2015年12月20日日曜日

岸首相の”演説”「日米関係は新段階に入った」

<正村 戦後史(70)>
反安保闘争の実態を見ていきます。ただ、この時期の「反対闘争」は、それほどの「盛り上がり」を見せてはいません。



 「日米関係は新段階に入った」

【2月1日、岸首相は施政方針演説で「日米関係は新段階に入った」と述べた。2月9日、藤山外相は国会において「日米安保条約は純粋に防衛的なものだ」と答弁した。2月19日、衆議院安保条約特別委員会が新安保条約の審議を開始した。

2月24日、ソ連は、駐ソ日本大使門脇李光に日米新安保条約は侵略的だと批判する通告を行った。2月26日、ソ連のフルシチョフ首相は、訪問先のインドネシア議会で日米新安保条約の「侵略性」を攻撃した。

2月27日、岸首相は、記者会見で、新安保条約は防衛的なものであり、フルシチョフ発言は内政干渉だと述べた。

・3月16日、全学連大会が開催されたが、主流派が反主流派を締め出して会議を強行したため事実上の分裂状態に陥った。

・3月17日、三池炭鉱で第2組合が組織された。第2組合は、全組合員約1万5000人の4分の1に近い3600人を組織することに成功した。無期限ストに突入している労働組合を切り崩そうとする会社側の工作が熾烈に行われ、かなりの成功を示したのである。

第2組合の結成は第1組合側に打撃を与えた。三池争議支援のために炭鉱労働者全体にストを4月5日以降に予定していた炭労の指導部は、方針を転換して三池問題を中労委の斡旋に持ち込むことにした。

3月23日、社会党は第17回臨時党大会を開催し、24日、委員長浅沼稲次郎、書記長江田三郎などの新役員を選出した。


・3月28日、三池では、第2組合側が、棍棒や竹槍などを持ち、会社側が雇用した外部勢力を先頭にして第1組合のピケットラインを突破しようとした。そのため、両者が激突し、第1組合側は重軽傷百余人を出した。

翌29日、ピケットラインの第1組合に武力団員がナイフを持って襲いかかり、第1組合久保清を殺害した。

・2月から3月にかけて、国会では「極東の範囲」などをめぐって社会党と政府の論戦が繰り返された。政府側は、社会党議員の執拗な質問にたいし、「極東とは、フィリピン以北、日本周辺をいう」、「極東には、金門と馬祖は含まれる。北千島は含まれない」、「沖縄への在日アメリカ軍の移動は事前協議の対象にはならない」などと答弁した。

金門と馬祖は中国大陸沿岸の島で台湾側が確保しており、中国大陸とのあいだに砲撃戦が展開されている場所である。千島は領土問題をめぐってソ連と係争中で、どこまでを条約の範囲とするかは微妙な意味をもっていた。

さらに、まだ施設権をもたない沖縄への在日アメリカ軍の移動を無条件に認めることは、日本との協議なしに在日アメリカ軍が沖縄を基地としてより広い範囲の戦闘行動に容易に出動できるようにする結果になるという疑念を生んだ。

もともと集団的自衛権を認めることが困難な日本の立場を考慮しつつ、アメリカ軍の極東における戦略の遂行のために在日アメリカ軍の行動の有効性を保持しようというのが条約の立場であったから、規定の曖昧さは避けられず、野党の質問にたいする政府の答弁はしばしば混乱を見せ、そのたびに審議が中断した。

社会党側は、国会外の大衆運動の盛り上がりを背景として、審議を混乱させ、新安保条約批准を阻止することをねらっていた。それでも、年度末の3月31日には1060年度政府予算が原案通り可決成立した。

4月5日、自民党は、衆議院安保条約特別委員会の採決を4月22日におこなうという日程を示したが、野党がこれを拒否した。同じ4月5日、安保条約改定阻止国民会議の第14次統一行動が行われた。

その一環として、合化労連は反日スト、全旅労連、全港湾などの組合は2時間スト、公労協、鉄鋼、私鉄などは職場大会を行った。もっとも、この時期の労働組合の行動は賃上げを主たる目的とする春季闘争の一環として実施される場合が多かった。】


 日本の組織の「宿啞」

繰り返しになりますが、「組織が分裂する」のは、日本の組織の「宿啞」である、と言うように感じます。

それは、昔も今も、変わらない、ように思えます。組織が内部から「腐食」し、内部分裂を起こし、やがて解体に向かう。

この「病理」を解決しない限り、「日本の苦悩」はなくならない、と思います。

(2015年12月20日)

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