2015年11月2日月曜日

米国と戦争の代償「アジア諸国への“戦後賠償”」

<web読書会 正村(32>。今日は、賠償問題です。
あの戦争で、米国を相手にする必要はなかった。日本は、米国戦争などしなくてもよかっ
た。そう思うと、我々は、けっして安倍首相の「たくらみ」を許してはならない、と考えます。その代償は、高くつきました。

 東南アジアへの戦後賠償

≪1950年代における戦後処理の1つは東南アジア諸国にたいする賠償支払いの協定であった。それは日本の国際経済への復帰の契機にもなった。

・占領時代のアメリカの対日政策は大きく揺れ動き賠償問題の考え方も複雑な軌跡をたどったが、最終的にはサンフランシスコ平和条約で基本原則が確立した。

それは、日本の在外資産請求権の放棄や戦後の占領居費の日本による負担を実質的な賠償とみなし、賠償の取り立ては原則として行わないが、連合国のなかでとくに賠償に支払いを希望する国があれば個別に交渉するというものであった。

・アメリカやイギリスなどは講和会議の時点ですでに賠償請求を行わないことを決めており、台湾の蒋介石政権は、1952年の日華平和予約とその議定書で「日本国民にたいする寛厚と善意の象徴として」賠償請求権を放棄することを明確にした。

・1954年11月5日、サンフランシスコ講和会議に出席しなかったビルマとの平和条約と賠償・経済協力協定が調印された(1955年4月発効)。

日本は、条約と協定の発行時点から10年間に総額720億円(2億ドル)の賠償を支払い、18雄億円(5000ドル)の経済協力を進めると約束した。

賠償の支払いは日本からの役務また生産物による現物供与の方法によるものとし、経済協力は現地との共同事業への日本の出資などのかたちをとるがやはり現物で供与されることが取り決められた。この方式は、その後に多くの賠償協定で踏襲された。

・1956年5月9日、フィリピンとの賠償協定と経済開発借款に関する交換公文が調印された(同年7月23日発効)。

賠償総額は1980億円(5.5億ドル)で、最初の10年間に900億ドル(2.5億ドル)、次の10年間に1080億円(3億ドル)とし、日本からの役務また各種機械などの資本資材の供与のかたちで支払うことになった。

日本からの役務提供のなかには沈没船舶の調査と引き揚げなどが含まれていた。経済開発借款に関する交換公文では、日本からの9000億円(2.5億ドル)の借款が行われるように日本政府が努力することが約束された。

・1958年1月20日、インドネシアとの平和条約、賠償開発借款に関する公文が調印された(同年4月15日発効)。賠償の総額は803億880万円(2億2308万ドル)で、12年間に現物で支払うことが約束された。経済開発借款は1440億円(4億ドル)が約束された。

・1959年5月13日、ベトナム共和国(南ベトナム)との賠償協定、借款協定、経済開発借款に関する交換公文が調印された(1960年1月12日発効)。
賠償総額は、140億4000万円(3900万ドル)で、5年間に支払うものとされた。

借款供与は27億円(750万ドル)が約束された。ベトナムが南北に分裂している状況のなかで、日本は南ベトナム政府にだけ賠償と借款を約束した。

・以上の4か国にたいする賠償の総額は3643億4880万円(10億120万ドル)借款は2547億円(7億750万ドル)であった。賠償支払いの約束額は、1960年代初期には年間7500万ドルに達した。

当時の日本経済の規模と国際収支の実情を考えると決して軽い負担ではなかった。しかし、日本経済は、その後急速な成長を遂げ、国際収支も改善されたため、賠償協定や借款協定は順調に履行された。もっとも長期にわたったフィリピンへの賠償の支払いが完了したのは1976年である。

・以上のほか、1950年代末から1960年代にかけて、ラオス、カンボジア、タイ、ビルマにたいして無償の経済・技術協力などが約束された。

・これらの賠償や借款は、戦後における日本産業の東南アジア進出の最初の重要な契機となった。≫


 許してはならない=安倍首相の「たくらみ」



この箇所を読むと、上にのべたような「感想」を持たざるをえません。戦争などしなくても、経済発展を可能にする道はあった、と思わざるをえません。

とくに、最後の「これらの賠償や借款は、戦後の置ける日本産業の東南アジア進出の最初の重要な契機となった」という個所を読むと、そうです。

読者の皆さんは、どう思われたでしょうか。私の「考え」は、間違っていると思われますか。「変だ」と、思われますか。

これだけの賠償金や、借款をするぐらいなら、初めから、そういう国家大戦略を立てるべきだったのです。

戦争をしていなくても、「出来た」はずです。そうではないですか。

戦争に負けたのに、これだけのことが出来たのですから。負けたのに、それでもこれだけのことが出来たということは、戦争をしていなれば、もっと友好的にアジアの平和や発展に貢献することができた、と思います。

もっとも、それは、当時アジアを支配していた西洋の国々や米国などが、「植民地」を、無条件で解放することを前提としなければ、「成り立つ話」ではないのも、確かなことですが。

とにかくも、日本は、「自国の責任」を取るかたちで、再出発を果たそうとしたことは、事実です。これは、我々日本人が、「心に刻むべきこと」であると、思います。

日本は、今まで、戦争を行いアジア諸国に多大な「損害」と「迷惑」をかけた。その事の償いを、戦後ただひたすらに、行ってきました。

それなのに、何故、今頃になって、また、「同じこと」を繰り返そうとするのでしょうか。安倍首相のは、一体、何がしたいのでしょうか。

今、日本の国民は、一致団結して、安倍首相の「たくらみ」を決して許してはならい、と思います。

それが、アジア諸国への「責任を果たす」ということであると思います。


※ 明日は、岸のアジア外交を観ていきます。
(2015年11月2日)

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