2015年10月29日木曜日

日韓関係の課題ではない、「”竹島”問題は、”解決済み”である」 

<web読書会 正村(28)>です。今日は、昨日のつづきです。
日韓の問題について読んでいきます。内容は、「李承晩ライン」と「竹島」問題が、中心
になります。”竹島”問題は、すでに”解決済み”の問題です。


 「李承晩ライン」と「竹島」問題

≪日韓会談で韓国は日本に対し巨額の請求権を主張し、日本はこれに反対した。

アメリカ国務省は、第一次日韓会談終了後の1952年4月29日、「日本が平和条約によって韓国にたいしても請求権を主張できないという点を韓国は考慮すべきだ」とする見解をアメリカ駐在韓国大使に伝えた(公表されたのは1961年)。

請求権問題以上に日韓会談を難航させたのは、漁業問題であった。韓国大統領李承晩は、1952年1月18日、「海洋主権宣言」を発して一方的に公海上に境界線(李承晩ライン)を設け、日本漁船の立ち入りを禁止した。

その後、李ライン侵犯を理由に日本漁船が拿捕される事件が繰り返された。

・アメリカ軍は、日本占領後の1949年10月3日、日本漁船の操業許可区域を接待した。その境界はマッカサー・ラインと呼ばれていた。

マッカサー・ラインは、平和条約発効直前の1952年4月2日に廃止された。李ラインは、そのまえにマッカサー・ラインよりも日本側に寄った位置に設置され、西日本の漁民の操業に大きな打撃を与えた(1961年までに拿捕された日本漁船と漁民は282隻、351人に達した)。

李ラインは1965年の日韓漁業協定締結の時まで維持された。

・韓国政府は、1953年1月、日本海の無人島「竹島」の領有を主張した。

日本の海上保安庁巡視船が竹島付近で韓国船から発砲されたり、韓国側に拿捕されたりする事件も起こった。竹島は、平和条約発効後の日米行政協定にもとづき、1952年7月、日本政府が演習場としてアメリカ軍に提供したが、1953年3月に演習場指定が解除された。

・李承晩大統領は、李承晩ラインや竹島問題で韓国国民のナショナリスチックな感情を煽り、自己の政権維持に役立てようとした。

日本側の再軍備促進論者は、これらの問題を「独立国は軍備を持たなければならない」と主張する論拠に使った。



・1953年10月6日、日本側首席代表久保田寛一、韓国首席代表金溶稙により、第二次に関会談が開かれた。しかし、両国はやはり請求権問題と漁業問題で対立し、7月23日、自然休会に入った。


・1953年10月6日、第三次に会談が開始された(両国の代表は第二次と同じ)。10月15日、日本側首席代表久保田が、「日本の朝鮮統治は悪い面ばかりではなく、朝鮮に恩恵を与えた面もある。在韓国日本人私有財産を韓国が没収したのは国際法違反だ」などと発言したため、近国側が強く反発し、10月21日、決裂状態で終わった。

1955年3月9日、鳩山首相と重光外相は、韓国が李承晩ラインで譲歩すれば在韓日本財産請求権の放棄に合意するという点で両人の意見が一致したと述べた。

3月12日、韓国政府は李承晩ラインと在韓日本財産との取引には応じないと言明した。日本駐在アメリカ大使アリソンや訪韓したアメリカ国務長官ダレスなどが日韓関係の斡旋に努めたが成功しなかった。

岸内閣時代の1958年4月まで正式の日韓会談は中断したままになった。ただ、相互の抑留者の釈放問題で会談がもたれ、非公式の会談は断続的につづけらた。≫


◆ 韓国の国民は、「論理」を重要視する

何かと物議をかもし出すことが多い「竹島」ですが、この個所を読むと、その領有権は日本に帰属するものである、ということがはっきりと解ります。

そのことは、「ポツダム宣言」が、いることです。 
ですからそのことは、「論理」をもって韓国側に説明する必要があります。

彼らは、論理を重要視する国民性をもっているからです。
 
さて、安倍首相は、この「論理」をもって、韓国側を説き伏せることが出来るでしようか?

どうにも、「頼りない」と思えてしまうのは、私だけでしようか。


※ 今日で、韓国との関係につての読書は終了です。明日は、沖縄問題を取り上げます。

(2015年10月29日)

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