公職追放ののち地下活動に移ったが、すでに1953年10月に北京で病死(59歳)していた。

その事実は六全協に公表された。徳田が、中国に密航したのち野坂参三ととともにモスクワでスターリンと協議して新綱領(1951年10月の五全協で採択)を決定したことは、ずっとあとで明らかになった。

8月11日、六全協記念制作発表会に、潜航中の野坂参三、志田重男、今野与次郎が姿をあらわし団体等規制例違反で逮捕された。これらの幹部のうち徳田とともに武力革命路線の推進役であった志田は一九五七年に反党行為を理由に共産党を除名された。

六全協は、すでに確立された議会制民主主義に適応すべく日本共産党が戦略をし構成する出発点となった。しかし、六全協の決議自体は「一九五一年綱領の民族解放民主革命路線は完全に正しかった」と評価し、実は一九五一年綱領こそ武力革命方式を正当化する情勢分析と戦略を示したという事実を無視した。

共産等は、党員が党中央の方針と異なる見解を表明すること禁じているため、情勢分析と戦略について公然たる討論を発展させることが出来なかった。党員の多数が党中央に無原則の従う権威主義に慣らされれていたから政策転換は徐々に党中央の厳しい統制のもとでしか進められなかった。中央委員会のメンバーでも、少数派は、通常は、その見解を自由に下部党員に伝達できなかった。

六全協後、党幹部の勢力関係は徐々に変化し、宮本顕治が主導権を掌握した。宮本は、一九五〇年の分裂時に「国際派」に属したが、徳田主導下の党に復帰し、六全協後地位を強化した。

共産党は第7回大会(1958年7月)で1951年綱領を廃棄し、宮本体制確立後の第8大会(1961年7月)で新しい綱領を採決した。共産党は、1960年代を通じて議会政治における地位を高め、社会党の不振のなかで無視しえない政治勢力に発展し、民社党の形成や公明党の登場とともに野党勢力の「多党化」傾向の重要な一要素となった。


日本共産党の方針転換は国際共産主義運動の変動と深く関連していた。ソ連と中国の指導部は、1950年代には、西側諸国との平和共存政策を採用し、スターリン時代に武力闘争方式を採用した諸地域の共産党に対してお平和逃走手段を重視する路線に転換するよう圧力をかけていた。

ソ連は、スターリン死後の困難な調整の必要から西側諸国との関係の安定を望んでいた。中国も、朝鮮戦争で大きな犠牲と負担を仕入れれたのち、国内の経済建設による社会主義体制強化を湯施栓しようとと考え、国際緊張の緩和を期待した。

1953年9月にニキータ・フルシチョフが共産党第一書記に就任した。フルシチョフは、国内ではスターリン時代の秘密警察政治を漸次緩和し、対外政策の面では、ユーゴスラビアとの関係修復に努め、各国共産党の対立の調整に努めると同時に、アメリカなどの西側諸国との平和共存政策を推進した。

1956年2月14日~25日、ソ連共産党第20回大会が開催された。1952年19月以来4年4か月ぶり、1953年3月のスターリン死後最初の党大会であった。

この大会で、ソ連共産党は、両体制の平和共存の強調、戦争の不可避性の否定、社会主義への平和的移行の可能性の強調など、新政策を打ち出した。2月24日、フルシチョフはスターリンの凶暴で非道な独裁を暴露する秘密演説を行い、参加者に衝撃を与えた。1956年4月17日コミンフォルムの解散が発表された。≫


◆ 共産党の方が、柔軟な政治姿勢を示している

今日の日本の政治状況は、「共産等は、党員が党中央の方針と異なる見解を表明すること禁じているため、・・・党中央の厳しい統制のもとでしか進められなかった。中央委員会のメンバーでも、少数派は、通常は、その見解を自由に下部党員に伝達できなかった。」という個所は、「共産党」を自民党」に読み替えても、あてはまる事態になってきている。

むしろ、共産党の方が、柔軟な政治姿勢を示しているように感じられる。

今の自民党は、まるで、この「従来の共産党」のお株を奪ったような格好である。

志位委員長率いる、共産党が今後、どのような方向に歩んでいくのかについては、まだ、「余談を許さないものがある」という見方もあろう。

だが、今後の日本の国民にとって、「希望の灯」となるような党に変身することを願うものである。

(2015年10月16日)

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