2015年12月29日火曜日

岸の唱えた「自主的国民外交」とその「限界」

<正村 戦後史(77)
今回は、岸の唱えた「自主的国民外交」の中身がどんなものであったが検討されます。それは、言葉と裏腹に、非「自主的」、非「国民」な外交でした。



なお、今回で『戦後史』は終了します。


★ 岸の唱えた「自主的国民外交」

【1958年8月、岸首相は、マッカーサー大使と会談したさいに「烈しい論議を経てこそ日米関係を真に安定した基礎の上に置くことが出来る」と発言した。その岸も、安保条約改定がこれほどに激烈な反対闘争を誘発するとは予想しなかったであろう。

・岸外交の基本路線は、日本民主党時代に提起され自民党によって継承された「自主的国民外交」であった。しかし、米ソおよび米中の対立のなかで極東の一角に特異な地位を占めている日本にとって「自主的国民外交」がいかなるものであるべきかについて、十分な県問いが行われた形跡は認めれれない。

岸は、単純に反共産主義の日米同盟を堅持しなければならないと考え、その枠のなかで日本の地位を高めたいと考えたにすぎない。日米軍事同盟の堅持を前提として安保条約に対等性をまたせようとすれば、不可避的に条約における双方の対等性が要求されざるをえない。

アメリカ軍の日本防衛義務を明記すれば、日本軍のアメリカ軍への協力も明記しなければならない。新安保条約は、日本側の憲法上の制約を考慮しつつもこの原則を織り込む方向でつくられた。それは、日米軍事同盟の「強化」だと批判された。

もっとも、反安保勢力雄のあいで新安保条約の性格や安保改定阻止闘争の意義についての理解が統一されていたわけではなかった。社会党・総評は、新安保条約は日本を巻き込む戦争の危険を増大させると宣伝した。

しかし、安保体制に代わる信頼できる路線が積極的に提示されたわけではなかった。共産党は、民族主義的な路線にもとずき新安保条約は対米従属を深めると批判した。

こうした極端に民族主義的な宣伝は安保条約改定の実態からはるかに離れていた。反安保闘争でもっとも尖鋭な行動を展開した全学連主流派のトロッキストたちは、闘争の目標と手段の両面で共産党と対立し、社会党・総評とも対立した。

彼らは、当面の革命的闘争によって打倒されるべき対象はアメリカ帝国主義ではなくて日本の独占資本だと主張した。彼らは、共産党や社会党・総評の合法的な闘争方針を非難し、意図して尖鋭な行動を組織した。

・新安保条約は軍事同盟の強化だという批判は無視できない要素をもっていたが、ソ連や中国の新安保条約は侵略的なものだという非難は政党ではなっかった。

日本の反安保勢力の一部がそうした非難をそのまま引き継いで政府攻撃に利用したのは不用意であった。アメリカはソ連と中国にたいする軍事的包囲網に維持と強化を志向していたが、それ自体は攻撃的ないとをもつものではなかった。・・・・
岸と児玉 誉士夫

岸の外交路線は、「自主的国民外交」を唱え艇ととはいえ十分に「自主的」なものでなかった。岸自身は日米同盟の枠を離れて独自に二頬の平和戦略を考える立場にたってなかった。

彼は、単純に反共産主義的であったし、反中国的であった。岸と言う人物の登場は、日中関係の改善を通じて実質的に極東の勢力関係を変動させるという可能性を遠ざける結果にならざるをえなかった。

岸の外交路線は、十部に「国民的」なものでもなかった。左右の政治的対立はあまりにも尖鋭であり、岸の経歴と政治的姿勢は対立を克服して国民的外交を提起する方向に作用するよりは対立を先鋭化する方向に作用した。

岸は、戦前・戦後を通じて稀有の行政的能力を示し、時代の主流に見事に適応した。しかし、岸は、広汎な国民の信頼を担い、時代の転換のためのイ二シィアティブを取ることの出来る政治家ではなかった。

戦前・戦中の大動乱は、戦後の歴史に大きな影を落としつづけていた。その動乱に時代に、岸は明瞭に侵略者の側に立った敬礼をもっていた。西ヨーロッパの「自主的国民的外交」を提唱した岸信介は、旧満州国支配の実力であり、東条内閣の閣僚であった。


 「昭和の妖怪」

「旧満州国支配の実力であり、東条内閣の閣僚であった」岸。A級戦犯として巣鴨の拘束されながら、「無罪放免」となった岸。それを首相にした、日本の国民。

不思議な事ばかりが、岸には「まつわり」ついています。岸が、「昭和の妖怪」と呼べれることになった、所以でしょう。

岸の孫である、安倍晋三氏が、首相に返り咲き、岸が果たせなかった「安保条約」を、「名実」とともに、「双務的」なものに変換しました。

このことで、『戦後史』を学び直す必要を感じました。まだこの『戦後史』だけでは、十分とは言えません。

朝鮮戦争の実態、米国による占領下の実態、相次いだ国鉄関係の事故、メイデーをはじめ、戦後の労働運度について、自民党をはじめとした政党政治な中身など、もっと詳しく見ていく必要を感じています。

これからあとも、引き続き、1970年ごろまでの、戦後日本政治の歴史を読んでいきたい、と思っています。

(2015年12月29日)

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