<正村 戦後史(74)>
新安保条約への反対闘争が、山場を迎えます。岸は、 国会に警官隊を入れて批准書の交換を行いました。
そうしたなかで、国会構内で警官隊が学生を襲撃。学生の樺美智子が死亡します。
★ 国会構内で警官隊が学生を襲撃。樺美智子が死亡
【6月15日、総評・中立労連などの労働組合の安保条約改定阻止第2波の実力行使があり、参加111単産580万人と発表された。
・この日、国会周辺で、維新行動隊と称する右翼グループが無防備のデモ隊を襲撃し、新劇人、一般市民など、約80人を負傷させた。警官隊はほとんど傍観していてこれを阻止せず、デモ隊参加者側の憤怒を招いた。
・その直後、全学連主流派の学生が国会南通用門付近で警官隊と衝突し、大挙して国会構内に乱入した。警視庁は、これを包囲し、排除しようとそて襲いかかた。
午後7時ごろ、国会構内で警官隊に襲撃されたデモ隊のなかにいた東京大学学生樺美智子が死亡した。学生たちはその場で抗議集会を開いた。社会党議員の斡旋を無視して警官隊が再び学生を襲撃し、構内から排除した。
取材中の報道陣や構外の平穏なデモ隊、通行人、大学教授団なども警官隊に暴行された。未明までに182人のがくすぇいが逮捕され、1000人を超える学生および市民が負傷した。
6月16日、東大、早大、明大、一橋大、東京教育大、法大、東京女子大、東海大、立正大など都内各大学で、学生に教授も加わった抗議集会が開催され、女行蜂起が決議されるなどの動きが起こった。
総評弁護団は警視総監らを殺人罪で告訴した。雨のなかを労組員、市民、学生が抗議のデモを行い、その数は10万人といわれた。この日、岸内閣は緊急閣議を開き、アイゼンハウワーの延期をアメリカに要請することを決定した。
17日、主要7新聞社が「暴力を排除し、議会主義を守れ」と題する共同宣言を掲げた。宣言は、「民主主義は言論をもって争われるべきものである。
その理由の如何を問わず、暴力を用いてことを運ばんとするがごとき社会的風潮が一般化すれば、民主主義は死滅し、日本の国家的存在を危うくする重大事態になるものと信ずる」と述べ、政府が良識に応える決意を表明し、社会党・民社党も国家に帰り、事態の収拾をはかるべきだと要請した。
同じ日、財界4団体(経団連、日経連、日本商工会議所、経済同友会)は、「暴力を排除し、議会主義を擁護するとともに、国際信用の回復に務めるべきだ」という声明を発表した。
国立大学協会は学生運動に警告する声明を発表した。この日、国会周辺のデモ隊の請願を議員面会所付近で受け付けていた社会党顧問(前委員長)河上丈太郎議員が右翼の少年に肩を刺されて負傷した。
18日、東大で樺美智子の合同慰霊祭が行われた。参会者は国会にデモ行進した。安保条約改定阻止国民会議はこの日の国会デモ参観者33万人と発表した(警視庁の発表は13万人)。
19日、新安保条約は「自然成立」により国会を通過したことになった。20日、岸首相は、川島幹事長に「新安保条約批准書交換後に引退を表明したい」と伝えた。
この日も労組員や学生が国会と外務省にデモをかけた。21日、政府は持ち周り閣議で新安保条約の批准を決定し、天皇の認証を得た。
・22日、安保条約改定阻止国民会議は第19次統一行動を行った。総評・中立労連の111単産(620万人とされた)が早朝ストや職場大会を開いた。全国でストに参加した商店は約6万店と発表された。
国会周辺と都心デモ参加者は12万人といわれた。「岸以後」を見込んで「池田内閣反対」というプラカードも登場した。23日、警官隊による厳戒体制にとられた外相官邸で、藤山外相とマッカ―サー大使のあいだに批准書交換が行われた。
岸首相は臨時閣議で首相辞任の意思を行使に表明した。公表された「総理大臣所信」のなかで、岸は、「集団暴力により、議会政治を破壊する如き行動をなすものが出現し、国の秩序を乱すにいったことは遺憾である。この背後に、国際共産勢力の策謀があることはとくに憂慮に堪えない」と述べた。】
★ 岸の意思を継ぐことが、安倍首相が目指す「道」
30回から今回まで、40回あまりにわたって、安保条約の改定について読んできました。
いい加減ウンザリされた読者もあると思います。ここまで、お付き合い頂いた読者の皆様には、感謝いたします。
今回で、1945年の敗戦から1960年までの歴史を鳥瞰してきたことになります。この間の時代こそが、今日の日本、そして日本と米国との関係を基礎づけてきた、と言うことが出来ると思います。
新安保条約は、日米関係の「新たな時代」の幕開けでした。それが、その後、55年あまりのあいだ続くことになります。
そして、今、日米関係は、最後の段階に突入した、と言えると思います。安倍首相が進める安保法制は、日本国憲法の枠組みを超えて、日米関係を文字通り、「相互軍事同盟」とすることを約束するものです。
今後、「米国からの命令」があれば、安倍首相は躊躇することなく、米国の要求に従うことでしょう。
日本の自衛隊は、「米衛隊」となってその最前線で戦うことになると、考えられると思います。それが、岸の「願い」であったのであり、その岸の意思を継ぐことが、安倍首相が目指す「道」に他なりません。
次回は、沖縄返還を見ていきます。あと2・3日で、正村氏の『戦後史』を終わりにしたいと、考えています。
(2015年12月26日)
新安保条約への反対闘争が、山場を迎えます。岸は、 国会に警官隊を入れて批准書の交換を行いました。
そうしたなかで、国会構内で警官隊が学生を襲撃。学生の樺美智子が死亡します。
★ 国会構内で警官隊が学生を襲撃。樺美智子が死亡
【6月15日、総評・中立労連などの労働組合の安保条約改定阻止第2波の実力行使があり、参加111単産580万人と発表された。
・この日、国会周辺で、維新行動隊と称する右翼グループが無防備のデモ隊を襲撃し、新劇人、一般市民など、約80人を負傷させた。警官隊はほとんど傍観していてこれを阻止せず、デモ隊参加者側の憤怒を招いた。
・その直後、全学連主流派の学生が国会南通用門付近で警官隊と衝突し、大挙して国会構内に乱入した。警視庁は、これを包囲し、排除しようとそて襲いかかた。
午後7時ごろ、国会構内で警官隊に襲撃されたデモ隊のなかにいた東京大学学生樺美智子が死亡した。学生たちはその場で抗議集会を開いた。社会党議員の斡旋を無視して警官隊が再び学生を襲撃し、構内から排除した。
取材中の報道陣や構外の平穏なデモ隊、通行人、大学教授団なども警官隊に暴行された。未明までに182人のがくすぇいが逮捕され、1000人を超える学生および市民が負傷した。
6月16日、東大、早大、明大、一橋大、東京教育大、法大、東京女子大、東海大、立正大など都内各大学で、学生に教授も加わった抗議集会が開催され、女行蜂起が決議されるなどの動きが起こった。
総評弁護団は警視総監らを殺人罪で告訴した。雨のなかを労組員、市民、学生が抗議のデモを行い、その数は10万人といわれた。この日、岸内閣は緊急閣議を開き、アイゼンハウワーの延期をアメリカに要請することを決定した。
17日、主要7新聞社が「暴力を排除し、議会主義を守れ」と題する共同宣言を掲げた。宣言は、「民主主義は言論をもって争われるべきものである。
その理由の如何を問わず、暴力を用いてことを運ばんとするがごとき社会的風潮が一般化すれば、民主主義は死滅し、日本の国家的存在を危うくする重大事態になるものと信ずる」と述べ、政府が良識に応える決意を表明し、社会党・民社党も国家に帰り、事態の収拾をはかるべきだと要請した。
同じ日、財界4団体(経団連、日経連、日本商工会議所、経済同友会)は、「暴力を排除し、議会主義を擁護するとともに、国際信用の回復に務めるべきだ」という声明を発表した。
国立大学協会は学生運動に警告する声明を発表した。この日、国会周辺のデモ隊の請願を議員面会所付近で受け付けていた社会党顧問(前委員長)河上丈太郎議員が右翼の少年に肩を刺されて負傷した。
国会前の道路を埋め尽くすデモ隊 |
19日、新安保条約は「自然成立」により国会を通過したことになった。20日、岸首相は、川島幹事長に「新安保条約批准書交換後に引退を表明したい」と伝えた。
この日も労組員や学生が国会と外務省にデモをかけた。21日、政府は持ち周り閣議で新安保条約の批准を決定し、天皇の認証を得た。
・22日、安保条約改定阻止国民会議は第19次統一行動を行った。総評・中立労連の111単産(620万人とされた)が早朝ストや職場大会を開いた。全国でストに参加した商店は約6万店と発表された。
国会周辺と都心デモ参加者は12万人といわれた。「岸以後」を見込んで「池田内閣反対」というプラカードも登場した。23日、警官隊による厳戒体制にとられた外相官邸で、藤山外相とマッカ―サー大使のあいだに批准書交換が行われた。
岸首相は臨時閣議で首相辞任の意思を行使に表明した。公表された「総理大臣所信」のなかで、岸は、「集団暴力により、議会政治を破壊する如き行動をなすものが出現し、国の秩序を乱すにいったことは遺憾である。この背後に、国際共産勢力の策謀があることはとくに憂慮に堪えない」と述べた。】
★ 岸の意思を継ぐことが、安倍首相が目指す「道」
30回から今回まで、40回あまりにわたって、安保条約の改定について読んできました。
いい加減ウンザリされた読者もあると思います。ここまで、お付き合い頂いた読者の皆様には、感謝いたします。
今回で、1945年の敗戦から1960年までの歴史を鳥瞰してきたことになります。この間の時代こそが、今日の日本、そして日本と米国との関係を基礎づけてきた、と言うことが出来ると思います。
新安保条約は、日米関係の「新たな時代」の幕開けでした。それが、その後、55年あまりのあいだ続くことになります。
そして、今、日米関係は、最後の段階に突入した、と言えると思います。安倍首相が進める安保法制は、日本国憲法の枠組みを超えて、日米関係を文字通り、「相互軍事同盟」とすることを約束するものです。
今後、「米国からの命令」があれば、安倍首相は躊躇することなく、米国の要求に従うことでしょう。
日本の自衛隊は、「米衛隊」となってその最前線で戦うことになると、考えられると思います。それが、岸の「願い」であったのであり、その岸の意思を継ぐことが、安倍首相が目指す「道」に他なりません。
次回は、沖縄返還を見ていきます。あと2・3日で、正村氏の『戦後史』を終わりにしたいと、考えています。
(2015年12月26日)
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