2015年11月3日火曜日

大学教育の信頼性を損ねる「早稲田大が、小保方氏の博士号の取り消し」へ


大学教育の信頼性を損ねる決定である、と思います。早稲田大学が、小保方氏の博士号の学位の取り消しを決めた、と報じられました。


今回の”STAP細胞”騒動の根本的な原因は、「科学軽視の風潮」にあります。これを是正しないと、また、同じことが繰り返されることになる、と思います。

やはり、まだまだ、日本では、「科学とか、科学精神」というようなものは、育ってきていない、という思いを強くします。

今日は「文化の日」です。それに因(ちな)んで、再度、「STAP細胞」騒動について、考えてみたいと思います。「秋の夜長」です。すこし「理屈っぽく」なりますが、おつきあいを願いします。


ロケット博士」として著名な、故糸川英夫博士が著書で述べられていることを手掛かりに、「科学とは何か」ということについて観てみたい、と思います。


 技術だけを優先し、科学を軽視

糸川英夫博士は、日本が科学を置き去りにして、技術だけを優先し、発達させたことについて二つの理由をあげておられる。

一つ目は、「明治以来の政府の政策の結集」ということである。西洋に追いつき、追い越すこと。それを至上命令」と考える「維新政府の代表者ら」は、と区画西洋の技術を導入することのみを、考えた。

その背後に隠されている「科学思想」を考える「余裕」がなかった。また、考えようともしなかった。ただ、考えを形にすることだけを優先した。目の前で、機関車が動き、人や物を運ぶことが出来ればそれで満足した。

糸川博士は、このことについては、次のように言われる。
「明治政府は欧米に多くの優秀な日本人を送ったが、彼らも科学ではなく技術を学んだ。明治以来の技術重視、科学軽視(というより無視)がまだ日本を支配している。それが技術を科学と思い込み、科学技術庁という欧米では考えられない役所をつくり「日本異質論」をもっぱらにしてしまった背景である」(『糸川英夫の人類生存の大法則』糸川英夫著 徳間書店 1955年刊
政府により、欧米に送り出された「多くの優秀な日本人」は、とにかく、留学の成果を持ち帰ることが必要とされた。基礎的な科学」を学んでいる時間は、彼らにはなかった。また、許されることもなかった。

戦艦を、大砲を、機関車を作って見せなければならなかった。


 日本人特有のもの=嫉妬心

次の理由は、日本人特有のものと言えるかもしれない。
「第2の理由は、日本人に根強い嫉妬心である。それは人と違うことを言ったりやったりする人間を白眼視する、あるいは冷たく無視する形で現れる。科学はもともとその時代の常識に挑戦して発展してきたものである。
 だから常識への挑戦が白眼視されたり、無視されたりする日本のような社会では発展が難しい。・・・・
こうした人間の情緒のなかで長続きするものが一つだけある。それが、嫉妬とか怨念という感情である。英語でいえばジェラシーである。他人を否定することで、自分を安心させるという感情である。このような情緒が支配的であるかぎり、科学は発展しにくくなるのではないか。」(同上)
この指摘は、重要であると思う。「人と違うことを言ったりやったりする人間」を「白眼視する、あるいは冷たく無視する」というのは、本当に「恥ずべきこと」だが、我々は、そういう態度をとることを「当然」のようにしてきた。認めてきた。

この「傾向」は、科学の分野に限らない。いま、「流行りの、学校でのイジメ」なども、これが原因である。

経済、政治など、多くの場面でこういう現象がみられる。それは、「他人(ひと)と同じようにしなさい」ということである。「出る杭は、打たれる」といってもいい。


 「”STAP細胞”の存在」を発見した

昨年から続いた小保方氏の「STAP細胞」騒動は、上にあげた「二つのこと」を象徴するような「事件」であった。

小保方氏を非難し、攻撃する人々はもちろんのこと、彼女を擁護する人々も、最後には必ず、「”STAP細胞”を作って見せろ」と、叫んでいた。

とにかく、目の前で「作り上げて見せろ」という要求だ。「発見」(=科学)を、「生産」(=技術)と取り違えるから、そういう要求が出てくる。

確かに、小保方氏の「プレゼンテーション」は、多少演技めいたものがあったかもしれない。だが、彼女らは、「STAP細胞」の存在を発見し、それを発表したに過ぎない。

まだまだ、「課題は多く残っている」というのが、小保方氏の「説明」であった。


また、それは、「今までの常識を覆すもの」であった。まして、30歳そこそこの「一見、普通に見える女性」である。それだけに「当然、反発も大きかった」。

そのことが、多くの国民の「嫉妬心」を掻き立てた。とくに、「若い女性」からの、それが大きかった。それは、一部のマスコミ人のなかにも存在した。

もし、あれを若山教授が行っていたら、――国民の、マスコミの、反応はーーまた、違ったことであろう。

あんな大騒ぎをせずに「ゆっくりと、実験を続ける環境」を整えてあげる、ことこそ、必要であった。

日本中が、「寄って、集って」小保方氏をつぶしてしまった。この「報い」は、いずれ、我々が受けることになろう。

それもこれも、科学の本質を理解せず、科学を技術と混同する、我々の「思考=志向」が、基になっている。

この考えを改め、科学を科学として認め啓蒙しないかぎり、同じことはまた、繰り返されるだろう。

(2015年11月3日)

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