〈『田中角栄の呪い』 (1)>
今なお、その「人気」は衰えていません。まずは、「田中事変」(「ロッキード事件」)に関する本を読んでいきます。第1回は、「角栄を殺せば、戦後デモクラシーも死ぬ」を
お届けします。
「田中事変」――この命名は、糸川英夫氏による――(「ロッキード事件」)は、単なる「事件」というような生易しい「出来事」ではありませんでした。
まさに、「事変」と呼ぶに「ふさわしい」出来事でした。
今、田中角栄に関する新しい著作が、つぎつぎと出版されています。このシリーズでは、その田中角栄の「カリスマ性」に迫ります。
何故、今日において田中角栄が、それほどまでに「もてはやされるのか」ということについて、――田中角栄の「魅力」、「業績」、「軌跡」、「政治思想」など――、考えていきたいと思います。
★ 角栄を殺せば、戦後デモクラシーも死ぬ
【昭和58年1月26日、田中角栄に懲役5年が求刑された。世論は実刑判決確実だという。
・これは大変なことになったぞと思った。戦後でデモクラシーもこれでおしまいだ。この豊かさも、平和も、虚妄とは言いながら「自由」も、みんな蒸発してしまって、もう一度日本はこの前の敗戦のような試練の前に立たされる。
・これはたんなる直観というのではない。科学的に証明できることだ。必ずそうなる。私が西洋の貴族なら I can bet it というところだが、こんなことについて日本語で「賭(か)けてもいい」とでも言おうものなら、それだけで不謹慎だとされ、本気でないと思われてしまう。・・・
・戦国時代の乱世を治めて徳川太平の世が演出できたのは、家康的人的カリスマによるがごとく、敗戦の焦土と飢餓から立ち上って、38年の平和とアメリカにも比すべき繁栄――もっとも空想的人間の夢さえも上まわる繁栄――それが得られたのは角栄的人間のカリスマによる。
・このカリスマがなくなったら、何もかもおしまいになる。
・角栄こそ、戦後デモクラシーの受肉化(Incarnation)である。権化である。フロイド的表現を用いれば、現父なのだ。
・その現父を日本人は、戦後デモクラシーの現在をみんな背負わせて、犠牲の祭壇に上らせようとしている。
・これは恐ろしい。
・角栄は、戦後デモクラシーの受肉化なのだから、角栄を殺せば、角栄は戦後デモクラシーを、自分の屍体(したい)とともに持ち去ってしまう。
・これが角栄の呪いだ。
・もし、私が仮に、今はやりの占い師だったらこう予言することだろう。この予言は必ず当たる。
・三木武夫とロッキード検事とその他の関係と、もし有罪判決でも下そうものなら裁判官も、次々に惨死することだろう。
・なにしろ、平将門の怨念でイランの石油プラントで数千億円の損失をこうむったと三井物産のエリート社員でさえ震えあがっている日本のことである。公害で「人を殺した」会社の首脳も呪殺されて、悶死した。
・アメリカでも、無実の人に死刑の判決を下すようにした関係者は、次々と原因不明の理由で死ぬことになっている。とりわけ有名なところでは、スーザン・ヘイワードの有名な映画「私は死にたくない』(”I want to live")の原作となった一連の判事・検事連続怪死事件だ。
・角栄の念力は、とてもこんなものではあるまい。誰でも知っているように、彼は何回でも奇蹟が演ぜられる超能力者なのだ。中川一郎なんか、にらみ殺されてしまった。
その怨恨はとても左大臣藤原時平を電殺した菅原道真ていどでは済まないだろう。それを鎮めるためには、さっそく、角栄神社の建立が必要となってくることうけあいだ。
・こんなオカル・ティックな話はもうやめろと言われる読者もおられることだろから、話を科学的分析にもどそう。】(小室直樹 『田中角栄の呪い』 KAPPA BUSINESS )
★ 「”角栄”を殺すと、日本が死ぬ」
新シリ――ズです。このシリーズでは、田中角栄について書かれた本を読んでいきます。
この本は、「ロッキード事件」に関する著作です。ロッキード事件は、「”角栄の死”をもって終了」しましたが、謎の多い事件でもあります。
ここに紹介した本の副題は、「”角栄”を殺すと、日本が死ぬ」です。
さて、では、この「予言」は、正しかったのでしょうか。
すべての文章を――残念ながら、著作権の侵害に当たることになると思われるので――ここに書き取ることが出来ません。
原文をできるだけ「殺すこと」なく、読み取っていきたいと思います。飛ばすときは、飛ばしたところを、要約などで、補いたいと考えています。
これから、まずは、小室直樹博士の「新書版」の二冊について、読んでいきます。
(2015年11月14日)
今なお、その「人気」は衰えていません。まずは、「田中事変」(「ロッキード事件」)に関する本を読んでいきます。第1回は、「角栄を殺せば、戦後デモクラシーも死ぬ」を
お届けします。
「田中事変」――この命名は、糸川英夫氏による――(「ロッキード事件」)は、単なる「事件」というような生易しい「出来事」ではありませんでした。
まさに、「事変」と呼ぶに「ふさわしい」出来事でした。
今、田中角栄に関する新しい著作が、つぎつぎと出版されています。このシリーズでは、その田中角栄の「カリスマ性」に迫ります。
何故、今日において田中角栄が、それほどまでに「もてはやされるのか」ということについて、――田中角栄の「魅力」、「業績」、「軌跡」、「政治思想」など――、考えていきたいと思います。
★ 角栄を殺せば、戦後デモクラシーも死ぬ
【昭和58年1月26日、田中角栄に懲役5年が求刑された。世論は実刑判決確実だという。
・これは大変なことになったぞと思った。戦後でデモクラシーもこれでおしまいだ。この豊かさも、平和も、虚妄とは言いながら「自由」も、みんな蒸発してしまって、もう一度日本はこの前の敗戦のような試練の前に立たされる。
・これはたんなる直観というのではない。科学的に証明できることだ。必ずそうなる。私が西洋の貴族なら I can bet it というところだが、こんなことについて日本語で「賭(か)けてもいい」とでも言おうものなら、それだけで不謹慎だとされ、本気でないと思われてしまう。・・・
・戦国時代の乱世を治めて徳川太平の世が演出できたのは、家康的人的カリスマによるがごとく、敗戦の焦土と飢餓から立ち上って、38年の平和とアメリカにも比すべき繁栄――もっとも空想的人間の夢さえも上まわる繁栄――それが得られたのは角栄的人間のカリスマによる。
・このカリスマがなくなったら、何もかもおしまいになる。
・角栄こそ、戦後デモクラシーの受肉化(Incarnation)である。権化である。フロイド的表現を用いれば、現父なのだ。
・その現父を日本人は、戦後デモクラシーの現在をみんな背負わせて、犠牲の祭壇に上らせようとしている。
・これは恐ろしい。
・角栄は、戦後デモクラシーの受肉化なのだから、角栄を殺せば、角栄は戦後デモクラシーを、自分の屍体(したい)とともに持ち去ってしまう。
・これが角栄の呪いだ。
・もし、私が仮に、今はやりの占い師だったらこう予言することだろう。この予言は必ず当たる。
・三木武夫とロッキード検事とその他の関係と、もし有罪判決でも下そうものなら裁判官も、次々に惨死することだろう。
・なにしろ、平将門の怨念でイランの石油プラントで数千億円の損失をこうむったと三井物産のエリート社員でさえ震えあがっている日本のことである。公害で「人を殺した」会社の首脳も呪殺されて、悶死した。
・アメリカでも、無実の人に死刑の判決を下すようにした関係者は、次々と原因不明の理由で死ぬことになっている。とりわけ有名なところでは、スーザン・ヘイワードの有名な映画「私は死にたくない』(”I want to live")の原作となった一連の判事・検事連続怪死事件だ。
・角栄の念力は、とてもこんなものではあるまい。誰でも知っているように、彼は何回でも奇蹟が演ぜられる超能力者なのだ。中川一郎なんか、にらみ殺されてしまった。
その怨恨はとても左大臣藤原時平を電殺した菅原道真ていどでは済まないだろう。それを鎮めるためには、さっそく、角栄神社の建立が必要となってくることうけあいだ。
・こんなオカル・ティックな話はもうやめろと言われる読者もおられることだろから、話を科学的分析にもどそう。】(小室直樹 『田中角栄の呪い』 KAPPA BUSINESS )
★ 「”角栄”を殺すと、日本が死ぬ」
新シリ――ズです。このシリーズでは、田中角栄について書かれた本を読んでいきます。
この本は、「ロッキード事件」に関する著作です。ロッキード事件は、「”角栄の死”をもって終了」しましたが、謎の多い事件でもあります。
ここに紹介した本の副題は、「”角栄”を殺すと、日本が死ぬ」です。
さて、では、この「予言」は、正しかったのでしょうか。
すべての文章を――残念ながら、著作権の侵害に当たることになると思われるので――ここに書き取ることが出来ません。
原文をできるだけ「殺すこと」なく、読み取っていきたいと思います。飛ばすときは、飛ばしたところを、要約などで、補いたいと考えています。
これから、まずは、小室直樹博士の「新書版」の二冊について、読んでいきます。
(2015年11月14日)
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