2019年7月3日水曜日

「この程度の約束を守れなかったのは大したことではない」=小泉純一郎元首相

「確かにそのとおりにやっていないということになれば約束は守られていない。しかし、もっと大きなことを考えないといけない。この程度の約束を守れなかったのは大したことではない」


上の発言は、小泉純一郎氏が首相であった時のものだ。国債発行額に関しての発言である。≪「三十兆円枠を守るのと経済情勢をみて柔軟に対応するのと、てんびんにかけてどちらがいいのか。許容範囲だ」≫と弁明したのである。

政治における公約は、いわゆる市民生活における約束、つまり契約と同じである。公約は、国政における、政治家と国民との契約(約束)である。

「是非、この度の選挙では私に投票して下さい。」その代わりに、私は有権者の皆様に、「これこれのことを実現することを約束します」、というものである。

それなのに、当選したら、「あんな約束は約束に入らない」とばかりに、開き直ったのだ。一国の首相が、である。

このことは、象徴的である。恐らくは、多くの国会議員が、大なり小なり、小泉元首相と同じような感覚を共有しているのではなかろうか。

そして、もっと、問題なことにはーー、われわれ有権者も、「政治家の、政党の、公約破り」について、それほどまでには重要視しない傾向にある。このことである。

「それなりに事情があることだし、そんなに目くじらを立てるほどのことではない」、という気持ちが見て取れるのである。

これは、何も選挙に限ったことではないようだ。恐らくは、われわれ日本人の国民性、に根ざしたものであるように、私には思える。


もうすぐ、参議院の選挙が始まる。各政党は、それそれ「公約なるもの」を公表するが、果たしてどれほどの政治的意識の下にこれらの公約を作成したのであろうか。

公約が契約である以上は、それが実行されたのか、あるいは実行されなかったのか、を明確に判断できるものでなければならない。破ったのか、破っていないのか、が判定出来るものでなければならない。

また、「場合によっては、解約を破ってもしかたがない」というようなことは、絶対に許されない。こう言う事をしたならば(もしも、それが政権党であったなら)、即座に政権を捨て、野に下るべきである。

また、その期限がはっきりと示されている必要がある。「何時何時までには達成します」、ということがはっきりと明記されていなければならない。期限が曖昧ではあってはならないのである。

そして、最も肝心なことは、公約を破った場合にはどうするのか、が書かれている必要がある。そうでないと、小泉元首相にように「開き直って」、いつまでも居座る結果となる。

記事中の小泉元首相の発言については、ココ
       ↓
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-01-25/13_02000.html

(2019年7月3日) 最終更新=2019年7月5日