2015年12月16日水曜日

全学連と、社会党が分裂 民主社会党の誕生

<正村  戦後史(67)>
昨日に続きです。全学連と、社会党が、分裂。戦うべき相手を「見誤り」、岸内閣を利する結果を招くことになります。



 全学連と、社会党が分裂。民主社会党の誕生

【6月16日、総評の太田議長と岩井事務局長が社会党と共産党の共闘の強化を要望すると発言した。

・6月18日、岸は内閣改造を実施した。藤山愛一郎と佐藤栄作蔵相以外の閣僚のすべてを入れ替えるという大改造であった。岸は池田隼人と河野一郎に入閣を求めたが、河野は佐藤蔵相の更迭とみずからの幹事長就任を主張して譲らず、結局、入閣を拒否した。

池田は通産相に就任した。防衛庁長官には赤城宗徳が就任した。福田赳夫は農相になり、幹事長には川島正次郎が再び就任した。

・6月5~8日、全学連大会が開催され、前年6月に日本共産党本部と衝突したトロッキスト的なグループを中心とする「反代々木系」と、共産党の影響下にある「代々木系」の対立が表面化し、反代々木系が指導権を掌握した。

この時期から、全学連は、事実上、両派に分裂して行動するようになり、反代々木系の主導する全学連主流派は、安保条約改定阻止闘争においてもっとも先鋭な行動を展開した。

そのためしばしば共産党と対立し、また国民会議と摩擦を起こした。

6月30日、沖縄の宮森小学校に米軍機が墜落し、住民と学童の17人が死亡し、121人が重軽傷を負うという惨事が発生した。

・政府は、7月の岸の中南米とヨーロッパへの旅のまえに新安保条約の調印を実現しようと交渉を急ぎ、6月中旬には合意の達するまで進んだ。しかし、6月下旬、日本政府側が新条約調印の延期を申し出た。

自民党内でも反主流派の河野一郎、三木武夫,松村謙三などが改定に厳しい条件を要求し、または日中関係優先の観点から反対の意見を表しはじめており、岸が党内調整の必要を認めたためと推測される。

岸が自民党両院議員総会で新安保条約了承を取り付けたのは10月26日であった。

・4月の統一地方選挙と6月の参議院選のいずれも不振であった社会党では左右の対立が表面化した。右派は以下の点を主張して左派と対立した。

(1) 社会党は、二大政党時代の野党としての性格をはっきりさせる必要があり、「階級政党」から「国民政党」に脱皮する必要がある。

(2) 安保改定反対闘争で共産党と共闘する印象を国民に与えているのは好ましくない。安保阻止国民会議は共産党と共産党系の団体を排除して再組織する必要がある。

(3) 安保条約については、改定反対を叫ぶだけでなく対案を出す必要がある。

(4) 社会党は総評に引き回され、党としての主体性を失っている。この点を是正する必要がある。

・元書記長の西尾末広はこれらの主張を公然と各地で語るようになり、安保条約改定に関しては原則的に承認するという見解を述べた。 

9月12日に開催された社会党大会では左派が西尾除名を提案したが否決され、13日に西尾を統制委員会に付託することが決議された。西尾派は大会をボイコットし、再建同志会を結成した。社会党大会16日にいったん休会した。

10月15日社会党の統制委員会は左派だけで西尾譴責処分を可決した。10月16日、西尾派欠席のまま社会党大会が再開され、17日、委員長鈴木茂三郎、書記長浅沼稲次郎を4選した。

西尾派や河上派の一部など社会党右派の有志は、10月25日、社会党を離党し、独立の院内会派(社会クラブ)を結成、翌1960年1月24日に民主社会党を結成した(委員長西尾)。

民主社会党は、衆議院議席は40、参議院は17で出発することになった。】


 戦うべき相手は誰か

こうして見てくると、――これまでにも、何度か、言及したことですが――政党のやることは、今も昔も変化が見られません。

戦うべき相手と戦わず、内部でもめて、相手を有利にさせてしまっています。一体、彼らは、「誰のために」戦っているのでしょうか。

私には、「彼ら自身にため」であって、「国民の為」ということは忘れられているように思えます。

それで、一体、何が得られるというのでしょうか。それで、国民の支持が得られると考えているのでしょうか。

もし、そう思っているとしたら、とんでもない「間違い」をしているということになると思います。

それは、その後の社会党、民主社会党の「運命」を考えらば、よく解ります。結局、彼らは、国民の支持を得られず、「消滅」することになりました。


また、「6月30日、沖縄の宮森小学校に米軍機が墜落し、住民と学童の17人が死亡し、121人が重軽傷を負うという惨事が発生した」と言う事件について、詳しい言及がないのが、気になります。

ここの事実をどう「扱うか」は、著者の考えによるのですが、あまりの「あっさり」とした記述に驚かされました。

「これで終わり」?という感じを持ちました。

明日は、新安保条約の調印です。

(2015年12月16日)

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