2015年10月21日水曜日

教育の国家統制だ、「国立大学の人文系の見直し」

「白紙」の戻して、出直すべきである。
文部科学省が、全国の国立大学86校の2016~21年度の中期目標・計画の素案を公表した。

だが、きほどだされた「通知」を、馳文科相は「32点だ」と評価した。







 「北海道新聞」の記事より

文部科学省は20日、全国の国立大学86校の2016~21年度の中期目標・計画の素案を公表した。人文社会科学系学部・大学院の組織見直しを計画しているのは小樽商大など33校で、このうち道外の26校が「学部の見直しを行う」と明記、学部の新設や改編などにまで踏み込んだ。これとは別に茨城大や横浜国立大など道外9校が教員養成系学部のうち、教員免許の取得を卒業条件にしない「ゼロ免課程」の廃止を盛り込んだ。≫

 計画は国立大学法人評価委員会の審議を経て年度内に文科相が認可する。その後の取り組み状況が運営費交付金の配分に反映される。文科省は13年以降、グローバル化などに重点を置いた組織改革を国立大側に求めており、今後、文系学部で大幅な改編が進む。


◆  「白紙」の戻して、出直せ

国立大学法人は、中期目標・計画とかかわりなく運営費交付金が定率削減されたり、評価結果とかかわりなく文部科学大臣が「組織及び業務全般の見直し」の方針について指示を下している。

そのことから、法人化以前に比べて、政府の統制が、「格段に強まっている」と言われる。

この記事は、その事実を「裏書」するものである。

また、国立大学法人法の第三条は、「国は、この法律の運用に当たっては、国立大学及び大学共同利用機関における教育研究の特性に常に配慮しなければならない」とされている。(「wikipedia」)

そうであるのに、この条項は「事実上、有名無実にされている」と言われる。

文部科学省が、記事にあるように、一方的にこのような「中期目標・計画の素案」を公表することは、教育の国家統制を推し進めるものといわざるをえない。

このような「締め付け」は、文部省自らが、法律を無視することになり、到底許されるべきことではない。

今の、安倍政権のやり方は、もう「法治国家」の枠組みをはみ出している。
この手法は、まさに、「人治国家」の思想に基づくものだ。

 文科省は6月には、教員養成系と人文社会科学系の学部・大学院について、「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換を求める通知」を出した。

これに学会などが「文系軽視」と反発していた。
文科省は「誤解を招く表現だった」と釈明した。

先日、文科省の大臣に就任した馳死でさえ、その「通知」に対し、「32点だ」という評価をくだした。

そういう「代物」であった。
それを「運営費交付金」の分配を「ちらつかせることで、強制した。

これは、いわゆる「金目の問題である」ということが出来るだろう。

安倍政権は、「札束で国立大学関係者の、ほっぺた」をたたいた。
そう断ぜざるを得ない。

学問が、金銭で左右されるようになったら、この「世の中」は、お終いである。

従って、私は、文科省は、いったん、先の「通知」を含めて、白紙に戻し、検討し直すべきである、と思う。

(2015年10月21日)

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