<正村 戦後史(53)>
今回から、「講和条約」に関する章を読んでいきます。今日は、米国の「日本占領が長期化」した、いきさつを観ていきます。それは、主には、「冷戦」が原因でした。
著者は、そのほかに、「戦後改革の遂行」を挙げています。
★ 米国の「日本占領が長期化」の原因
【アメリカ軍の日本占領は、1945年8月下旬から1952年4月下旬まで実に6年8か月もつづくことになった。外国を支配して植民地化することを当初から意図した戦争に場合は別として、近代の大国間に戦争の後始末としては異例の長期占領であった。
占領軍最高司令官マッカーサーは、、1947年2月アメリカ議会に対するメッセージのなかで「歴史は軍事占領というものが一定期間以上は効果をあげえないことを教えている」と述べており、占領開始直後から一貫して早期講和を唱えていた。それにもかかわらず、日本占領が長期化したのは、基本的に二つの理由による。
・第1は、戦後改革の遂行である。
・アメリカは、第2次世界大戦中、連合国側の指導国家として、民主主義、自由、経済的諸制度の改革などの理念的戦争目的を掲げ、戦後、全体主義的国家であった枢軸国側の敗戦国にたいしてこれらの戦争目的に沿う改革を要求した。
タテマエとして敗戦国の国民の自由な意思によって自由主義・民主主義の体制を選択させるというのであったが、実態は、占領軍が改革を阻害する勢力を排除し、制度変更を強制する方法をとった。その改革を見届けるために対日占領はある期間が必要であった。
・第2は、冷戦である。
・枢軸側の敗戦国のなかでも、ドイツは東西に分割されたために戦後処理は一層困難になった。両陣営の相互不信は拡大し、東西両ドイツへの分裂は固定化され、その境界は東西緊張激化の1つに震源地になった。
西側諸国が西ドイツをソ連に対抗する同盟の一員として復興させ、再軍備を推進する政策をとると、ソ連はドイツの軍事的復活を恐れて統一・中立ドイツとの和平を提案した。しかし、ベルリン封鎖などの経験を経て西側諸国の態度は一層硬化した。
・アジアでもソ連の膨張主義は明瞭であった。朝鮮では、南北分割が固定化され、戦後はじめて共産主義者たちの武力による公然たる侵略が開始された。中国大陸は、激しい内戦の結果、アメリカ政府主流の期待に反して共産主義者たちの統治体制下に移行し、アメリカ軍はその中国軍と朝鮮で凄惨な戦争を経験した。
・日本では、共産主義者の数は多くはなく、選挙の得票も限られていたが、行動力や知識層への浸透力は軽視できなかった。戦争の破壊と戦後の経済危機は民衆の不満を高め、共産主義者の影響力を拡大した。
1947年の2・1ストライキ計画に示されたように、彼らは、占領軍自身が推奨した労働組合運動で一定の位置を占め、占領軍権力を脅かす最強の主体になりつつあった。アメリカは、日本の民主化が、結果として共産主義者の活動を助けつつあることを感ずるようになった。
・アメリカの占領目的は、日本の非軍事化・民主主義化から対共産主義戦略に重点をおいた日本再建へとシフトした。そのためアメリカの対日政策は以下の二点にしぼられることになった。
・その1は、日本自身の共産主義化の防止である。そのために、日本における自由主義的勢力の強化をはかるとともに、共産主義者たちの活動を規制し、彼らのよる権力奪取の試みを挫折させるに十分な警察力・軍事力を日本政府に備えさせることが必要であった。
・その2は、アメリカ軍が、日本を極東における対共産圏戦略の拠点としてひきつづき利用しうる状態にしておくことであった。朝鮮戦争で、日本はアメリカ軍にとって不可欠の基地となった。
アメリカは、これまでと同様に日本に基地が自由に使用できるという条件でなければ講和は認められないと考えるようになった。】
★ 「日本占領」は、いまも「継続中」
朝鮮戦争は、米国の対日戦略に大きな影響を及ぼすことになりました。
まず、このことで、占領自体が長引きことになりました。
マッカーサーは、日本の占領について、早期に終わるだろうと考えていたようです。
もともと、第二次大戦は、日本は「主流」ではありませんでした。
日本と、米国が戦ったのは、チャーチルとルーズベルトの「陰謀」によると考えることができます。
それは、アメリカでも、実証的な研究で明らかになっています。チャーチルとルーズベルトの「目的」は、ナチスを打ち破ることにありました。
そのために「日本が利用された」のでした。もともと、日本は、米国にとっては、脅威でもなんでもなかった、のでした。
ですから、ナチスをやっつけた後では、日本はそれほど重要視されていなかった、と思います。
米国の占領目的は、当初から、「日本の民主化」にあったのではなく、米国の「防波堤」にするということにあった、と思います。
そうであるからこそ、米国は、沖縄を「永久に占領する」計画を立てたのだと思います。
当時は、日本が米国に従属させられるようになることは、「避ける」ことが出来ないことであったと思います。
米国は、日本を真に「民主化する」つもりが初めからなかった。そう考えると、すべてのことが、「つじつま」が合ってくるのです。
米国は、いまだに「ポツダム宣言」を履行しようとは、していません。守ろうとはしていません。
日本の政府は、このことを米国に「要求すること」さえしません。これでは、いつまでたっても、日本は「占領」され続けることになるでしょう。
(2015年11月26日)
今回から、「講和条約」に関する章を読んでいきます。今日は、米国の「日本占領が長期化」した、いきさつを観ていきます。それは、主には、「冷戦」が原因でした。
著者は、そのほかに、「戦後改革の遂行」を挙げています。
★ 米国の「日本占領が長期化」の原因
【アメリカ軍の日本占領は、1945年8月下旬から1952年4月下旬まで実に6年8か月もつづくことになった。外国を支配して植民地化することを当初から意図した戦争に場合は別として、近代の大国間に戦争の後始末としては異例の長期占領であった。
占領軍最高司令官マッカーサーは、、1947年2月アメリカ議会に対するメッセージのなかで「歴史は軍事占領というものが一定期間以上は効果をあげえないことを教えている」と述べており、占領開始直後から一貫して早期講和を唱えていた。それにもかかわらず、日本占領が長期化したのは、基本的に二つの理由による。
・第1は、戦後改革の遂行である。
・アメリカは、第2次世界大戦中、連合国側の指導国家として、民主主義、自由、経済的諸制度の改革などの理念的戦争目的を掲げ、戦後、全体主義的国家であった枢軸国側の敗戦国にたいしてこれらの戦争目的に沿う改革を要求した。
タテマエとして敗戦国の国民の自由な意思によって自由主義・民主主義の体制を選択させるというのであったが、実態は、占領軍が改革を阻害する勢力を排除し、制度変更を強制する方法をとった。その改革を見届けるために対日占領はある期間が必要であった。
・第2は、冷戦である。
・枢軸側の敗戦国のなかでも、ドイツは東西に分割されたために戦後処理は一層困難になった。両陣営の相互不信は拡大し、東西両ドイツへの分裂は固定化され、その境界は東西緊張激化の1つに震源地になった。
西側諸国が西ドイツをソ連に対抗する同盟の一員として復興させ、再軍備を推進する政策をとると、ソ連はドイツの軍事的復活を恐れて統一・中立ドイツとの和平を提案した。しかし、ベルリン封鎖などの経験を経て西側諸国の態度は一層硬化した。
・アジアでもソ連の膨張主義は明瞭であった。朝鮮では、南北分割が固定化され、戦後はじめて共産主義者たちの武力による公然たる侵略が開始された。中国大陸は、激しい内戦の結果、アメリカ政府主流の期待に反して共産主義者たちの統治体制下に移行し、アメリカ軍はその中国軍と朝鮮で凄惨な戦争を経験した。
・日本では、共産主義者の数は多くはなく、選挙の得票も限られていたが、行動力や知識層への浸透力は軽視できなかった。戦争の破壊と戦後の経済危機は民衆の不満を高め、共産主義者の影響力を拡大した。
1947年の2・1ストライキ計画に示されたように、彼らは、占領軍自身が推奨した労働組合運動で一定の位置を占め、占領軍権力を脅かす最強の主体になりつつあった。アメリカは、日本の民主化が、結果として共産主義者の活動を助けつつあることを感ずるようになった。
・アメリカの占領目的は、日本の非軍事化・民主主義化から対共産主義戦略に重点をおいた日本再建へとシフトした。そのためアメリカの対日政策は以下の二点にしぼられることになった。
・その1は、日本自身の共産主義化の防止である。そのために、日本における自由主義的勢力の強化をはかるとともに、共産主義者たちの活動を規制し、彼らのよる権力奪取の試みを挫折させるに十分な警察力・軍事力を日本政府に備えさせることが必要であった。
・その2は、アメリカ軍が、日本を極東における対共産圏戦略の拠点としてひきつづき利用しうる状態にしておくことであった。朝鮮戦争で、日本はアメリカ軍にとって不可欠の基地となった。
アメリカは、これまでと同様に日本に基地が自由に使用できるという条件でなければ講和は認められないと考えるようになった。】
★ 「日本占領」は、いまも「継続中」
朝鮮戦争は、米国の対日戦略に大きな影響を及ぼすことになりました。
まず、このことで、占領自体が長引きことになりました。
マッカーサーは、日本の占領について、早期に終わるだろうと考えていたようです。
もともと、第二次大戦は、日本は「主流」ではありませんでした。
日本と、米国が戦ったのは、チャーチルとルーズベルトの「陰謀」によると考えることができます。
それは、アメリカでも、実証的な研究で明らかになっています。チャーチルとルーズベルトの「目的」は、ナチスを打ち破ることにありました。
そのために「日本が利用された」のでした。もともと、日本は、米国にとっては、脅威でもなんでもなかった、のでした。
ですから、ナチスをやっつけた後では、日本はそれほど重要視されていなかった、と思います。
米国の占領目的は、当初から、「日本の民主化」にあったのではなく、米国の「防波堤」にするということにあった、と思います。
そうであるからこそ、米国は、沖縄を「永久に占領する」計画を立てたのだと思います。
当時は、日本が米国に従属させられるようになることは、「避ける」ことが出来ないことであったと思います。
米国は、日本を真に「民主化する」つもりが初めからなかった。そう考えると、すべてのことが、「つじつま」が合ってくるのです。
米国は、いまだに「ポツダム宣言」を履行しようとは、していません。守ろうとはしていません。
日本の政府は、このことを米国に「要求すること」さえしません。これでは、いつまでたっても、日本は「占領」され続けることになるでしょう。
(2015年11月26日)
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