2015年12月25日金曜日

「カルタゴ」の教訓と、日本文学の遺産のなさ

欧米には 『聖書』 がある。
中東には コーラン がある。


中国には 『三国志』があり、
水滸伝がある。

アラビアには 『アラビアン・ナイト』 がある。
スペインには 『ドンキ・ホーテ』 がある。

ロシアには 『戦争と平和』 がある。
英国には 『ハムレット』 がある。

ギリシャには 『イーリアス』・『オデュッセイア』
がある。

世界には 数々の 国民が誇れる 
文学をもつ。
そういう 国々が ある。


そこで 考えた。
  2000年以上の 歴史をもつ
と自慢する 日本人に 
   世界に 誇れる
文学があるのか と。

唯一 在ると 言えるのは
『源氏物語』 か。

それを 国民文学と
呼べるか。

とても 国民文学 と呼ばれるに
ふさわしいような 「代物」
 ではない。


モノを 作って 世界中に売りまくって
お金を 貯める。

それにしか 能のない
日本人の 運命はどうなる。

われわれ 日本人は
いつになったら 世界に誇れる
文学を持つ ことが出来るのか。

それとも それを持つことが出来ず
「カルタゴ」のテツを
踏む ことになるのか。

この世界から、消えて行く運命にあるのか。


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