2015年11月24日火曜日

日本側の論理「独立後の日本の軍隊の保有は当然?」

<正村 戦後史(51)>
日本の再軍備は、GHQの「命令」指示ばかりではなく、日本側にもそれを求める動きがありました。独立後の日本が軍隊を持つことは、当然である、と言う考えが、指導や学
者、元軍人などの中にかなり見られたのでした。

 「独立後の日本の軍隊の保有は当然?」

【日本再軍備は直接にはマッカーサーに指示で開始されたが、日本側にも再軍備の必要を認める意見は広く存在した。敗戦・占領と同時に旧陸海軍は武装解除され解散させられたが、日本側の関係者の大多数はこの事態は一時的なものと判断していた。

連合国側は日本の永久支配を意図していないと考えられたし、平和条約が締結されて日本の主権回復が実現すれば、独立国として最低水準の軍隊の保有は承認されるものと理解されていた。

マッカーサーは個人的示唆を受けて天皇に提出する憲法改正草案を用意していた東久邇宮内閣の国務相近衛文麿も、それに対抗しながら公式の憲法改正作業を進めた幣原内閣の国務相松本 治も、それぞれ軍隊の再建は当然と考えており、かってのように軍部が独走しないようにするにはどのような制度を確立したらよいかに腐心した。

・戦争放棄条項を盛り込んだ新憲法草案を受け取った帝国議会の議員たちは、とまどいを感じた。マッカーサーも政府もこの草案の理想主義的立場を宣伝したし、国民の多数は、戦争の惨禍を経験した直後であるだけにその宣伝に多少は酔わされた。

しかし、問題を冷静に検討のすれば、非武装の規定には危惧を感じないわけにはいかなかった。帝国議会における討論でも、東大総長であり貴族院議員でもあった南原繁は、「歴史の現実を直視すると、国家としての自衛権と必要最低限の兵備を考えるには当然であり、これを憲法において放棄し、無抵抗主義を採用する何らの道徳的義務はない」と主張した。

共産党の衆議院議員野坂参三は「侵略された国が自国を護るための戦争は正しい戦争だ」と指摘しているし、貴族議員沢田牛麿は、「もし、二大国が何処かと戦争をすることがあって、日本がどっちかに附かなければならない羽目になったときに・・・此の規定はどういう効果が生ずるのであろうか・・・或程度の軍備を置いておかなければ、国内の秩序の完全なる維持ということはすこぶる困難なる場合も出来やしないかと思う」と述べている。

・これらの疑問にたいして、吉田首相は、「本案の規定は、直接には自衛権を否定してはいないが、第9条第2項において一切の軍備と交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄している」という解釈を示した。

南原が「それでも侵略されたときにはどうするのか」と追及すると、吉田は「仮定の問題には答えなれない」とかわした。

・秦郁彦が指摘するように、吉田は幣原内閣の外相として憲法草案をGHQから押し付けられた過程に直接立ち会っており、質問者の側にもあきらめがったと思われる(秦郁彦『史録日本再軍備』 69ページ以下)。

しかし、第2章で述べたように、議会審議の過程で問題の第9条に重要な修正が加えられた。衆議院で第9条の修正を担当した芦田(均)小委員会が、第9条第2項の冒頭に「前項の目的を達成するため」という一句を加えたのである。


               ・・・・中略・・・・

・元陸軍大佐服部卓四郎も、ウィロビーのもとで情報活動に従事し、陸軍省が戦後転換してできた第1復員省で戦史の編纂を行い、日本再軍備の方策を研究した。

服部はノモンハン事件当時の関東軍作戦主任参謀であった。ソ連軍の戦力を過小評価した強引な作戦によって、大敗を喫し、多数の犠牲者を出した直接の責任者である。また、積極的な対米英欄開戦派でもあった。

服部は、太平洋戦争中、大本営陸軍部作戦課長、東条首相秘書などをつとめ、終戦時は満州の撫順で連隊長をしていた。戦犯に問われる恐れが大きいとみて同僚がひそかに中華民国要人と連絡し、服部を彼の部下より1か月も早く帰国させた。

服部グループは、1949年末から1950年初頭にかけて一つの再軍備計画をつくりあげ、幹部の人選まで試みた。服部グループは本格的なる陸軍の再建を企画し、服部自身を参謀総長に据えるつもりであったという。

・1950年夏の警察予備隊発足にさいしては服部グループの計画は実現されなかった。警察予備隊創設の実務を担当して初期の幹部になった旧内務省官僚も服部卓四郎らの入隊に強く反対した。旧軍人のなかにも反対論があった。

服部グループのような戦争と敗戦に直接に責任のある人々がウィロビーらGHQ側の関係者と結びついて日本再軍備を積極的に推進しようとしているのは好ましくないと吉田に進言するものもいた。】


 戦争経験のない者

第9条第2項の冒頭に「前項の目的を達成するため」という一句を加えたこと(芦田修正」は、よく知られたことであると思います。

この一句が入ったことで、第9条は、限定的なものにされる「余地」を残すことになりました。もし、この言葉がはいっていなければ、今日の「混乱」はなかった、と言えるという気がします。

また、「独立後の日本が軍隊を持つことは、当然である」という考えも、およそ、軍隊経験、戦争経験のない人びとが唱えたことである、というように思います。

本土の空襲で恐怖を味わったとはいえ、――つまり、戦争と全く離れた所にいた訳ではない――戦場で、「殺し、殺され」る様な経験をしたことがない人びとが、そのような考えを表明していたのだと思います。

服部卓四郎にしろ、戦闘の最前線で戦ったわけではないでしょう。南原や、野坂にしても、戦争に行ったわけではありません。彼らは、「安全」なところにいたのでした。

だから、軍隊の本質が分からない。特に、日本における軍隊の本質の理解に欠けていた、のではないでしょうか。沖縄戦も、硫黄島の戦いも、その実態については、知らなかったでしょう。


しかし、何よりも言えることは、日本が独自に「日中戦争」や太平洋、その他の場所での――いわゆる「14年戦争」を――戦争の事態を検証しなかった。

戦争は始めたのは、「誰なのか」、「何故、もっと早くに降伏しなかったのか」、「何故、負けたのか」、「どこに間違いがあったのか」などについて、国家として検証をしなかった。

そして、日本の国民の手で「戦争の処理」をしなかった。このことが、このような「事態」を生み出した原因である、と思います。

そして、そのことは、今なお、今日の社会のなかでもみられる「現象」である、ということが言えるのではないでしょうか。

(2015年11月24日)

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