2015年12月8日火曜日

岸内閣と「日米安保条約」改定交渉の開始

<正村 戦後史(62)― 日米安保条約改定ー
今日から、また、下巻に戻りました。再び、日米安保条約改定の状況の観ていくことにしたいと思います。

「日米安保条約」改定は、日本にとっては、「二度目の正直」です。そして、さらにこのーー実質的にーー「改定を改定した」のが、岸の「孫」の安倍首相ということになります。

その意味では、日本の国民は、二度のわたり岸・安倍の家系に「蹂躙された」ということになると思います。


 「日米安保条約」改定交渉

【1958年6月12日、総選挙後の首班指名投票が行われ、岸が再選された。衆議院の得票は、岸290票、鈴木茂三郎162票であった。同日、第2次岸内閣が成立した。

外相は藤山が留任し、蔵相佐藤栄作、文相灘尾弘吉、通産相高崎辰之助、経企庁三木武夫などが就任、池田隼人は国務相として入閣した。官房長官は愛知揆一に代わって赤城宗徳が就任した(愛知は労相)。

自民党幹事長は川島正次郎が留任、政調会長は三木に代わって福田赳夫が任命された。重要な地位に岸派と佐藤派を配置し、同時に反主流派の池田や三木を取り込んでの政局の安定をはかった。

・岸は、組閣後の談話で、「今回の選挙で保守・革新2大政党によって民意が問われ、自民党が圧勝したことは、国民が進歩的保守政治を求めていることを実証した」と語った。

6月17日の国会における初心表明演説では、(1)民主政治の擁護、(2)外交3原則(国連中心、自由主義陣営との協調、アジアの一員としての立場の堅持)、(3)経済正常化、(4)減税と国民年金の創設、などの方針を示した。

・民主政治の擁護に関しては、「極左・極右の活動を抑制しなければならない。公然と法の秩序を無視し、あるいは集団の圧力によって国会の自由な活動を不当に掣肘する傾向があるのは遺憾だ。このような非民主的な活動にたいしては毅然たる態度で臨む」と述べた。

自民党は、保守合同後最初の総選挙で解散前の勢力を確保して国民の信任を得たとして高姿勢を示すようになり、国会役員については、旧来は副議長や一部の常任委員長を野党に譲っていたのをやめ、すべてを自民党が独占した。

6月25日、自民党6役会議は日中貿易議員促進連盟解消の方針を決定した。27日、同連盟理事会が連盟の存続を決定すると、7月1日、自民党幹事長が自民党議員は同連盟に参加しないようにという通達をだした。

藤山と岸
・7月18日、藤山外相は駐日アメリカ大使マッカーサー(戦後初期の最高司令官のマッカーサーとは別人)と会談し、安全保障条約改定問題で日本側の見解を伝えたいと述べ、30日にあらためて会談することになった。

7月30日、藤山は、日本の国民感情などを考慮し、安全保障条約改定について日米間の協議を開始したいと述べた。マッカ―サーは、現行安保条約を前提として補助的な取り決めを行う方式と、現行憲法と両立しうる相互援助型の新条約をつくる方法のいずれを希望するのかと質問した。

・憲法改定が当分不可能であることはアメリカ側も熟知していた。「相互援助型」といっても日本の海外派兵などが不可能だという憲法上の制約を前提とせざるをえない。その制約を考慮しても改定の可能性があることをマッカ―サー大使は示唆したのである。

・この年5月にレバノンで大規模な反政府・反米の暴動が起こった。7月にはイラクでクーデターが発生して親欧米的であった王政が打倒された。レバノン大統領シャムーンらの親欧米路線とエジプト大統領ナセルらの汎アラブ主義の対立がからみ、中東全体が緊張状態になった。

親欧米派のアラブ諸国首脳の要請で、7月にアメリカ軍が海兵隊を、またイギリス軍が空挺隊を派遣した。藤山は、この事件のために8月に改正された国連緊急総会に出席のため、ニューヨークに行き、そこでダレス国務長官と会談した。

・帰国後の8月25日、岸首相、藤山外相、マッカ―サー大使の会談が行われた。この席で、岸は、「条約を根本的に改定するということになれば国会において烈しい論議が予想されるが、烈しい論議経てこそ日米関係を真に安定した基礎の上に置くことができるのであって、出来れば現行条約を根本的に改定することが望ましい」と述べた。

8月27日、岸は伊勢神宮参拝の途中の記者会見で、「岸内閣に目標は、内に国民生活の安定、外には日本の国際的地位の向上であり、このため政権担当者としては、長期安定ということにとらわれず、むしろ短期断行の心構えで望む」と語った。

9月11~12日、藤山外相は、ワシントンで再びダレスと会談し、日米安保条約改定問題を提起した。

ダレスは、自分は現行条約の産みの親の一人だし、現行条約はその使命を果たしてきたと思うが、これに固執して改定に頭から反対するつもりはないと述べ、新条約締結が困難になったときには、現行条約を前提とする補助的取り決めなどの他の方法に戻るという留保をつけつつ、新条約締結の方法を探求する用意があると発言した。

9月12日に共同声明を発表、帰国後、10月4日に再び、岸、藤山、マッカ―サーの三者会談が行われ、東京で安保条約改定交渉が開始された。】


 「日米安保条約」の改定と「占領の継続」

総選挙後において、日本の国民が岸の自民党を選んだことで、安保改定が現実のものとなりました。

それは、実質的には、米国による「占領の継続」を意味するものであった、ということが出来ると思います。

安保条約改定は、このあと、紆余曲折をへて、成立することになりますが、その過程がいかなるものであったかということについて、これから、さらに詳しく見ていきたいと思います。

こらからあと、「警職法改定」、「三池闘争」、「安保反対運動」、安保改定の「強行採決」などを、読んでいく予定です。

(2015年12月8日)

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