2015年12月19日土曜日

1960年1月19日「岸が、日米新安保条約に調印」

<正村 戦後史(69)>
1958年10月に岸、藤山、マッカ―サー会談以来、正式会談だけで25回に及ぶ交渉の結果、新安保条約の締結に合意。調印が行われました。


この新安保条約の締結により、片務的である」と言われた安保条約が、「双務的なもの」に、変更されました。

それでも、まだ、憲法の制約を「取り去ること」までは、出来ていません。それを安倍首相が、実質的におこなったのが、今回の安保法制である、と言うことが出来るでしょう。


 新安保条約の調印

【1959年11月21日、藤山、マッカ―サーの交渉が再開され、行政協定の諸項目の最終的な検討が行われた。

・11月27日、安保条約改定阻止国民会議の第8次統一行動が行われた。請願の名目で国会周辺に押しかけたデモ隊のなかの全学連グループが国会構内になだれ込み、それにつづいて労働組合などの一般デモ隊員も構内に入り込んでしまった。

構内にはいったデモ隊員の総数は約2万人と称された。

・自民党は、デモ隊を扇動したとして社会党議員の懲罰を要求し、また国会周辺デモ規制法を上程した(12月24日衆議院通過、参議院では12月26日に継続審議扱いとなる)。

・国会構内乱入事件のあった11月27日の深夜から翌朝にかけて、衆議院では社会党の反対を押し切ってベトナムとの賠償協定の強行採決が行われた。
南ベトナム政府との賠償協定をもって全ベトナムにたいする賠償とするという政府の方針に批判と疑惑が強まり、国会審議は紛糾をつづけていた。

・第2次大戦で現実に日本軍がより大きな被害を与えたのは北ベトナムであり、賠償を支払うとすればむしろより多く北にたいしてでなければならなかった。

ジュネーブ協定を無視して南側のベトナム共和国政府が統一選挙を拒否したために分裂が固定化されているという事態のなかで、日本政府は、アメリカのベトナム政策に強調して南側と交渉をまとめてしまったのであった。

それは、事実上、南ベトナムにたいする支援であった。この問題は、岸内閣の東南アジア政策の本質を露呈したものとして不信を招いた。その不信は、安保条約改定問題についての岸内閣の政策にたいする不信につながった。・・・

・1月6日、日米安保条約改定交渉が妥結した。1958年10月に岸、藤山、マッカ―サー会談以来、正式会談だけで25回に及ぶ交渉の結果であった。

・新安保条約は「日米相互協力及び安全保障条約」と呼ばれ、全文と10条の本文によって構成されている。  

そのほかに、在日アメリカ軍の配置や装備の重要な変更と日本を基地とするアメリカ軍の戦闘作戦行動についての事前協議についての交換公文と、在日アメリカ軍のための施設・区域や在日アメリカ軍の地位を定めた「日米地位協定」(いわゆる行政協定)が合意された。

これらの文書には、国連を重視すること、憲法上の制約を考慮すること、「内乱条項」を削除することなど日本側の要求がおおむね盛り込まれた。期限は10年間とし、10年経過後は当事国の一方が廃棄を通告したのち1年で解消することが規定された。

交渉の過程で新安保条約の適用範囲に沖縄・小笠原を含めるかどうかが問題になったが、両諸島の施設権が日本に返還されれば、当然、日本の領土として適用範囲に含まれることになり、それ以前にこれらの地域を含めることには問題があるので、条約のなかでは言及されないことになった。

新安保条約は、1951年9月に調印された旧安保条約に比較すれば、たしかに不平等感の少ないものに改められている。

しかし、憲法の制約のもとにおいてという保留条件を付してであるとはいえ、「共通の危険に対処する」ために日本がアメリカ軍と協力することが明記されたし、アメリカ軍の日本駐留の目的として「日本国の安全」と並んで「極東における国際の平和及び安全の維持」が掲げられたことは、その後、「極東の範囲」をめぐる論議を呼び起こした。

それは、在日アメリカ軍の広範囲にわたる作戦行動を容認する結果として日本は戦争に巻き込まれやすい立場に置かれることになるのではないかという疑問を生むことになった。・・・



・1月16日、岸首相、藤山外相などの全権団が新安保条約調印のためワシントンに向けて出発した。全学連の学生など約700人が羽田空港ビル内に座り込んだ。

警官隊が実力行使して排除した。安保条約改定阻止国民会議は東京・日比谷で調印反対中央大会を開催した。主催者側代表は2万人が参加したと発表した。

・1月19日、ワシントンで新安保条約と関連文書の調印が行われた。日本側代表は岸首相、アメリカ側代表は前年死去したダレスに代わって国務長官になったC・A・ハーターであった。】


★ 「双務的」、平等なものと言えるか

今から、55年前のことになります。それでも、日本が米軍の駐留を許しても、米国は日本の「駐留」を許しません。

これでも、「双務的」と言えるのでしょうか。


明日は、反安保闘争の事態を見て来たいと思います。

(2015年12月19日)

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