2015年12月5日土曜日

立憲主義が解ってない「安倍首相、改憲で緊急事態条項を新設」

やはり、立憲主義が解っていない。これは、恐るべきことである。
安倍首相が、「現行憲法を改正し、緊急事態条項を新設すべきである」という考えを表明した。これは、本末転倒の議論である。




このことで、安倍首相が、まったく、前近代的な「憲法観」の持ち主であることが、改めてはっきりとした。

少し、「古い記事」であるが、重要であると思うので、検討してみたい。

 現行憲法を改正し、緊急事態条項を新設=「hunter」の記事を引用

安倍晋三首相は11日、参院予算委員会の閉会中審査の中で「緊急時に国民の安全を守るため、国家、国民自らがどのような役割を果たしていくべきかを憲法にどのように位置づけるかは極めて重く大切な課題だ」と発言。現行憲法を改正し、緊急事態条項を新設する必要があるとの見解を示した。
緊急事態条項とは、有事や大規模災害などの緊急時における政府の権限を明確化し、国民の生活や経済活動などに制限を加えることを認める規定。東日本大震災後、その必要性を指摘する声が上がったのは確かだが、安倍政権下で想起すべきは戦前。日中戦争が泥沼化する中、帝国日本は、首相発言と同様の趣旨を目的に掲げた戦時法規を制定していた。「国家総動員法」である。】

 「憲法とは何ぞや」が、分からない安倍首相

「緊急時に国民の安全を守るため、国家、国民自らがどのような役割を果たしていくべきかを憲法にどのように位置づけるかは極めて重く大切な課題だ」と、安倍首相は言う。

問題は、ここである。
憲法に、「国民の役割を書き込む」という発想そのものが、「憲法とは何ぞや」ということが解っていない証拠である。

これは、恐るべきことである。日本国憲法を守るべき立場にある首相が、憲法に「国民への命令」を書き込みたいとは。そして、そういう発言をしても、何の問題もない、と考えている、とは。

こういう発言を、米国の国民が聞いたら、何と思うであろうか。「ああ、我々の占領政策は誤りであった」と、反省してくれるであろうか。それとも、腰を抜かさんばかりに、驚くであろうか。もう一度、占領政策を「やり直さなければならない」と考えるだろうか。

また、世界中の人々は、どうであろうか。日本人は、まだまだ民主主義を分かっていない。日本は、まだまだ民主国家には、なっていない。そう感じることだろう。


 
「お試し改憲論」は、危険

自民党の憲法草案は、「何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。」と、述べる。

これは、国家が国民に命令をしている規定である。これは、まったく、本末転倒の条文である。このような条文を書き込んでいると言うことは、安倍首相だけでなく、自民党の国会議員たちも、憲法が解っていないということになる。

これは、とんでもないことである。驚くべきことである。さらに、驚くべきことは、このことを、日本の国民が「何とも思っていない」ということである。もちろん、一部には、「けしからん」という発言も、あることは承知しているが。

これでは、今、憲法改正をやることは、できない。そうする事は、―この「ハンター」の記事が言うように―ふたたび、「国家総動員法の成立以後、日本は太平洋戦争への道を突き進むことにな」った歴史をくりかえすことになるだろう。そういう危険性が、大きい。

そういう意味において、私は「お試し改憲論」には、反対である。今、憲法を仮に、Г試し」であれ、改正手続きをやることは、危険が大きすぎる。

それは、上に述べてきたことによっても、はっきりとしている。そう思う。

(2015年12月5日)

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