読書ノート。児島襄著「講和条約」。それを徹底して、追求した本書は、現在においても、第1級の資料である。
副題は、「戦後日米関係の起点」。まさに、ここが、「新生」日本の起点であった。それを、児島氏は、時折、自身の感想を挟みながら、「坦々と」記述していく。
手に取ると、ずっしりと重い。手で支えて読んでいられるのは、5分間程度が限界である。この本は、頁数が700ぐらいある。判型もB5より少し小さいサイズであり、普通の本より、一回り大きい。厚みは、4センチ弱。
台に乗せなければ、長時間読み続けることが出来ない。しかも、3巻本なので、まだ、半分も読んだことにならない。
使われている文字は小さく、国語辞典に使われているような細かい文字だ。2段組みになっている。図表、写真の類は、一切ない。
コツコツと読んでいては、読み終わるのがいつのことになるか分からないから、一気に読むことにした。一日に読むページ数を決め、鉛筆でチェックをしながら、ひたすらに読み進めた。
◆ 「講和条約」と日本占領
もともと、日本の歴史ーー特に戦後の歴史のことは――ついては、詳しくない。高校の時は、歴史は必修ではなく、高校を出た時は、中学で習った以上のーー日本の歴史ーー知識はなかった。
その後、自分で勉強して、多少は知識を増やすことが出来た。特に、旧中央公論社版の『日本の歴史』で基礎的な知識を得た。
しかし、旧中公版も、全集という性格上、個々の事例についてはそれほど詳しい記述がない。まして、戦後史については、一冊が充てられているだけである。
そこで、「戦後史」について、改めて、勉強し直すことにした。この本を読む前に、正村公宏『戦後史』(上下巻 筑摩書房)を読んだ。
今、その本を別のサイトで、取り上げている。が、この『戦後史』にしても、まだ、十分ではない。それで、この『講和条約』を読むことにした。
もちろん、この本は「講和条約」を取り扱ったものであり、「まんべんなく」戦後の歴史を記述したものではない。
だが、この本は、「講和条約」の成立までを扱っているから、それは同時に「占領期の日本の歴史」について書かれた本であると、言っても良い、と思う。
つまり、この本では、1945年9月1日から1951年9月14日までが、対象である。まだ、この時点では、朝鮮戦争は起きていない。
章のタイトルは、「年月日」で示されている。もちろん、小見出しは、具体的な「事件」などで示されている。
第一巻は、1948(昭和23)年12月までが、その範囲である。
◆ 目を見張る」R・アイケルバーガー中将
この本は、「講和会議」に関することでも、他のことでも、日本だけの動きを追うのではなく、米国、中国、ソ連など、他の国の動きを交え、--いわば重層的にーー記述しているところにその特徴がある。
だから、多面的に知ることが出来る。
児島は、多くの資料を駆使しながら、本当に詳しく我々読者をーーこの時代にーー「案内」してくれる。
中ほどでは、「退屈する」ほど、講和条約の内容について、日本側、米側、ソ連、などの動きを紹介する。
だが、それが「退屈」なのは、その時のそれぞれの国の「動き」が、「そういう状況にあった」ということであり、児島氏の記述が原因ではない。
冒頭、児島氏は、次のように書く。
「厚木飛行場に到着した第8軍司令長官R・アイケルバーガー中将は、日本軍機がすべてプロペラをはずし、出迎える日本軍将校がいずれも丸腰であるのを見て、目を見張った。
先見隊長の報告によれば、横浜地区の日本軍は武装を捨て、大森海岸には慰安婦施設が用意され、歓迎がととのっておりという。
中将は唖然とした。
降伏条件と占領目的の第1眼目は、日本軍の武装解除であるが、それを日本側が自発的に染ませてしまっているである。
「われわれの仕事はなくなりましたな」日本軍の武装解除が「スムーズ」に行われたことで、 占領目的をほほ達成できたかに見えたが、「講和」後の日本をどうするかということを考えると、問題は山積していた。
と、参謀長C・バイヤース少尉がささやくと、中将もうなずいた。」(11P)
何よりも、その講和条約」の内容をどうするかということが、問題であった。日本がーー太平洋や中国大陸などにおいて――戦った相手は、米国だけではないからである。
文庫本「全12巻」 |
◆ 「米国が望む範囲」の民主化
また、肝心の米国内においても「混乱」があった。マッカ―サー元帥と、その部下たち、本国の政府など、「三つ巴」「四つ巴」の「暗闘」が起きた。
マッカ―サー元帥も、占領が一段落すると、「大統領選のこと」に気をとられるようになっていった。
また、重要な人物があいつで「いなくなり」、「占領目的の変更」もあり、混沌としてきた。
もちろん、日本の国内も、まだ、安定している」という状態からは、ほど遠いのが、現状であった。政党も、「コップの中の戦い」に始終した。
占領下であり、主導権がマッカ―サー元帥にあり、「元帥の命令」には背くことが出来ないからであった。マッカ―サー元帥の命令は、絶対であった。
日本の国民も、生活の立て直しに「必死」であった。まずは、その日を無事に生き抜くことが要請された。政治より、講和条約より、「腹を満たすこと」が、先決であった。
だが、そういう中においても、民主化は、進んだ。しかし、その民主化も、あくまで「米国が望む範囲」においての、民主化であった。
それを象徴するのが、マッカ―サー元帥による「2・1ゼネスト中止命令」である。
また、憲法改正」後は、内閣にも、始終介入した。児島氏の筆は、それを見事に描き出して見せる。
◆ 東京新聞に連載
とにかく、長い。感想を書いていくと、キリがない。
この本を、「寝転んで」気軽な姿勢で読みたい、という向きには、文庫もある。私は、偶然、これをアマゾンで見つけて、買った。
この本は、私の別のブログ、『読書会』で、取り上げ読んでいく予定にしている。
尚、この本の元記事は、東京新聞に連載されたものである。
ー図書案内ー
書名 ・・・ 『講和条約』第1巻
著者 ・・・ 児島 襄
全ページ数・・・ 679
版元 ・・・ 新潮社
発行 ・・・ 1995年
(2015年12月8日)
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