2015年12月15日火曜日

日米安保条約改定阻止国民会議と、安保改定阻止

<正村 戦後史(66)>
今日は、安保改定反対闘争を見ていきます。ただ、この時点においては、条約が締結される前の段階であり、それほど、「激しい」反対運動にまで発展はしていません。



 日米安保条約改定阻止国民会議と、安保条約改定阻止

【1959年2月28日、総評主催の安保改定反対・日中国交回復実現国民大会が開催された。

・3月9日、社会党訪日団の団長浅沼稲次郎(社会党書記長)は、北京の中国人民外交学会で挨拶し、「アメリカは中国の一部である台湾に力を拡大し、日本においては沖縄を占領している。アメリカは日中両国民共同の敵だ」と語った。

さらに、3月12日の講演でも「アジアにおける核非武装と外国基地の撤去が両国国民の共通の課題であり、アメリカ帝国主義は両国国民の共同の敵とみなしてたたかわなければならない」と述べている。

中国人民外交学会会長張?若と浅沼の共同コミニュケは3月17日に発表された。そのなかで、中国側は、中国敵視政策をやめること、二つの中国をつくる陰謀に荷担しないこと、日中両国の国交正常化を妨げないことの3原則を岸内閣が認めれば現在の行き詰まりは打開できると主張し、日本が平和中立の道を歩むことを希望するといいう立場をあきらかにした。

・3月28日、日米安保条約改定阻止国民会議が結成された。これには警職法改悪反対国民会議に参加した団体のほとんどが加盟したが、全労会議は不参加の態度をとり、代わって共産党がオブザーバーとして参加を認められた。

安保条約改定阻止国民会議は、4月15日の第1次の統一行動を組織し、1959年のうちに10回、1960年5月19日の新安保条約強行採決の日まで5回、同年10月20日までにさらに8回の統一行動を組織した。

安保条約改定阻止国民会議
全国各地で集会・デモが行われ、また、後半には、有力組合が時限ストを決行し、国鉄の大量運転休止を出すなど、強力な行動が展開された。東京では、新安保条約の国会審議に対応して国会請願デモが繰り返し組織され、参加者の数が増加していった。

・1959年3月30日、東京の立川基地拡張反対闘争によって起きた「砂川事件」(反対派の基地内立ち入りが刑事特別法違反で起訴された)について、東京地裁伊達秋雄裁判長が「アメリカ軍の日本駐留は憲法違反だ」として無罪の判決を行った。

検察側は最高裁に「跳躍上告」し、最高裁は12月16日に原判決破棄の結論を出した。しかし、伊達判決は、憲法と安保条約との関係について1つの法律的な解釈を示したものとして、アメリカ軍基地反対闘争や安保条約改定反対闘争を力づけることになった。

・4月9日、閣議は日米安保条約改定要綱・行政協定調印要綱を了承した。4月13日、藤山外相とマッカ―サー大使との安保条約改定交渉が再開された。5月15日、茨木県磯崎沖で地元の漁船200隻がアメリカ軍の船を包囲し、爆撃訓練を阻止するという事件が起こった。

・6月2日、参議院議員選挙が行われた。「警職法騒動」のあとでもあり、安保条約改定交渉が開始直後の国会議員選挙であったから、国民の動向を知るうえで重要な意味をもっていたが、投票率は参院選が始まって以来最低の58・7%であった。

自民党は、補欠を含む改選議席127のうち71議席(55・9%)を獲得した。非改選議員を含む自民党の議席は1956年7月8日の参院戦直後に124であったのにたいし、今回の選挙の直後には135になった。

社会党は前回の参院戦直後の81から今回の84に増加した。緑風会が激減し、その多くの部分を自民党が獲得した。この選挙で創価学会が初めて国政選挙に登場し、6人を立候補させ、全員を当選させて注目された。

参院戦では、安保条約改定問題や日中問題などのような外交案件については一般国民の関心が薄く、警職法騒動にもかかわらず岸内閣と自民党にたいする支持は大きくは変化していないことが示された。

岸はこれによって自信を得た。】


 岸を手本

国会の安保関連法案の時もそうですが、肝心の選挙で国民が「NO」の意思表示をしない。そのあとであわてて、反対を表明する、というパターンは、この安保条約改定においても見られました。

この時の参院選の実態がいかなるものであったか、ということについては正村氏は、詳しく記述していません。

岸や、自民党は、安保条約改定問題を選挙の論点にすることを避けたのではないかと言う気がしています。それは、安倍首相が、そうしているからです。

安倍首相は、「全て」において、岸を手本としていると思えるところから、そう感じるのです。


このあとは、三池闘争、安保強行採決、安保反対闘争を見ていきます。長くてうんざり」されていると思いますが、もうしばらく、「ガマン」してください。

そのあとは、沖縄問題を取り上げて、ひとまず、正村氏の『戦後史』から離れて、戦後史に関する他の本を取り上げていきたいと考えています。

それは、講和条約や、占領政策に関することを重点としたものになる予定です。

(2015年12月15日)

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