「子どもが殺されたら黙っておられないのは、相手も同じ」とツイートした。「正義の武力はない」とものべた。
ある俳優さんであるが、多彩な才能の持ち主のようである。伊勢谷友介と言う人
である。
その伊勢谷氏が、パリ「テロ事件」に対する「対テロ戦争」を厳しく批判していた。
伊勢谷氏は主には、俳優としての活動がメインであるようだが、監督、実業家としても、活躍中である、と「wikipedia」では紹介されている。
NHKの大河ドラマ『竜馬伝』で高杉晋作役をしていた俳優さんである。
最近は、大手のマスコミが書く記事が「つまらない」、「物足りない」と思うようになった。あちこちをさがすなかで、「リテラ」というサイトに巡り合った。
サイトのサブタイトルには、「本と雑誌の知を再発見」とある。もともとは、本と雑誌を紹介するサイトのようだ。ところがこの「リテラ」、なかなか、読ませる記事を載せている。
そのリテラが、今日は「伊勢谷友介が対テロ戦争を真っ向批判! 子供が殺されたら黙っていられないのは相手も同じ、正義の武力はない」という記事を載せた。
1) パリでの「テロ」事件
記事は、まず、パリでの「テロ」事件についての、安倍政権やメディアの「反応」を紹介する。
【パリで起こった同時多発テロを受けて、案の定、安倍政権はテロへの危機感を煽り、テロ発生以前から安倍首相が「極めて重く、大切な課題だ」と発言してきた緊急事態条項の創設に向けて本格的に動き出す見込みだ。同時に、メディアも難民や在日外国人までをもテロリスト呼ばわりし、緊急事態条項なくしてはテロに対抗できないと触れ回っている。】安倍政権だけでなく、本来は政権の「監視役」でなけれらならない、メディアまでもが、「テロの危険」性を煽り、緊急事態に対処する「法律」の創設を画策していると、批判する。
とにかく、今の安倍政権は何でもありだ。自民党の幹事長の谷垣氏でさえ、これに同調、憲法改正を行い、緊急事態条項を盛り込むことを必要だと街頭演説した。
もはや、谷垣氏は、「リベラル」という「衣装」を脱ぎ捨てた。そして今では、「超保守」と言ってもいいような言論が目立つようになってきている。だが、これは、偶然のことではないだろう。
この事を述べていくと、「キリがなくなる」ので、話を戻す。
さて、この様な状況について、ひとりの俳優が敢然と反旗を翻した。
「一気に噴出した排斥主義と、対テロ戦争の“正当化”──。だが、こうした高まる声に抵抗の姿勢を示したのは、俳優の伊勢谷友介だ」と、リテラの記事はいう。
2) 至極まっとうな論理
伊勢谷友介氏は、次のように述べる。
【テロを非道だと思うのは、その行為からだ。しかしその行為に至るのには必ず理由になる彼らに対する非道があったからだ。それを無視して、非道だからと怒りに任せて攻撃するのは、これまでの歴史的事実を知っていれば、解決にならない。子供が殺されたら黙っていられない。それは相手も同じ。〉これは至極まっとうな論理である。私も、そう考える。マスコミはほとんど伝えることをしないが、米国の無人機による攻撃で、多くの「無辜に人々の命」が奪われている。
「パリ」で命を落とした人々は、「悲しむべきこと」で、シリアなどで命を落とした人々は、「どうでもいい」ということにはならない、と思うからだ。
パリの行為が「憎むべき蛮行」と言うなら、シリアでの無人機による攻撃も、同様に許されざる「蛮行」であろう。こう思うからである。
リテラの記事は、伊勢谷氏の「論」を次のように補足する。
3) 問題の深層を直視
それはこうである。
【伊勢谷がこのように述べたのは、今月16日のツイッターでのこと。政権もメディアも、そしてツイッターなどのSNS上でも、テロ行為への非難が溢れかえっているが、一方、シリアでは“正当化”された空爆によって多くの市井の人びとが命を落としている。そもそもISを産みだしてしまったのは、すでにアメリカの欺瞞が暴かれているイラク侵攻に原因がある。
この現実に目を向けなければ、負の連鎖はつづいていくだけ──ヒートアップする「対テロ戦争こそ解決策」という意見に、伊勢谷は問題の深層を直視することを呼びかけたのだ。】「アメリカの欺瞞が暴かれているイラク侵攻に原因がある」という指摘は、英国のもと首相のブレアも「認めている」ことでもある。
ブレア氏は、「この戦争(イラク戦争=投稿者)とフセイン政権の崩壊によりイラクは混乱に陥り、宗派対立が激化して国際テロ組織アルカイダが勢力を増し、後に過激派組織『イラク・シリア・イスラム国(ISIS)』が台頭した。長引く戦争で何万人ものイラク国民が犠牲になり、米兵4000人以上、英兵179人が死亡した」と述べている。(「CNN」)
4) 「勇気」のある発言
ご多分に漏れず、伊勢谷氏の「論」への「攻撃」が、ツイッター上で行われているようだ。これらの「攻撃」に対しても、伊勢谷氏は、冷静に対処しているようだ。
私なら「ほっておく」が、そこは俳優業と言う職業をもつ「つらさ」か。伊勢谷氏は、丁寧に「返信」を返している。そのことについても、「リテラ」の記事は詳しく解説している。
ここにも、重要な指摘があるが、当面の私の関心からは「外れる」ので、読者の皆さんがそれぞれでこのサイトに行かれて、記事を読んで頂きたい。
それにしても、「勇気」のある発言だ。敬服する。
安保法案の審議の時もそうであったが、最近は、――いわゆる芸能人と呼べれている人々の――、政治的な場面での発言が増えてきているように感じる。
そして、そのことについて、私は、とてもいいことだと感じている。それが、たとえ「有名人あるいは見識の高い人」と認められている芸能人の発言でなくても、一向に構わないことである、と思うのだ。(なにも、伊勢谷氏のことをいっているのではない。念のため。)
4) マスコミの姿勢こそ、批判されるべき
「有名人あるいは見識の高い人」であるところの芸能人ではなく、「普通の芸能人」でも、誰に遠慮することはない、と思うのである。それは、もちろん、自身の「信念」によることだとは思うのであるが。
いわゆる普通の芸能人が、こうした「政治的な発言」をすると、ムキになって反論する人々がある。「何もわからない者が、偉そうに言うな」と言う反応からだろう。
だが、「芸能人」も芸を離れれば、一人の国民である。国民として、「政治に口を出すこと」は許されない、と言うようなことは決していない。大いに発言してもらいたい。
「名前を売る」のも芸能人の仕事のひとつである。「売名行為」という批判があっても、「たじろく」べきではない、と思う。今までは、そういう批判を恐れてのことか、芸能人が政治的な発言をすることは、少なかったように思う。
そして、マスコミもそうした発言を積極的には報じてこなかった。そういう傾向があったように感じる。というより、「無視してきた」という感じがする。
繰り返しになるが――、「芸能人」も芸を離れれば、一人の国民だ。その発言が、もっと、尊重されてよい、と思う。尊重されるべきである、と思う。
もちろん、だからと言って、何もそれを「無批判に受け取れ」と言いたい訳では、けっして、ない。芸能人であるということで、「軽く」みることは「慎む」べきであると言いたいだけのことである。
まして、この伊勢谷友介氏の発言は、「まっとうな」ことを言っている。この発言を大手のマスコミが取り上げないのは、「おかしい」と思う。
そして、それが安倍首相への「遠慮」からのことであるとするならば、そうしたマスコミの姿勢こそ、批判されるべきである、と思う。
(2015年11月24日)
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