2015年11月10日火曜日

実現していたら今の日本は?「ロイヤル米陸軍長官の『日本放棄論』」

<戦後史 (40)>
「日本放棄論」の章を読んでいきます。これから読んでいく文章の中には、驚くべきことがかかれています。私は、初めてこのような文章を読みました。読者の皆さんは、いかが
でしょうか。もし、実現していたら、今の日本はどんな形になっていたでしよう。

それでは、以下にその「日本放棄論」を紹介します。


 「日本放棄論」

ロイヤル陸軍長官の演説は、冷戦のなかでアメリカが日本に新しい役割を期待し始めたことを端的に表明するものであった。日本では「ロイヤル演説は日本を反共の砦と意図を露骨に示したもの」とする反応が強かったが、この演説の中には日本は現実にかなりの工業国家としてでなければ再建されないし、そのことなしには自由主義・民主主義の国家として存立することも出来ないという実際的な認識が示されていた。

しかし、この時期には、ワシントンの政策立案者のあいだに安定した合意が成立していたわけではなく、東京のGHQなかにも対立もしくは分裂が存在していた。依然として日本における改革の徹底をはかろうとする理想主義的勢力と、共産主義への危険への対処を重視する現実主義的勢力との対立がGHQのなかでも強まっていた。

・日本の位置づけに関してもアメリカの政策は完全に固まっていたわけではなかった。

・1949年3月1日、マッカーサーは、、「アメリカの太平洋における防衛線は、フィリピンから琉球列島、日本、アリーシャンを経てアラスカに至る」と語った。また、1950年1月12日、アチソン国務長官も「防衛の前線はアリーシャンから日本、琉球列島に及ぶ」と述べた。

これらの発言で韓国や台湾が除外されているのは、偶然ではなかった。中国革命が進行し、アメリカの対中国政策の失敗は明らかになっていた。アメリカはアジア大陸部への干渉をあきらめ辺縁部の防衛線に後退する方針を固めていた。

・日本に関しても、戦術上の放棄論が存在した。ロイヤル陸軍長官は、1949年2月の訪日のさい、日本放棄の可能性を示唆する発言を行い、反響があまりに大きかったために公式には取り消した。

しかし、個人的には、「アメリカには日本を防衛する責任はないから、戦争が起こる前に撤退するのが望ましい。軍事基地としてはアラスカのファバンクスや台湾、沖縄のほうが好ましい」と語っていた。




・1948年4月から1949年5月まで、ソ連は、西ドイツから東ドイツ領内を通って西ベルリンに到る地上のルートをすべて閉鎖する措置をとった。これは、西側諸国に西ベルリンを放棄させようとする強硬手段であった。


西ベルリンは、東ドイツからの大量の亡命者が西ドイツへ流れ国入口になっていた。それは東ドイツの体制的危機の原因になった。西ドイツ側の通貨改革の断行を契機として、東側は封鎖を強行した。

アメリカとイギリスは、ベルリン封鎖に対抗して西ベルリン市民のために必要物資の大量空輸を行い、その生活を支えた。アメリカ側には、ソ連の原爆開発以前のこの時期にこそソ連を原爆で攻撃すべきだという意見もあった。

現実に原爆搭載機がイギリスに配備された。ベルリン危機は核戦争に発展する危険をさえはらんでいた。結局は、大空輸作戦の成功と西ベルリン市民の団結によってソ連の政策は失敗に終わった。

・しかし、ヨーロッパの危機はアメリカの負担を増大させた。アメリカの指導者層が、冷戦に対抗する必要から日本を重視する態度を強めつつも、ときには南朝鮮のみならず日本も放棄すべきかもしれないという考えを示したのは、そうした危機のゆえであった。

アメリカの政策は依然としてヨ―ロッパ優先の考え方をもっていた。アメリカ人にとって、日本や韓国はやはり遠い国であった。≫




「日本や韓国はやはり遠い国」であると認識していたのなら、「ほっておいてくれればよかった」と思うのは、私だけでしょうか。

「黒船」以来の米国の日本への干渉がなければ、日本はもっと、違った歴史をたどることになったでしょう。

そのことを考えると、「やりきれない思い」がします。

今更そんなことを言っても」と思われる向きもあるでしょうが、もし、「こう考えることがいけない」ということであれば、「歴史を読み、考える」ことの意味はどこにあるのでしょうか。

ただたんに「趣味」として、歴史を読む」ことを否定するものではありませんが、「if」を考えてみてこそ、初めて――真に――「歴史書を読む」意味があると思います。

もっとも、「歴史書」は、「一種類」ではないので,そう簡単なことではないと思いますが・・・。

さて、「日本放棄論」は、いかがでしたか。すでに「ご存知のこと」でしたか。

もし、これが実現していたとしたら、今の日本は、どんな国になっていたと思われますか。

また、再び、「軍国主義の道を歩む」ことになったと思われますか。

現実には、「そうはならなかった訳」ですが、今の状況は「切迫」してきています。

私には再び、「元来た道をたどろう」としているように思えます。その意味においても、「歴史」を七で置くことは、重要であると、改めて感じました。

 次回は、「三大疑獄事件」を観ていきます。

(2015年11月10日)

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