2015年11月1日日曜日

戦後最大の失敗「岸信介を総理にしたこと」

〈Web読書会 正村(31)〉
今日は、岸信介内閣と石橋内閣の違い、岸の経歴を中心とした内容です。
日本国民、最大の”失敗”は、「岸信介を総理にしたこと」 である、と思います。

これから、じっくりと、読んでいきたいと思います。


★ 岸内閣

≪2月22日、石橋は三木幹事長と池田蔵相に退陣の意思を伝え、自民党両院議員総会は岸を後継首班候補に決定した。翌23日、石橋内閣は総辞職した。63日の短命内閣であった。

25日に、岸は国会で首班指名を受けた。岸内閣は石橋内閣の全閣僚をほとんどそのまま継承したが、石井光次朗が国務大臣として新たに入閣した。岸自身は首相と外相を兼任した。自民党は3月21日の党大会で岸を総裁にした。

・積極財政を公約した石橋内閣が退陣しただけでなく、経済情勢が大きく変化したため、政策の基調は大きく変化せざるをえなかった。1956年秋ごろから、鉄鋼の需給逼迫による価格の高騰、電力の供給不足、国鉄輸送力の不足による滞貨の増大などが発生した。

1957年1~3月には国際収支が大幅の赤字になった。岸内閣成立前後に日銀は金融引き締め政策(3月20日と5月8日に公定歩合引き上げ)を採用し、岸内閣は財政面でも公共投資や財政投融資の繰り延べを実施(6月、国際収支改善緊急対策)しなけれらならなくなった。

・石橋から岸への主役の交代は外交政策の基調を変化させた。同じく「自主国民外交」をとなえていても内容は同じではなかった。石橋は、政界復帰以来、一貫して日中関係改善に関心を示し、積極的に行動してきたが、岸の場合は、その経歴も思想も日中関係改善にとって障害とならざるをえない要素が大きかった。だから、岸を選んだ.usa

・岸は、石橋と対照的な人物であり、経歴や人脈も異質であった。石橋は戦前・戦中に在野の気骨あるリベラルな経済評論家で通したが、岸は同じ時期に「革新派」の有能な官僚として右翼や軍部の信望を集め、時流に乗り、戦争推進体制の中で指導的地位を維持した。

戦後の中国との関係を発展させるには、岸は、戦前の日本の中国侵略に、あまりにも直接的に、またあまりにも深くかかわりすぎていた。


・岸信介は1896年(明治29年)の生まれで首相就任時は60歳であった。

戦前・戦中の華々しい経歴に比較して実際の年齢は比較的若かった。岸はもとの姓を佐藤という。

少年期に佐藤家の養子であった父の生家である岸家を継いだ。

東京帝国大学独法科在学中に国家主義的憲法学者上杉慎吉教授に師事し、右翼学生団体七生会に参加した。卒業後に就職した農務省が商工省と農林省に分割され、商工省に移った。

1936年、関東軍幹部の招きで満州国産業部次長に就任した(三九歳)。産業部次長は産業開発の実質的な最高責任者であり(形だけの部長は現地人)、満州開発五か年計画を立案、満州重工業を創立した。

満州国を支配した日本人に実力者五人、すなわち満州国国務院総務庁官星野直樹、関東党軍参謀長東条英機(のちの首相)、満州重工業総裁鮎川義介(日産コンツェルンの指導者)、南満州鉄道総裁松岡洋石(のちの外相)、産業部次長岸信介は、当時、「二キ三スケ」と呼ばれた。

このうち鮎川と松岡は岸の親族でもあった。1939年岸は帰国して商工次官となり、1941年10月には東条内閣の商工相となった。(44歳)。1942年4月の総選挙で「翼賛政治体制協議会」の推薦を受けて立候補し、当選した。

1943年11月の機構改革で商工相と農林省が軍需省と農商務省に改組され、軍需相は東条が兼任したため、岸は国務相・軍需次官として軍需生産行政を担当した。

1944年夏、本土空襲は軍需生産の崩壊を招くとしてマリアナ群島を守る決戦を提案し、東条と対立した。それは東条内閣総辞職の契機となった。

・1945年9月、A級戦争犯罪人容疑でアメリカ軍に逮捕されたが、1948年12月に不起訴で釈放された。

すでに触れたように1952年に同志たちと日本再建連盟を結成したが、政治的には不信で、結局、1953年に自由党に入党した。その後は、鳩山一郎や三木武吉らと行動をともにし、1955年1月、日本民主党幹事長、1956年11月、保守合同最初の自民党幹事長に就任した。≫

★ 岸信介を総理にした日本国民の「罪」

後のほうで出てきますが、岸は、石橋内閣の外相であったとき、「空飛ぶ外相になりたい」と発言しています。

その「思い」をまさに今、岸の孫である安倍晋三首相が、代わりに「実現」しています。

我々、日本国民としてはいい迷惑なのですが、当人は、「地球を俯瞰する外交を行った」と、「自画自賛」しています。

どうやら安倍晋三首相には、「岸のDNA」が、ーそれも政治的DNAがー組み込まれているようです。

そして、そのDNAの構造の深部には、「日本国憲法の改正」が組み込まれている、と観るべきでしょう。


それにしても、我々日本の国民は、何故、岸信介を総理大臣に選んだのでしようか。何故、岸だけに「陽の当たる場所」を提供したのでしようか。

今日、安倍首相があるのは、岸信介があってこそのことです。その意味において、戦後の日本国民が岸信介を総理大臣に選んだ「罪」は大きい、と思います。

(2015年11月1日)

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