<正村 戦後史(65)>
日米安保条約改定交渉が、1958年10月4日の岸首相、藤山外相、マッカーサー大使の3者会談で開始されます。
その後の日米安保条約改定交渉は、藤山外相とマッカ―サー大使とのあいだで進められていきます。
★ 日米安保条約改定交渉=東京
【東京における日米安保条約改定交渉は、1958年10月4日の岸首相、藤山外相、マッカーサー大使の3者会談で開始され、その後の藤山外相とマッカ―サー大使とのあいだで進められていた。
まず、アメリカ側が新安保条約の草案を示し、それを出発点にして主要な論点についての双方の意見が交換された。
・アメリカ側としては、1948年の連邦議会におけるバンデンバーグ決議により、軍事的同盟関係の維持のためには双方が「継続的かつ効果的な自助および相互援助の基礎」に立つことが条件とされており、個別的および集団的な自衛権の行使が可能であることが前提と理解されていた。
・アメリカ側が、第3国の日本に対する攻撃をアメリカに対する危険と考えて日本と共同して軍事力を行使することを約束する以上は、日本側も、第3国のアメリカにたいする攻撃を日本に対する攻撃と考えてアメリカと共同して軍事力を行使することを約束する必要があった。
そのような「集団的自衛」の原則を認めるのでなければ「双務的」な条約とはいえないわけである。
しかし、鳩山・岸両内閣の与党である日本民主党や自由民主党が繰り返し憲法改正問題を提起したにもかかわらず、国会では改憲派が3分の2を獲得するにいたらず、日本の軍事力の行使を厳しく制限している第9条の破棄もしくは修正の可能性は、当面、なくなっていた。
政府は、国内の政治的空気を考え、現行憲法のもとでは日本は集団的自衛の権利は行使できないという解釈をとらざるをえなかった。
したがって、日本はアメリカに日本防衛を要請するがアメリカ防衛のための行動はしないということにならざるをえなかったのである。
安保条約改定について日本側がとくに要望したのは以下の点であった。
(1) 安保条約と国連憲章との関連を明確にすること。
(2) アメリカの日本防衛の義務を明確に規定するとともに日本の負う義務が憲法の範囲内であるk徒を明記すること。
(3) アメリカ軍の配備については日本政府と事前に協議すること。また、日本防衛以外の戦闘のためにアメリカ軍が日本の基地を使用する場合にも日本政府と事前に協議すること。
(4) 現行安保条約にある「1または2以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた日本国における大規模な内乱及び騒擾を鎮圧するために」アメリカ軍を使用できるという規定(内乱条項)を削除すること。
(5) 現行安保条約には期限の規定がないが、新安保条約は期限を明記すること。
・これらの日本側の要求のうち、バンデンバーグ決議との関連でとくに問題になったのは(2)の防衛義務の規定であった。アメリカ側は、当然、日本が安保条約を「双務的」なものとすることを希望するのならば日本も相応の負担を負う必要があると主張した。
しかし、アメリカも日本側に憲法上の制約があることは認めざるをえなかったし、その憲法自体、実は、戦後にアメリカ占領軍が日本に強制したものであるという経過も無視できなかった。
さらに、そうした憲法上の制約や日本の政治情勢から考えて日本の軍事上の行動がアメリカに期待するものに容易になりえないとしても、アメリカにとって日米同盟を維持することは重要であると判断された。
そのように判断される限り、日本の国民感情を考えて「対米従属」という批判を招きやすい現行安保条約のある程度の修正は必要であると認めざるをえなかった。
・アメリカ側は、「集団的自衛」の原則を強調したけれども最後には日本側の要求をいれ、条約の「双務性」についても日本が受容しえないような厳しい規定を要求することを回避し、表現を曖昧にしておくことを認める態度をとるようになった。
しかし、その曖昧さそのものが、のちの国会で多くの論議を呼び、反対運動の火をいっそう激しく燃え上がらせる役割を演じた。
・マッカ―サー大使と藤山外相の交渉は、むしろ日本国内の政治状況の不安定化のために繰り返し中断されることになった。1958年10月22日、第2回安保条約改定交渉でアメリカ側は新条約の基本的な草案を示し、適用範囲を「西太平洋」とするとこを主張した。
10月23日、岸首相は、国会で「自衛権は沖縄に及ぶ」と述べ、また31日には適用範囲から「西太平洋」は除くと発言した。11月13日、藤山外相は、警職法問題で国会が混乱状態に陥ったためにその正常化まで交渉を延期すると言明した。
12月16日の第3回の安保条約改定交渉の席で、藤山は「国内世論と自民党内情勢のために」交渉延期を要請し、交渉は一時中断した。】
★ 「深刻なジレンマ」
日米安保条約改定交渉が、東京で始まります。日本国憲法下での「軍事力の行使」は、当然、憲法に抵触する危険性があります。
かと言って、「片務的」なものでは、「改定」したことにはなりません。
まして、その「足かせ」となっている憲法は、米国が日本の「押し付けた」ものですから、米国もそれを無視するわけにはいきません。
ここに両者の「深刻なジレンマ」が、あったと思われます。
憲法に抵触しないように配慮しつつ、より「双務的」なものにする。その結果、考え出されたのが、「憲法の範囲内において」と言う規定である、ということができるでしょう。
明日は、この改定に反対する国民の動きを見ていきます。
(2015年12月14日)
日米安保条約改定交渉が、1958年10月4日の岸首相、藤山外相、マッカーサー大使の3者会談で開始されます。
その後の日米安保条約改定交渉は、藤山外相とマッカ―サー大使とのあいだで進められていきます。
★ 日米安保条約改定交渉=東京
【東京における日米安保条約改定交渉は、1958年10月4日の岸首相、藤山外相、マッカーサー大使の3者会談で開始され、その後の藤山外相とマッカ―サー大使とのあいだで進められていた。
まず、アメリカ側が新安保条約の草案を示し、それを出発点にして主要な論点についての双方の意見が交換された。
・アメリカ側としては、1948年の連邦議会におけるバンデンバーグ決議により、軍事的同盟関係の維持のためには双方が「継続的かつ効果的な自助および相互援助の基礎」に立つことが条件とされており、個別的および集団的な自衛権の行使が可能であることが前提と理解されていた。
・アメリカ側が、第3国の日本に対する攻撃をアメリカに対する危険と考えて日本と共同して軍事力を行使することを約束する以上は、日本側も、第3国のアメリカにたいする攻撃を日本に対する攻撃と考えてアメリカと共同して軍事力を行使することを約束する必要があった。
そのような「集団的自衛」の原則を認めるのでなければ「双務的」な条約とはいえないわけである。
しかし、鳩山・岸両内閣の与党である日本民主党や自由民主党が繰り返し憲法改正問題を提起したにもかかわらず、国会では改憲派が3分の2を獲得するにいたらず、日本の軍事力の行使を厳しく制限している第9条の破棄もしくは修正の可能性は、当面、なくなっていた。
政府は、国内の政治的空気を考え、現行憲法のもとでは日本は集団的自衛の権利は行使できないという解釈をとらざるをえなかった。
したがって、日本はアメリカに日本防衛を要請するがアメリカ防衛のための行動はしないということにならざるをえなかったのである。
マッカーサー大使、岸首相、藤山外相、 |
(1) 安保条約と国連憲章との関連を明確にすること。
(2) アメリカの日本防衛の義務を明確に規定するとともに日本の負う義務が憲法の範囲内であるk徒を明記すること。
(3) アメリカ軍の配備については日本政府と事前に協議すること。また、日本防衛以外の戦闘のためにアメリカ軍が日本の基地を使用する場合にも日本政府と事前に協議すること。
(4) 現行安保条約にある「1または2以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起こされた日本国における大規模な内乱及び騒擾を鎮圧するために」アメリカ軍を使用できるという規定(内乱条項)を削除すること。
(5) 現行安保条約には期限の規定がないが、新安保条約は期限を明記すること。
・これらの日本側の要求のうち、バンデンバーグ決議との関連でとくに問題になったのは(2)の防衛義務の規定であった。アメリカ側は、当然、日本が安保条約を「双務的」なものとすることを希望するのならば日本も相応の負担を負う必要があると主張した。
しかし、アメリカも日本側に憲法上の制約があることは認めざるをえなかったし、その憲法自体、実は、戦後にアメリカ占領軍が日本に強制したものであるという経過も無視できなかった。
さらに、そうした憲法上の制約や日本の政治情勢から考えて日本の軍事上の行動がアメリカに期待するものに容易になりえないとしても、アメリカにとって日米同盟を維持することは重要であると判断された。
そのように判断される限り、日本の国民感情を考えて「対米従属」という批判を招きやすい現行安保条約のある程度の修正は必要であると認めざるをえなかった。
・アメリカ側は、「集団的自衛」の原則を強調したけれども最後には日本側の要求をいれ、条約の「双務性」についても日本が受容しえないような厳しい規定を要求することを回避し、表現を曖昧にしておくことを認める態度をとるようになった。
しかし、その曖昧さそのものが、のちの国会で多くの論議を呼び、反対運動の火をいっそう激しく燃え上がらせる役割を演じた。
・マッカ―サー大使と藤山外相の交渉は、むしろ日本国内の政治状況の不安定化のために繰り返し中断されることになった。1958年10月22日、第2回安保条約改定交渉でアメリカ側は新条約の基本的な草案を示し、適用範囲を「西太平洋」とするとこを主張した。
10月23日、岸首相は、国会で「自衛権は沖縄に及ぶ」と述べ、また31日には適用範囲から「西太平洋」は除くと発言した。11月13日、藤山外相は、警職法問題で国会が混乱状態に陥ったためにその正常化まで交渉を延期すると言明した。
12月16日の第3回の安保条約改定交渉の席で、藤山は「国内世論と自民党内情勢のために」交渉延期を要請し、交渉は一時中断した。】
★ 「深刻なジレンマ」
日米安保条約改定交渉が、東京で始まります。日本国憲法下での「軍事力の行使」は、当然、憲法に抵触する危険性があります。
かと言って、「片務的」なものでは、「改定」したことにはなりません。
まして、その「足かせ」となっている憲法は、米国が日本の「押し付けた」ものですから、米国もそれを無視するわけにはいきません。
ここに両者の「深刻なジレンマ」が、あったと思われます。
憲法に抵触しないように配慮しつつ、より「双務的」なものにする。その結果、考え出されたのが、「憲法の範囲内において」と言う規定である、ということができるでしょう。
明日は、この改定に反対する国民の動きを見ていきます。
(2015年12月14日)
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