本当に、実現出来るのか。安倍晋三首相が6日に都内のホテル行った講演の続きである。安倍首相は、「第2の的は、希望出生率1.8人の実現です。それに向かって夢をつむぐ子育て支援という第2の矢を放ちます。」と述べ、50年後も日本の人口1億人を維持するとした。
では、その希望出生率とは、如何なるものなのか。安倍首相の「考え」を聴いてみよう。
1) 「アベノミクス」第1ステージで得られた結論
安倍首相は、アベノミクス第1ステージで得られた結論として、どんな改革を進めてみても今後、人口の減少を食い止めることが出来ない、ことがわかった、と言う。
2) 50年後も人口1億人を維持
(1)の結論から考えて、新たな課題は、今後50年間、日本の人口1億人を維持することにある、という。
だが、本当にそうだろうか。ここには、「重大な見落とし」がありはしないか。
そのことについては、安倍首相は、何も述べようとはしていない。
3) 希望出生率1.8
さて、では、安倍首相は、どのようにして、50年後も人口1億人を維持するというのであろうか。
「一人一人のこうした願いが、すべてかなえられれば、それだけで出生率は1.8へと上昇」すると言う。だが、この「出生率は1.8」が、「曲者」である。
この「出生率は1.8」を、安倍首相は「希望出生率1.8の目標」なのだといっている。ここが「ミソ」だ。
安倍首相は、ここで、「出生率は1.8」を、「希望出生率1.8」へと「変身」させる。しかも、それは「目標」なのだという。
そして、それを2020年までに達成する、のだという。だが、安倍首相が言っているのは、「希望出生率1.8」が前提になっている。あくまでも、安倍首相が「希望」するところの「出生率」にほかならない。
しかも、それを日本中の「一人一人」が「願」う必要がある。もし、それを願わない人が、大半であるとすると、どうなるのか。「目標は夢」に終わる。
4) 待機児童ゼロ
そこで、安倍首相が「打ち出す」のは、次のような目標だ。
「平成29年末までの5年間で40万人分の保育の受け皿を整備」するというのは、「現在のプラン」だ。次の「合計で少なくとも50万人分の保育の受け皿を整備」したい、というのも「目標」だ。
どちらも、現在の時点での目標である。目標の目標、つまりは「二乗」だ。さて、この目標の二乗をかなえることは、本当に「可能」なのであろうか。
5) 安倍首相の結論
そのことについて、安倍首相は、「可能だ」と考えているようだ。首相は、結論として、次のようなものを引き出す。
つまりそれは、糸川英夫博士の言うところの「前例がないからやってみよう」ということだ。だが、事はそう簡単に行くのだろうか。
6) 私の意見
糸川英夫博士は、「日本の社会はタテ割り社会なんていうなまやさしいものではなく、まさに”タコツボ社会”だ」といっておられる。
「発想にとらわれない」ようなすること自体が、「難しい」ことなのだ。まして、それを考えるのは、「官僚の皆さん」である。
「官僚の皆さん」ほど、このことーー従来の「発想にとらわれない」こと――をおこなうことが、「苦手」な人々はいない。「昨日の今日」、これが、彼らのもつ「習性」である。
「前例にないこと」を行うことは、決して出来ないようにできているのである。それを彼らに願うのは、「森で魚を得る」ことより、難しい。
それでも安倍首相は、「やる」つもりなのであろう。果たして、それが実行できるのか。見ものである。
安倍首相には、「もうやめた」とならないことを期待したい。この目標がたんなる「目くらまし」ではないことを希望したい。
※ まだまだ、言い足りないので、引き続き、このことについて、検討していきたいと思う。
(2015年11月22日)
では、その希望出生率とは、如何なるものなのか。安倍首相の「考え」を聴いてみよう。
1) 「アベノミクス」第1ステージで得られた結論
安倍首相は、アベノミクス第1ステージで得られた結論として、どんな改革を進めてみても今後、人口の減少を食い止めることが出来ない、ことがわかった、と言う。
「少子高齢化の中にある日本は、たとえどんな改革を進めても今後、人口が減って持続的な成長が見込まれず、投資リターンが期待できない。この構造的な問題をアベノミクスはどう解決するのか。日本が、少子高齢化に死にものぐるいで取り組まない限り、日本への投資は期待できない。これがアベノミクス第1ステージで得られた結論であります。つまり、少子高齢化の伸びを防ぐことは、単なる社会政策ではありません。むしろ究極の成長戦略であります」何のことはない。要するに、「究極の成長戦略」として「少子高齢化」の是正を行っていくのだと言っている。すべては、「日本への投資」を「期待」したいがためのことである、ということだ。
2) 50年後も人口1億人を維持
(1)の結論から考えて、新たな課題は、今後50年間、日本の人口1億人を維持することにある、という。
「50年後も人口1億人を維持する。これを明確な国家目標として掲げます。現在の出生率は1.4程度です。この傾向が続けば50年後には、日本の人口は8000万人余になります。なおかつ人口の4割が65歳以上という超高齢社会が実現します。さらに100年後には人口は4000万人となり、現在の人口の3分の1です。国力衰退に直結します。」現在の出生率、1.4程度では、100年後には、日本の人口が4000万人に減る。それは、国力の衰退につながる、のだと言うわけだ。
だが、本当にそうだろうか。ここには、「重大な見落とし」がありはしないか。
そのことについては、安倍首相は、何も述べようとはしていない。
3) 希望出生率1.8
さて、では、安倍首相は、どのようにして、50年後も人口1億人を維持するというのであろうか。
「結婚したい、子供がほしい。一人一人のこうした願いがすべてかなえられれば、それだけで出生率は1.8へと上昇します。これが希望出生率1.8の目標であり、2020年代半ばまでに実現しなければならないと考えています。私が出生率を目標にするなどと申し上げると、常に産めよ、増やせよじゃないかという批判が出てまいります。これは平和安全法制のときもそうだったのですが、分かっていながら、あえて根拠のない不安をあおろうとレッテル貼りをする人たちがいます」安倍首相は、50億人を維持するためには、「結婚したい、子供がほしい」という願いをかなえることが出来れば、達成できる、と考えている。
「一人一人のこうした願いが、すべてかなえられれば、それだけで出生率は1.8へと上昇」すると言う。だが、この「出生率は1.8」が、「曲者」である。
この「出生率は1.8」を、安倍首相は「希望出生率1.8の目標」なのだといっている。ここが「ミソ」だ。
安倍首相は、ここで、「出生率は1.8」を、「希望出生率1.8」へと「変身」させる。しかも、それは「目標」なのだという。
そして、それを2020年までに達成する、のだという。だが、安倍首相が言っているのは、「希望出生率1.8」が前提になっている。あくまでも、安倍首相が「希望」するところの「出生率」にほかならない。
しかも、それを日本中の「一人一人」が「願」う必要がある。もし、それを願わない人が、大半であるとすると、どうなるのか。「目標は夢」に終わる。
4) 待機児童ゼロ
そこで、安倍首相が「打ち出す」のは、次のような目標だ。
「安倍政権になって待機児童ゼロという目標を掲げ、保育所の整備スピードはこれまでの2倍に加速しています。しかし、今年、待機児童は前年より増えてしまった。安倍政権発足以来、女性の就業者が90万人以上増えたからだと、無理もない事態です。その意味で、うれしい悲鳴ではあるのですが、待機児童ゼロは必ず成し遂げなければなりません。
そのため、平成29年末までの5年間で40万人分の保育の受け皿を整備するとしている現在のプランについて、さらなる上積みを目指します。各自治体の本気度も高まっていて、既に計画を上回る見込みです。この勢いにさらに弾みをつけて、合計で少なくとも50万人分の保育の受け皿を整備したい・・・
待機児童ゼロの達成を確実なものとしたいと考えています。あわせて、幼児教育の無償化、1人家庭への支援もさらに強化しています。」まったく、「素晴らしい」目標である。だが、これらはすべてが「目標」にすぎない。
「平成29年末までの5年間で40万人分の保育の受け皿を整備」するというのは、「現在のプラン」だ。次の「合計で少なくとも50万人分の保育の受け皿を整備」したい、というのも「目標」だ。
どちらも、現在の時点での目標である。目標の目標、つまりは「二乗」だ。さて、この目標の二乗をかなえることは、本当に「可能」なのであろうか。
5) 安倍首相の結論
そのことについて、安倍首相は、「可能だ」と考えているようだ。首相は、結論として、次のようなものを引き出す。
「これまでの政策を通じていても、状況は何も変わりません。これまでの発想にとらわれない大胆な政策をどんどん実施していきたいと考えています」安倍首相の「希望(夢?)」を実現してくれるのは、従来の「発想にとらわれない大胆な政策」だ。
つまりそれは、糸川英夫博士の言うところの「前例がないからやってみよう」ということだ。だが、事はそう簡単に行くのだろうか。
6) 私の意見
糸川英夫博士は、「日本の社会はタテ割り社会なんていうなまやさしいものではなく、まさに”タコツボ社会”だ」といっておられる。
「発想にとらわれない」ようなすること自体が、「難しい」ことなのだ。まして、それを考えるのは、「官僚の皆さん」である。
「官僚の皆さん」ほど、このことーー従来の「発想にとらわれない」こと――をおこなうことが、「苦手」な人々はいない。「昨日の今日」、これが、彼らのもつ「習性」である。
「前例にないこと」を行うことは、決して出来ないようにできているのである。それを彼らに願うのは、「森で魚を得る」ことより、難しい。
それでも安倍首相は、「やる」つもりなのであろう。果たして、それが実行できるのか。見ものである。
安倍首相には、「もうやめた」とならないことを期待したい。この目標がたんなる「目くらまし」ではないことを希望したい。
※ まだまだ、言い足りないので、引き続き、このことについて、検討していきたいと思う。
(2015年11月22日)
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