2015年12月25日金曜日

B・カミングス『朝鮮戦争の起源』と(日米)「講和条約」について

戦後史に取り組んでいる。日本のである。だが、日本のことを考えるだけでは、戦後を知ることは出来ない。とくに「講和条約」を考える上には、そうである。また、「講和条約」は、朝鮮戦争を抜きにしては、語れない。そして、それには、B・カミングス『朝鮮戦争の起源』を読むことが一番である、と思う。


私がこの本と巡り合うことになったのは、偶然の出来事ではない。必然的なことであった。そして、この本と巡りあったことをラッキーであったと思っている。

それにしても、全3冊、総ページ数が、1600pもあるし、細かい文字が並ぶこの本を読破するのは、――大げさではなく――「一大事業」である。もっとも、それをなし終えたという訳ではない。

これから、始めようというのである。だから、「読書ノート」としなかった。


 通常でない、朝鮮戦争史=「日本経済新聞」の記事から

本書は通常の朝鮮戦争史ではない。専門的にいえば「解釈史」とでもいえようか。この戦争の基本的展開や概要を語るのではなく、内戦という基本的性格を強調しながら、より広く長い歴史的文脈において朝鮮戦争を理解しようとする試みである。
 著者によれば、朝鮮戦争は「忘れられた、あるいは一度として知られたことのない戦争」である。朝鮮戦争の歴史的意義についても、これまでの理解は浅かった。20世紀に起きた戦争のなかで、朝鮮戦争はもっとも破壊的な戦争であった。推定300万人の韓国・朝鮮人がこの戦争で命を失い、しかも少なくとも半数は民間人であった。
 この戦争は、日本の復興と工業化を支援した。とりわけ重要なのは、国防費を従来の4倍に増やし、アメリカが今日の「世界の警察官」となったのは、第二次世界大戦ではなく朝鮮戦争であったという点である。
 本書では、戦時においてきわめて残虐な行為が、北朝鮮によるよりも、むしろ韓国側およびアメリカ軍によってより大規模かつ頻繁になされていたことも、執拗かつ容赦ない形で多数の事例をあげながら指摘される。その点で、本書は、韓国・アメリカによる残虐行為に対する告発と断罪の書でもある。
それだけではない。常識的には朝鮮戦争開始日とされる1950年6月までに、韓国の西南部地域においては、左派ゲリラ対策としてすでに10万人以上が殺害されていたことも詳述されている。まさに凄惨な内戦であった。】

 高度な文明をもつ朝鮮

著者のブルース・カミングスは、「日本語版への序文」で、次のように書いている。

【また、私はこの国の物質的な貧しさと、個々の朝鮮人が担っている高度の文明との間の裂け目に強い衝撃を受けた。これほど優れた資質と才能に恵まれた民族が、これほどの貧困にあえいでいる理由はいったい何であるのか。
一方わがアメリカはいかにその富が豊かであるにせよ、文化的には何を朝鮮に提供することができたのか。こうした疑問が私の念頭を去ろうとしなかったので、私は現代史にその答えを見出そうとした。
 20世紀に入ってからの朝鮮の歴史は、激動と災難の歴史であった。まず、この国は鎖国の夢を破られたが、しかしその結果は帝国主義の犠牲になったというこでしかなかった。
朝鮮を植民地とした日本人は、朝鮮人が自主的な発展を目指す権利を凡て奪ってしまってから、朝鮮人にはその能力はないと独善的にきめつけた。】
――大げさな事を述べるようだが、――私も、実は、カミングスと同じような感想を持つ。

日本は、江戸時代に鎖国をして国を閉ざしていた時に、外からの「情報」を得たのは、オランダだけではなかった。

朝鮮からの「情報」があった。それは、「朝鮮通信使」と呼ばれた。

その様子は、時々、日本の時代劇ドラマなどでも、見ることが出来る。いわば、日本は、朝鮮を通して当時の世界の情勢を知ることが出来た。

つまり、朝鮮は、日本人にとっては、「恩人」である。事実、朝鮮の方が文化は進んでいた。その朝鮮が、何故、ロシアや日本などに「膝を折ること」になったのか。

その理由を知りたいと思っていた。


 「講和条約」と朝鮮戦争

それだけではなく、「講和条約」についての本を読む中で、朝鮮戦争のことを知ることが、不可決であるということが解った。「講和条約」は、朝鮮戦争抜きでは語れない、ことを知った。

そして、その朝鮮戦争を根底から考えるためには、どうやら、このカミングスの本が最適である、らしいことが分かった。もちろん、この本ですべてのことが解るとは、思ってはいない。

まだまだ、他に読むべき本が、たくさんあるだろう。だが、まずは、この本に決めた。この「日経」の記事を読んで、ますます、確信をもった。


人生は短く、読むべき本は無数にある。そのすべてに目を通すことが出来ない以上、読むべき本を選択することは、避けられない。

それが、賢明な選択であるかどうかは解らないが、自分を信じるしかない。自分で行った選択であれば、後悔しても納得がいく、と思うからである。

少し話が、飛んだ。この辺で、まとめたい。

著者のブルース・カミングスの「疑問」を、――同時にそれは私の疑問でもあるが――カミングスに導かられながら、解いていきたい。

読者とは、この本を読み終えた後で、改めて再会できることを希望したい。

(2015年12月25日)

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