「鍾馗」を開発した今は亡き、糸川英夫博士の「夢」がかなう時が来た。是非、成功させてほしい。国産初の小型ジェット旅客機が、初飛行に挑戦する。
これは、政府が開発費の三分の一補助をしている国家プロジェクトでもある。飛行日程は、11月9日が予定されているようだ。
少し、旧聞になるが、紹介したい記事を見つけた。小型ジェット旅客機に関する記事である。
◆ 国産初の小型ジェット旅客機
≪三菱航空機が開発を進める国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」(三菱リージョナルジェット)が、10月下旬に初飛行する。MRJは戦後初の国産プロペラ旅客機「YS-11」以来、半世紀ぶりの国産旅客機。初飛行は名古屋空港を離着陸し、約1時間を予定しているという。
産経WESTによると、愛知県営名古屋空港(豊山町)で中速の地上走行試験を7日に実施した。時速約30キロで数百メートルを走行。パイロットが実際に乗り込み、機体のブレーキ性能や方向転換など操縦性を調べたという。・・・
MRJの正式名称は三菱リージョナルジェット。その名の通り、三菱重工業のバックアップの元、子会社の三菱航空機が開発している。採算が取れず1973年に製造中止となったプラペラ機「YS-11」以来、約40年ぶりに製造された国産旅客機だ。全長は約35m。旅客機としては小ぶりだが、78〜92人の乗客を乗せることができる。最大巡航速度はマッハ0.78(時速830km)だ。≫
◆ 糸川博士の構想から70年
航続距離は、最大3300kmで東京からは、グアム、台北、上海、北京をカバーできる、のだという。
もともと、ジェット機の構想は、戦争中にあった。
戦前の日本軍の戦闘機の設計を行った糸川英夫博士は、
「プロペラを使っている以上は、飛行機の速度は600キロが限界で、鍾馗戦闘機はその限界であったわけです。・・・・プロペラをどうしてもやめないと、音速の壁は突破できないということで、鍾馗戦闘機を作っている頃から、私はこれからの飛行機はジェット・エンジンになるだろう・・・・という予測を立てておりました」
とその著書で述べておられる。(『21世紀への遺言』糸川英夫著 徳間書店)
しかし、実験はなかなかうまくいかず、「年中火事を起こす」ということで、研究室は閉鎖されることになる。
「ジェット・エンジンは、英国のロールス・ロイス社が、ちょうど私が始めたのとほとんど同じ時期に研究を開始し、世界特許を取り、基本特許を取っている」(同上)ということであるから、国産といっても、日本の企業がそのすべてのシステムを開発したわけではない、と思われる。
それにしても、戦争に負けて、飛行機の製造を禁止されたという過去を思えば、「隔世の感」がある。
糸川博士の構想から、70年余にして、日本の空をジェット機が飛ぶ。しかも、それは「戦闘機」ではなく、旅客機である。
糸川博士が、ご存命であれば、どんな言葉を「口にされる」 ことだろう。
今後の課題は、ジャンボ・ジェット機の開発、生産になるだろうが、それは出来ないことなのであろうか。
そんなことをすれば、「米国の逆鱗」に触れることになるのだろうか。もちろん、日本が技術のすべてを導入して生産しても、事故が起きる可能性はある。
こんな技術を「戦争」のために使ってほしくはないが、とにかく、戦争前の世界に誇る飛行機の生産技術が復活したことは、喜ばしいことである。
この機会に、改めて、糸川英夫博士のご冥福を、お祈りしたい。
(2015年11月2日)
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