2015年12月16日水曜日

TVの不偏不党「放送法は公権力のTV放送への介入を禁じている」 


「はい、嫌いです」と、私なら答える。「週プレnews」が、是枝裕和氏と、古賀茂明氏の対談を載せた。テレビ放送の「政治的中立」の関することを論じたものだ。放送法と、公権力の関係に言及、今のテレビが安倍政権に取り込まれている現状に警鐘を鳴らした。
タイトルは、「「みんなTVが嫌いなのかな?」 映画監督・是枝裕和&元官僚・古賀茂明が語るメディア圧力の真相」である。


 「放送の不偏不党」とは=「週プレnews」の記事より

是枝 放送法4条には確かに「政治的に公平であること」と書いてあるけど、当然ながら、その規定はあくまでも1条や3条を踏まえた上での規定なんです。
古賀 1条には放送の不偏不党がうたわれていますね。
是枝 ええ。ちょっとわかりにくいかもしれないけど、放送法では、公権力は放送事業者に不偏不党を“保障している”のであって“義務づけている”わけではない。
つまり、1条は公権力が放送へ介入して「放送の公平さ」を奪うことを禁じている条項なんです。さらに、3条には「放送は何人(なんぴと)からも干渉されない、規律されない」ともあります。なのに、公権力が4条の「公平」という部分だけを局所的に解釈して、介入を繰り返すというのであれば、それこそ放送法違反だといってもいい。
そもそも、4条を「TV局が自らを律するための“倫理規定”ではなく、順守を義務づける“法規範”である」とするならば、放送法そのものが表現の自由を保障した日本国憲法に反する法律になってしまいます。
古賀 本来の放送法の精神とはまったくあべこべに解釈しているということなんですよね。政権担当者は権力の乱用を避けなければならない、という自覚があれば、そんな解釈はしないはずなんですが。
是枝 確かに政権はTVに対して、電波法によって停波などの行政処分を「形式的には」できることになっている。しかし、放送法で放送の自主自律の原則が掲げられている以上、現実的には行使は不可能。今までの政権与党はそう受け止めてきた歴史があります。それが公権力と放送の、ギリギリの落としどころだったんです。
その背景にあるのは戦前への反省です。公権力とメディアが一体化して国民の知る権利を侵した結果、大本営発表のウソ情報がまかり通り、無謀な戦争に突き進んでしまった。その反省から生まれたのが放送法だったんです。
ところが安倍政権になって、その歴史認識が急速になくなってしまった。それは安倍首相にメディアに対応して切り返したり、見た人の思考を深めていこうとするような反射神経とか知性が欠けているからです。放送のせいにするのは責任転嫁ですよ。


 憲法に反する、真逆の「解釈」

「4条を『TV局が自らを律するための“倫理規定”ではなく、順守を義務づける“法規範”である』とするならば、放送法そのものが表現の自由を保障した日本国憲法に反する法律」になってしまう、と言う指摘は、これまでにはなかったものだ。

誰も、言及してこなかった、と思う。この文章を読んで、「スッキリ」とした。いままでの「モヤモヤ」が、吹き飛んだ。

BPO――放送倫理・番組向上委員会――が、NHK『クローズアップ現代』のやらせ演出問題に関する意見書を公表したあと、高市早苗総務相がNHKを厳重注意した。

また、「放送法遵守を求める視聴者の会」と言う団体が、新聞広告を使って、『NEWS23』(TBS系)の岸井成格キャスターを、批判した。

その際に、持ち出してきたものが、放送法だ。これまで、私も、このことをブログで批判しておいたが、「表現の自由を保障した日本国憲法に違反する」とおもっても、その論理立てを明確にすることが、出来なかった。

それをこの是枝裕和氏の文章は、きっちりと論理立てて批判した。このことは、とても重要だ。この「週プレnews」の記事は、長いが、この所の指摘だけでも、十分に読む価値がある。

長いので、全文について検討を加えることはしないが、読者は、ぜひ、このサイトに移動して、全文を読んでみていただきたい。

「目から、ウロコ」が取れることは、受けあいである。


 安倍首相らの共通する「論理と振る舞い」

さらに、重要なことは、テレビの「不偏不当」、「政治的中立」を騒ぎ立てる人々が、放送法の第4条のみを持ち出すという点を、批判したことだ。

放送法を考える際には、第1条、第3条、第4条を関連付けて観る必要がある。肝心なのは、ここのところである。

第1条と第3条の規定の上に、第4条の規定がある、と言う構図になっている。この指摘である。

高市早苗総務相や、「放送法遵守を求める視聴者の会」と言う団体がまちがっているのは、第4条の規定のみを根拠にして、批判をしていることだ。

しかも、古賀氏が言うように、彼らは、それを「本来の放送法の精神とはまったくあべこべに解釈している」ということである。

放送法を自分たちの都合のいいように解釈を加え、その解釈に反することをする人びとを攻撃する。まことに、「得手勝手な論理」を振り回して、まるで、自分たちが「神様である」かのごとくにふるまう。

それは、自民党の高村正彦氏や、公明党の北垣一雄氏、安倍首相らの共通する「論理と振る舞い」でもある。

いや、そうではなく、この「論理と振る舞い」こそ、上の3人が先陣を切った人びとだ。

高市早苗総務相や、「放送法遵守を求める視聴者の会」と言う団体は、上の3人の「虎の威を借り」ているだけのことだ。だから、彼らは、「勇ましい」ようにみえるが、ただの「物まね」をしているに相違ない、のである。

だからと言って、高市早苗総務相の言動や、「放送法遵守を求める視聴者の会」と言う団体の取った行動を見逃すことは出来ない。看過することは出来ないのである。

(2015年12月16日)
公権力の放送へ介入を禁じている