<糸川 「前例がなからやってみよう」(2)>
今日は、「他人と自分は違う」ということについて考えてみます。これは、「立場をかえてものを観る」ということにつながります。別の言い方をすると、物事を客観的に観る、
ということでもあると思います。
まるで科学とは関係がないことのように感じられると思いますが、そうではありません。「他人と自分は違う」という認識があって、初めて、科学もしくは科学的精神が育ってくる基礎が、出来てきます。
★ 「不可能なものを可能にする」には
【アポロ11号が月着陸に成功した当日、大部分の家はテレビのスイッチを入れていたはずである。7割の視聴率だったというから、たいへんなものである。
昼間のその時間は、負担が多すぎて全部電力がオーバーロードになったであろう。電力会社ではそこで、普段は動かしていない発電所までことごとく動員して、やっと切り抜けたということである。
・そのとき、電圧を計ってみれば、おそらく97ボルトぐらいしかなかったであろう。われわれユーザーからいうと、電力会社と契約しているのは100ボルトであるから、97ボルトぐらいしかなかったとすると3ボルト少ないことになる。
もし、誰かが、これに対して苦情を言った場合、電力会社は、ひらあやまりにあやまらなくてはならない。ところが、電力会社の社員は、そうは思わないのである。
・「さすがはうちの会社だ。大電力会社だからこそ乗り切れたわけで、ほかの会社だったら、お手上げになって、送電をストップしなければならないところも生じたはずだ。それを97ボルトでもちこたえられたのは、さすが大電力会社だけのことはある。」
・これはおかしい。われわれは100ボルトで、50サイクルまたは60サイクル電力をもらうということで電力会社と契約しているのだから、厳密に言うと、たとえ1時間でも、2時間でも100ボルトを切ったら、契約違反ということで、1か月の電気代は払わなくてもいいのである。
・このことは、危険な添加物の入った食品を買ったのと、少しも意味は違わない。契約上の商品とは異なる商品がきているわけだから、危険な添加物の入った商品と同じく、代金を支払う必要はない。
こういうことを誰ひとりとして考えなかったことが、そもそもおかしいことなのである。
・・・・・
・こういう発想がない一方で、電力会社の社員のように、さすがはうちの会社だということになる。ユーザのほうでもまた、みんな同じ人間だからおなじようなものの考え方をしているのだろうと思うから、もしも、そんなことを電力会社に言いに行ったら、お前は頭がおかしいのじゃないかと、窓口でおこられるのが、関の山だということになって、いいたいこともいわなくなる。
システムが日本で育たないのは、じつはこういうところに原因がある。そこで、いつもいつも、外国から新しいものを入れないことには、自分でプロセシングができない。不可能なものを可能にすることができない訳である。
・ここまで述べたことを、もう一度おさらいしてみよう。
・組織であれ何であれ、他人と自分は違うのである。とりわけユーザーの考えることは、メーカーの考えることとは大変い違うのだということをわたしたちは銘記すべきだろう。
つくる人は、使う側の人間に気持ちになってはじめて、物を見る目も違ってくるものである。
・また、おなじ組織のあいだでも、他人と自分は違うものだという思想がそこにあれば、かならず相手の人間にもわかるように自分の行動を調整するから、したがって、仕事もスムーズに進行するようになってくる。
壁が破れるのは、そういうところからなのである。】
★ 議論は議論
おかしいことは、おかしいという発想、勇気を持つことが必要だ、ということでしょう。そうしてこそ、科学が科学として育つことが出来るようになるということだと思います。
ごく基本的、単純なことを指摘されているだけのことなのですが、「説得力」があると感じます。
要は、「心構え」の問題であるということになると思います。
しかし、これが、日本では難しい。
「正しい」ことを言っているのに、それを言うと、「その場の雰囲気が壊れる」ということで、お互いに遠慮をしてしまう。
いわゆる「空気」を読んで、いいたいことをいわない。
こういう「習慣」を変えていかないことには、日本の社会に科学、科学的精神が育ち、根づいていくことは、難しいように感じます。
「異論」を挟むと、その相手を攻撃しているように思われてしまう。「議論は議論」で、その人の言うことと、「人間性」とは関係がない。
「人間は人間である」という区別ができない。
前回の蒸し返しのようになりますが、やはり「根本のところ」で、「はき違え」があるように感じます。
(2015年11月14日)
今日は、「他人と自分は違う」ということについて考えてみます。これは、「立場をかえてものを観る」ということにつながります。別の言い方をすると、物事を客観的に観る、
ということでもあると思います。
まるで科学とは関係がないことのように感じられると思いますが、そうではありません。「他人と自分は違う」という認識があって、初めて、科学もしくは科学的精神が育ってくる基礎が、出来てきます。
★ 「不可能なものを可能にする」には
【アポロ11号が月着陸に成功した当日、大部分の家はテレビのスイッチを入れていたはずである。7割の視聴率だったというから、たいへんなものである。
昼間のその時間は、負担が多すぎて全部電力がオーバーロードになったであろう。電力会社ではそこで、普段は動かしていない発電所までことごとく動員して、やっと切り抜けたということである。
・そのとき、電圧を計ってみれば、おそらく97ボルトぐらいしかなかったであろう。われわれユーザーからいうと、電力会社と契約しているのは100ボルトであるから、97ボルトぐらいしかなかったとすると3ボルト少ないことになる。
もし、誰かが、これに対して苦情を言った場合、電力会社は、ひらあやまりにあやまらなくてはならない。ところが、電力会社の社員は、そうは思わないのである。
・「さすがはうちの会社だ。大電力会社だからこそ乗り切れたわけで、ほかの会社だったら、お手上げになって、送電をストップしなければならないところも生じたはずだ。それを97ボルトでもちこたえられたのは、さすが大電力会社だけのことはある。」
・これはおかしい。われわれは100ボルトで、50サイクルまたは60サイクル電力をもらうということで電力会社と契約しているのだから、厳密に言うと、たとえ1時間でも、2時間でも100ボルトを切ったら、契約違反ということで、1か月の電気代は払わなくてもいいのである。
・このことは、危険な添加物の入った食品を買ったのと、少しも意味は違わない。契約上の商品とは異なる商品がきているわけだから、危険な添加物の入った商品と同じく、代金を支払う必要はない。
こういうことを誰ひとりとして考えなかったことが、そもそもおかしいことなのである。
・・・・・
・こういう発想がない一方で、電力会社の社員のように、さすがはうちの会社だということになる。ユーザのほうでもまた、みんな同じ人間だからおなじようなものの考え方をしているのだろうと思うから、もしも、そんなことを電力会社に言いに行ったら、お前は頭がおかしいのじゃないかと、窓口でおこられるのが、関の山だということになって、いいたいこともいわなくなる。
システムが日本で育たないのは、じつはこういうところに原因がある。そこで、いつもいつも、外国から新しいものを入れないことには、自分でプロセシングができない。不可能なものを可能にすることができない訳である。
・ここまで述べたことを、もう一度おさらいしてみよう。
・組織であれ何であれ、他人と自分は違うのである。とりわけユーザーの考えることは、メーカーの考えることとは大変い違うのだということをわたしたちは銘記すべきだろう。
つくる人は、使う側の人間に気持ちになってはじめて、物を見る目も違ってくるものである。
・また、おなじ組織のあいだでも、他人と自分は違うものだという思想がそこにあれば、かならず相手の人間にもわかるように自分の行動を調整するから、したがって、仕事もスムーズに進行するようになってくる。
壁が破れるのは、そういうところからなのである。】
★ 議論は議論
おかしいことは、おかしいという発想、勇気を持つことが必要だ、ということでしょう。そうしてこそ、科学が科学として育つことが出来るようになるということだと思います。
要は、「心構え」の問題であるということになると思います。
しかし、これが、日本では難しい。
「正しい」ことを言っているのに、それを言うと、「その場の雰囲気が壊れる」ということで、お互いに遠慮をしてしまう。
いわゆる「空気」を読んで、いいたいことをいわない。
こういう「習慣」を変えていかないことには、日本の社会に科学、科学的精神が育ち、根づいていくことは、難しいように感じます。
「異論」を挟むと、その相手を攻撃しているように思われてしまう。「議論は議論」で、その人の言うことと、「人間性」とは関係がない。
「人間は人間である」という区別ができない。
前回の蒸し返しのようになりますが、やはり「根本のところ」で、「はき違え」があるように感じます。
(2015年11月14日)
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