2015年12月30日水曜日

帰省ラッシュ「地方は東京から自立できるのか」


年末になって、恒例の帰省ラッシュが始まった。毎年のことながら、立ち止まって、考えざるをえない。こういうことが、いつまで繰り返されるのか、と。 「いつになったら、地方は東京から自立できるのか」と。 

いつになったら、日本の地方に住む人々は、生まれた土地で暮らしていけることが出来るようになるのか。

以前にも、同じような記事を投稿した。が、「昨日の今日」は、これからも、永遠」に続きそうである。


 恒例の帰省ラッシュが始まった=「読売新聞」の記事から

年末年始を古里で過ごす人たちの帰省ラッシュが始まった29日、県内の駅や空港などは、土産を入れた袋や大きなキャリーバッグを持った帰省客で混雑した。

 JR西日本広島支社によると、新山口駅に停車する東京発博多行きの「のぞみ」を中心に車内は混み合った。帰省のピークは30日、Uターンのピークは3日となりそう。

 新山口駅に到着した兵庫県丹波市の小学5年、山本結希さん(10)は家族4人で山陽小野田市の母方の実家で過ごす予定。「いつもは春に帰るので、初めて食べる山口のおせち料理と雑煮が楽しみです。大好きないとこと伯母に会えるのでうれしい」と笑顔だった。

 一方、羽田空港とを結ぶ定期便が就航する宇部市の山口宇部空港でも、到着ロビーに多くの帰省客が降り立った。同空港事務所によると、混雑のピークは30日。Uターンのピークは3日で、5日までいずれの便も予約でほぼ満席という。】


 みんなが同じ方法を向いて、一斉に走り出す

このような仕方で年末年始を迎える国民は、世界中でも、めずらしいだろう。国民の大多数が一斉に休みを取る。

そのことで、道路が渋滞し、鉄道が満杯になる。飛行機までもが、すし詰めになる。そのことを誰も、少しも不思議とは思わない。

もちろん、ふるさとにいる年老いた親に顔を見せるために帰ることを、私は否定しているのではない。

ただ、毎年、夏とこの時期に繰り返される「年中行事」について言っている。全国で一斉に、多くの国民が同じ行動をとる。このことに注目したい、だけなのである。

みんなが同じ方法を向いて、―そのことを何の不思議さを感ずることもなく、―一斉に走り出す、この国民性のことを問題にしている

それは、戦前、戦中に通ずるものである。このことを言うのである。国民の一人ひとりが、自分の頭で考えることをせずに、世間の動きを観て、行動を起こす。

このことのもつ危険性を問題にしている。ましてや、――私こそが、この国の「最高司令官である」と豪語する―安倍首相が、政府のトップにいる。

米国で約束したからと言って、多くの国民の反対を押しきって、安保法制を変更した。自衛隊を、米軍の下請けにしようと「企んでいる」のである。

こういう中にあって、今、安倍政権の支持率は、50%近くまでに回復した、とマスコミが報じている。喉元をすぎて、熱さを忘れてしまった、ように見える。

何が、安倍政権の支持率を押し上げることになったのか、原因は解らない。一斉に騒いで、物事が一段落すると、何もなかった、かのように静かになる。沈静化する。不思議な国民性だ。

このことは、毎年のように繰り返される、こうした年末年始の恒例の行事と、無関係ではない、であろう。おおいに、関係がある、ことであろう。

君たちが左に行くなら、わたしは右に行く。あなたが、自動車で行くなら、れわれわは、電車で行く。飛行機で行くなら、船で行く。
  
あなたが休むのなら、わたしは働く。他人がどうしようと、れたしはこうする。自分のやりたいことを、好きな方法でやる。

こういうことが、出来ない、頭に浮かばない、国民性は危険だ。簡単に、権力者に騙され、利用される。それは、目隠しをされて、道を歩かされているのと、同じことである。

自分がどこに行くのか、何をしようとしているのか、何も解らない。考えることが出来ない。それは、操り人形と同じことである。

(2015年12月30日)