この記事は、藤原 肇氏と木村 汎氏との「対談」と、私の両親の「歴史」を基に構成した。
藤原氏と木村氏の対談の内容は、プーチン大統領とロシアの「運命」が、中心である。
それと両親の歴史を、「人生の無常」ということと関連で観てみた。
人生は、「出会いと別れ」であるという。それは、わざわざ釈尊の教えを紐解かなくても、解ることである。そして、その「出会い」は、実生活中においてだけであるとは、限らない。
このことも、どうやら、本当のことであるようだ。私は、それを藤原 肇氏との「出会い」で知った。もちろん、本の上での「出会い」であり、面識はない。
昨日、「タブレット」をいじっていて、偶然に、藤原 肇氏のブログを見つけた。それで、早速、藤原 肇氏の記事を紹介したい。
対談である。対談の相手は、木村 汎氏。
1)
藤原氏と木村氏は、wikipediaの記事によると、以下のように紹介されてある。
藤原 肇(ふじわら はじめ、1938年 - )は、石油開発コンサルタント、評論家。
東京市神田区生まれ。埼玉大学卒、フランス・グルノーブル大学構造地質学専攻理学部博士課程修了、理学博士。アフリカ、中東、ヨーロッパ、北米などで多国籍石油会社の開発担当ジェオロジストとして活躍。米国カンザス州とテキサス州で石油開発会社を経営、ペパーダイン大学総長顧問となり、のち名誉総長顧問。
木村 汎(きむら ひろし、1936年6月19日 - )は、日本の政治学者。拓殖大学海外事情研究所客員教授。北海道大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。専門はロシア政治、日露関係。
以下の(2)、(3)は、藤原肇氏のブログからの引用である。私のブログの「web読書会」では全てが「手打ち入力」であるが、この記事の(2)・(3)は、藤原氏のブログを「コピペ」させていただいた。
2) 第一期大統領としてのプーチンの姿
【木村 なるほど、フーシェですか。だが、プーチンが志す指導者像がビョートル大帝であり、ヨーロッパの技術と結んで近代ロシアを作り上げた大帝が、プーチンの今後における政治姿勢を象徴していると考えるなら、フーシェよりもナポレオンと比べるほうが面白いかもしれません。そうなると、今回の選挙は「ブリュメール(霧月)一八日」のクーデタになり、これからプーチンの支配力が確立することになりますね。
藤原 あの事件を境に、ナポレオンは政府の実権を握ることになり、皇帝として絶対権力を支配することになったわけですが、そうすると第一期のプーチンの支配は至って脆弱で、本当の政治の支配権は手にしていなかったことになりますね。
木村 それが第一期大統領としてのプーチンの偽らざる姿です。クーデタ前までは、イタリアやエジプト遠征に明け暮れたナポレオンと同じで、プーチンもチェチェン戦争に全力を挙げて取り組んだ。大統領としての第一期目のプーチンにとっては、世界の第二の軍事大国であるロシアの最高指導者のポストまで、無名の自分を引き上げてくれたエリツィンの恩恵は圧倒的です。とてもエリツィン・ファミリーの力を無視できませんよ。
3) 反対勢力が健在であること」が、民主主義の必要条件
藤原 だから、第一期大統領のプーチンにとってのエリツィンは、「ブリュメール(霧月)一八日」のクーデタ前のバラス総裁と同じだ。この時期のロシアの政治を、「フランス革命」の恐怖政治が破綻して、帝政に転換した時期に対比するとわかりやすいですね。
木村 歴史的な事件の推移には意外なほどの共通性があって、今度の選挙以前のプーチンは軍司令官だったナポレオンと同じで、自分の足で踏み立つだけの力はなかった。それは、新米大統領の保護者であるエリツィン・ファミリーとともに、プーチンの手勢である「シロビキ」(旧KGBや軍などの武力派)をうまく調整することで、この二大勢力の均衡を取らなければならなかったからです。
しかし、今度の選挙でプーチンが圧勝したことにより、これからはエリツィン系の残党を着実に追い払って、「シロビキ」をバックに腕を振るうプーチン時代が始まりそうです.
藤原 じゃあ、ナポレオン帝政に似たプーチン帝政の始まりですか、
木村 何と言っても、ナポレオンの時代から二○○年も過ぎているし、プーチンは歴史の教訓を身に付けている政治家だから、彼独自のやり方で強いロシアの復活を狙うでしょう。
ただ、これまではエリツィン系と「シロビキ」の二本の足の上に立ち、両勢力の均衡を取って無難にやってきたが、これからは一見すると独裁的にやれそうでも、一本足ではバランスの均衡が不安定だから、ちょっとしたことで失敗する危険も大きい。
藤原 文明の利器はすべてがバランスの上に機能している。船は推進機とともに左右を決める舵があるので直進できるし、自動車は舵に相当するハンドルの他にアクセルとブレーキがあり、そのコントロールで安全運転が成り立つ。
今までのプーチン政権にはブレーキとアクセルがあったのに、選挙の大勝でブレーキがなくなってアクセルだけになった。アクセルを踏み込めば加速はよく馬力も出るが、カーブやデコボコ道という状況で注意しないと命取りになる。
木村 その比喩はわかりやすいし説得力を持っている。というのは、「シロビキ」は強いロシアを求める国家主義的な考え方が支配的だし、プーチン自身も「強いロシアの再建」を目指しており、チェチェン征伐を断行した政治家だからです。
藤原 対立するものが均衡による調整を通じて共存し、乾坤一擲の知恵がスムーズに働く。その意味では、反対勢力が健在であることは破局の予防になる。
民主主義を多数決や参政権に短絡するのではなく、与党の政策案と野党の対案がぶつかることで、よりよい政策を作り上げるのが民主主義だから、自由な発想と実際的な課題の実現を目指して話し合うことです。だが、このプロセスをまどろっこしいと考える権力者は、どうしても反対勢力を一掃しようとするし、結果的に独裁化して破滅したのが歴史の教えです。】
4) 人生の持ち時間
最近になって、「時間の重要さ」について考えるようになった。特に、自分の「持ち時間」ということに関心が行くことが多い。
それは、私の両親が――幸いなことに二人とも健在なのだが――90歳を超えるようになってから、さすがに、健康であった二人に「病魔」が襲い掛かってきて、人間の「健康」について、考えさせられるようになってきたことにもよる。
70歳を超えたころ、再び、二人は故郷の田舎に帰った。そして、また「百姓仕事」に戻った。若い時に身体を鍛えた両親であったから、そのことは「苦痛ではなかった」ようだ。
働き手がいなくなって、荒れ果てた畑や田んぼを、また、二人で耕し始めた。場所によっては、山に戻ったかのように草やカヤが生い茂ったところを、また、稲や野菜を育てる事が出来る土地に変えた。
だが、それも、元気な間のことであった。90歳の声を聞くころになって、急に「元気」がなくなってきた。それは、足腰が弱ってきたことによる。
5) 「歴史の証人」は、身近にいる
今、「90歳の声を聞く」ということは、生まれた年は、大正の末期ということである。このことは、「平和が失速」し始めるころに二人が生まれ、その後の「激動の時代」を生きてきた、ということを意味する。
私は、最近になって――本当に我ながら、「情けなく」思うのであるが――気がついた。もちろん、これまでにも、まったく、気が付かなかった訳ではないが・・・。
安保関連法案の国会上程とともに、私は戦後の歴史に興味を持つようになった。今は、特に「占領下の日本」の実態をしることに、全力を傾けている。
その中でも、「講和条約」に関心を持っている。今、それに関する本を読んでいる。まだ、始めたばかりであるが、「驚きの連続」だ。もっとも、これは今までにいかに「何も知らずに生きてきたか」ということを証明するものでしかない、のであるが。
「講和条約」について考えようとすれば、当然、その前の歴史が関係してくる。それは、同時に私の「両親の人生」と重なっている。「裏日本の片田舎」で育ったとはいえ、時代と全く離れて暮らすことは出来ない。
このことは、両親が「歴史の証人」であるということになる。これまで、長々と書いてきたことは、実はこのことを読者に理解してもらうためであった。
「歴史の証人」である両親の「人生の持ち時間」が、残り少なくなってきている。今更ながらに、人生の「無常」を知ることができた。
6) 「人生の出会い」
母は、上の兄を二人、戦争で亡くした。
二人は、まだ、20歳を少し出たぐらいの年齢であった。
「太平洋戦争」は、二人の兄の命を奪い取り、母の人生さえも変えた。その意味でも、この「戦争」のことを知ることは、私の母を知ることであり、――本当なら、私の叔父さんになるはずであった――「二人の人生」を考えることでもある。
その意味では、戦後史を――特に占領下の日本を――学ぶことは、私にとっては、「単なる学習」ではない。それは、私の「義務」でもあるし、学校の入学試験のためなどでも、ない。
藤原氏に関しては、『インテリジェンス戦争の時代 情報革命への挑戦』(=山手書房新社)で「出会う」ことができた。この本は、「book off」で偶然に目に飛び込んできた。
私が、40歳に頃のことである。それから、すでに何年も過ぎた。であるのに、この本に出会ってからも、あまり「進歩」していない。
何度か読み返すうちに、書かれてあることは、理解できるようになった。もちろん、完全に解ったわけではないし、これからも、私の「知的水準」が上がるごとに、理解はより進むことなるであろうと思っている。
そういう、本である、と思う。
理解できるようになったことは、小室直樹氏の本を読むようになったことにもよる。藤原氏は、小室氏とも、親交が深かった、ということだ。そうすると、私が、藤原氏のあとに、小室直樹氏と「出会うこと」になったのも、偶然ではない、という気がする。
藤原 肇氏と小室直樹氏の二人に「導かれて」、私はここまで来ることができた。そう思っている。
実は私には、「人生の師」がいない。というより、藤原 肇氏と小室直樹氏の二人に出会う――とくに、藤原 肇氏に――までは、いなかった、と言う方が正確であるが・・・。
小室直樹氏については、これまでに何度か、ブログで記事にした。今回はじめて藤原 肇氏のことを紹介した。もちろん、今更、私が紹介するまでもなく、多くの人びとにとっては、「今頃、何を言う」という感じであろう。
(4)以後は、(2)(3)に引用した記事の内容とは全く関係のないような「とりとめのない」ものになってしまった。
「人生の出会い」は、実生活の中においてだけでなく、それ「以外の場面」でも、ある、ということが解っていただければ、「有難い」ことである。
そして、生き続けるということは、同時に「学び続けること」である。そして、人生は学びの連続である、ということの重要さを理解していただければ――特に若い世代には――幸い、である。
※ 参考文献 藤原肇 『賢く生きる 藤原肇対談集』 清流出版 2006年刊
(2015年12月15日)
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