2015年12月12日土曜日

岸内閣「警察官職務執行法の改正案を国会に提出」

<正村 戦後史(63)>
岸内閣が、警察官職務執行法の改正案を国会に提出。国民は、一斉に反発し、反対運動が組織されます。



これは、「安保改定」で。国民からの反対運動がおこることを予想して「先手を打った」ものである、と言うことができると思います。  


 警察官職務執行法を国会に上程

【1958年10月8日、岸内閣は突然、警察官職務執行法(警職法)改正案を国会に提出した。岸首相を中心とする政府・与党の少数の首脳のあいだで極秘に準備され、10月7日に持ちまわり閣議で決定されるという抜き打ちの国会提出であった。

社会党は「これは戦前の治安維持法の復活である。強硬に提出されるなら審議に応じられない」と抗議した。8日、社会党と総評はそれぞれ反対声明を発表した。

・10月9日、自民党は、「これまでの警職法が不備のため犯罪の予防ができなかった。現行法では、社会・公共の安全、秩序維持のための根拠法がないので、暴力事件や最近の勤評闘争、道徳教育反対闘争、その他の集団的な不法暴力事件、流血事件を起こしており、対策が必要である。

改正案は、個人の自由と権利を尊重しながら、公共の安全と秩序を維持する目的のもので、民主国家の正常な発展のためには不可欠である」という趣旨の声明を発表した。

・現行の警職法は1948年7月に制定された。戦前における警察権力のはなはだしい濫用の経験を踏まえ、戦後の民主化の一環として、市民の自由と人権の保障を優先する観点から警察官の職務執行上の権限は厳しく制限された。

岸内閣が提出した改正案は、この点を修正するため以下の内容を含むものであった。



(1) 現行法では警察官は「犯罪がまさに行われようとするのを認めた場合」に警告を行うことができると規定されているのを「犯罪がおこなわれることが明らかであると認めた場合」と改め、また「人の生命身体に危険が及ぶとき」には精子を行いうるという規定を「公共の安全と秩序が著しく乱される恐れあることが明らかであって、急を要する場合」に改める。

(2) 避難などの危害防止の措置をとりうる場合に関して「集会の混乱」という場合を追加し、さらに、危険な事態が現実に発生した場合だけでなく、それが「現に発生する恐れのある場合」にもそうした措置が取りうるものと改める。

(3) 警察官の職務質問の範囲を拡大し、「犯罪を犯すと疑う理由があるものについては、凶器を一時保管し、また凶器を保持していると疑う理由のあるときに、所持品を提示させて調べることができる」ことにする。

(4) 応急保護の規定を拡大し、酔っ払いや自殺の恐れのあるもの、家出少年などを保護の対象に加える。

・このように、改正法は、警察官の職務執行の目的として公共の安全と秩序の維持を重視し、警察官の権限を拡大し、職務質問や予防的な保護、警告、措置などを容易にしようとするものであった。

・政府・与党は、9月29日~11月7日の予定で開会中の臨時国会においてこの法案を成立させようと考え、野党の反対を無視し、10月1日に衆議院議長の職権で地方行政委員会に付託してしまった。

・しかし、戦前・戦中に警察官の横暴と治安警察の悪行を記憶している国民は、岸が予想したよりはるかに迅速に、また、広汎に、反対運動に結集した。

社会党・総評などは、「デートもできない警職法」といった理解しやすいスローガンで新警職法による私権侵害の危険を訴えた。戦後の民主化でようやく制度的に保障された人権が再び蹂躙されるのではないかという危機感が反対運動を一挙に拡大させた。

10月13日、社会党と総評を中心に65団体による警職法改悪反対国民会議が結成された。

この国民会議には、全労会議、新産別、中立労連、護憲連合、全日本農民組合、各種の婦人団体、青年団体などが参加した。全労会議などが共産党の不参加を主張したため、共産党の参加は認められなかった。

10月中に、44都道府県で警職法反対の共闘組織が結成された。】


 「意図は達成された」

「全労会議などが共産党の不参加を主張したため、共産党の参加は認められ」ないことになった原因は、三鷹、下山、松川事件などで、政府が盛んに共産党を攻撃したことが、「尾を引いていた」と思われます。

その意味では、――仮に三鷹、下山、松川事件が、「誰か」の陰謀であるとすると――彼らの「意図は達成された」ということになります。

次回は、反対運動がどのようなものであった、のかを見ていきます。

(2015年12月12日)

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