2015年10月8日木曜日

「泥沼化する世界、ナルシズムの時代」=“アイドル”化する国家と民族



<アイドル「恋愛禁止」裁判(下)>
“「泥沼化する世界、ナルシズムの時代」=“アイドル”化する国家と民族”を、投稿します。
二回にわたって、「アイドルと、『恋愛禁止』裁判」に関することを、検討してきました。今回は、それをもっと、押し広げて、世界的な規模(地球)で、
考えてみたいと思います。

もっとも、これは「言うは易し、行うは難し」で、そう簡単にできることではありません。
ここで、取り上げるのは、ごく、一般的な事についてです。


◆ 20年前の糸川博士の「憂い」

糸川英夫博士は、アイドル≪経済≫を分析する上において次のように指摘している。

≪ある統計によると、世界の150か所以上で武器を使用した紛争が現在起こっているという。驚くべきこの紛争の多発に、果たしてアイドル経済化が生んだ社会のナルシスト化が関係していないだろうか。
これらのなかでも、筆者が最近注目しているのがメキシコ先住民の反乱である。アメリカはNAFTA(北米自由貿易協定)という形で、カナダとともにメキシコを抱き込んだが、じつはとんでもない問題を抱えたのではないか。
いまはメキシコ政府に対する反抗で済んでいるが、メキシコとアメリカとの経済関係がNAFTAで密接になるにつれて、この反乱はアメリカに対するものになっていくと予測される。
自分たちの先祖伝来の土地に来て、メキシコの上流階級だけでなく、アメリカ人までもがなぜ、大きな顔をしているのだという方向に反乱が向かうだろう。
クリントン大統領は細川さんと同じ金銭疑惑で苦しんでいるが、将来的にはメキシコでも苦しむことになるだろう。≫
これは、今から20年前の北アメリカでの出来事についての、分析である。


◆ 世界中に蔓延する「アイドル=ナルシズム」現象

このような部族・民族間の紛争についても、アイドル経済が関係していると、糸川氏は観ている。

他人を愛さず、自分だけを愛しているからこそ、人の命を平気で奪うことが出来る、のだという。自分だけを愛して、そのためには何をやっても良いというナルシストの気風が感じられる、という。

このことは、今日の世界(地球上)にあっても、あまり変化していないように、私には思える。むしろ、もっと、状況は悪くなって来ていると、思う。国家も、民族も、アイドル化し、自分の国、自分に属する民族のことしか考えなくなって来ている。

例を挙げてみる。

・パレスチナとイスラエルの間での戦争。
・シリアの内戦におけるロシアと、米国の対立。
・イラクや、アフガニスタンの内戦。それに介入した米国やロシアなど。
・南シナ海で埋め立てを行っている中国、一方で、沖縄の米軍基地を決して手放そうとはしない米国。
・TPPで、環太平洋アジア地域の支配をもくろむ米国。
・アフリカの民族紛争。

これらは、全てが、自国だけを、自分たちの民族だけを、愛するというところが出発点になっているように思える。

そのためには、敵対する相手がどうなろうと、関係がない。他国や、他民族を愛さず、自分だけを愛し、自分の利益だけを追求する。それが当然のことだ、という「アイドル化現象」が現れている。


◆ 自分だけを愛し、他人を顧みない「アイドル=ナルシスト」

ISIL(イスラム国)の「戦士」が、敵対者を残酷な方法で処刑すると、「とんでもないことをする」と、米国や日本などは、非難をする。

一方で、無人機を使って爆撃を繰り返し、多くの兵士や、民間人を虐殺している米軍への非難は、米国や日本などでは、あまり聞かれない。

イスラエルとパレスチナとの間の紛争では、イスラエルは、「イスラエル人一人の死」に対して、「パレスチナ人10人の死」をもって償わせる、と言われる。

これなども、自分たちだけを愛するという、ナルシシズムに基ずく「報復思想」であろう。他国のことなど、どうでもよい。自分たちこそが、「神から選ばれた」民族である、という「アイドル」的な歴史思想に基ずくものであろう。

「ナルシスの故事」は、他人を愛するのが人間の本来の姿なのに、自分しか愛せないものは他人を愛せない。それは許されないことだ、という「戒め」であった。

「ナルシスの危険」は、自分以外の人間を愛せなくなる、ことであった。それは、上に観てきたような、国と国との間でも、民族と民族との間でも、共通する「危険」であるように、私には思える。


「アイドル=ナルシズム」は、現代の混迷する世界(地球上の)を読み解くための重要なキーワードである、と思う。そして、それは、解決への糸口を示唆する言葉でもある、と思う。


 今回で、<アイドル「恋愛禁止」裁判>についてのシリーズを終了します。
最後の回では、地球レベルのことにまで言及することになりました。

上手く表現出来たかどうか、あまり自信がありません。私の認識自体に「誤り」があるかもしれません。あくまでも、私自身の考えであって、実際にそうであるかどうかは、読者の一人一人で、検証して頂けると、ありがたいと思っています。

(2015年10月8日)