2015年11月3日火曜日

”ジラード事件”「米兵による、日本人農婦殺害事件=判決の欺瞞性」

<web読書会  正村(33)>
岸の「外遊」と、米兵による日本人殺害事件(「ジラード事件」)などを中心に読んでいきます。ジラード事件の判決は、米国と、日本政府との「芝居」でした。

米兵による、日本人農婦の殺害事件。この判決の欺瞞性は、日本が米国の従属化に入ったを見事の証明するものでした。


岸信介の「「空飛ぶ外相になりたい」という思想は、そのまま、孫である安倍首相に引きつがれている、と言えるでしょう。

1951年の「ジラード事件」、「茨城事件」は、砂川事件の「前触れ」であったのかもしれません。


 岸の外交政策

≪岸は、石橋内閣の外相であった時期にと発言し、これからの時代は首相も、外相ももっと積極的に海外に出かけていく必要があると語っていた。

首相兼外相となった岸は、国会終了後の1957年5月20日~6月4日、東南アジア6各国(ビルマ、インド、パキスタン、セイロン、タイ、台湾)を歴訪した。

賠償問題はすでに吉田・鳩山内閣の時代にビルマ、フィリピンとのあいだで調印されており、このあとの岸内閣時代にインドネシァ、南ベトナムとのあいだで調印される。

岸の東南アジア訪問は、「大東亜共栄圏」を呼称して強行した日本の軍事膨張と支配の多と始末をつけると同時に、戦後の新しい条件のもとで日本と東南アジアの経済関係の発展の手掛かりを得ようとするものであった。

岸は、東南アジア諸国と直接に接触をもつことによって、そのあとのアメリカ訪問にさいして日本がアジアを代表する姿勢を示し、自主的立場を強化するという意図を持っていた。

岸は、東南アジア訪問にさいして、欧米諸国と日本を含むアジア諸国の協力による東南アジア開発基金や技術訓練センターを設置する構想をを示したが、具体化しなかった。

岸は最後に訪問した台湾で蔣介石と会談し、中国が共産主義の支配下にあるのは日本にも脅威である、日本人はソ連人より中国人に親近感を持っているで共産主義の日本への侵透に関しては中国により大きな警戒心を持つべきだと述べ、中国大陸の自由回復の必要性を説く蔣介石に同感の意を表明した。
それはマスコミによって日本にも報道された。

・1957年6月16日、岸は、官房長官石田博英、政調会長福田赳夫、元日ソ協商全権松本俊一らとともにアメリカ訪問の旅にたち、19~21日、アメリカ大統領アイゼンハワー、国務長官ダレスらと会談した。

岸は、この会談で、日米安全保障条約の改定沖縄の施設権返還小笠原島民の帰島核兵器禁止などの要望した。安保条約改定については、ダレスは「まだ改定の時期ではない」と拒否した。

・21日に発表された「日米共同コミニュケ」はアメリカによる日本における軍隊の配置及び使用についての協議を含めて「安保保障条約に関して生ずる諸問題を検討するために政府間の委員会を設置することについての意見が一致した」と述べている。

また、1951年の安保条約は暫定的なものであり、永久に存続する意図で作られたものではないと付記された。アメリカ側は、日本の防衛力整備計画を歓迎し、在日米軍について陸上戦闘部隊の全面的撤退を含む大幅削減すると約束した。

・この年の10月30日、群馬県相馬ヶ原射撃場で米軍の射撃演習の廃棄物である薬莢を拾い集めていた日本人農婦がアメリカ兵ジラードに故意に射殺されるという事件が起こっていた。岸訪米時には日米両政府がこのジラード事件の裁判権をめぐって争っていた。

その後、7月に連邦最高裁が「アメリカに軍事裁判にかけるべきだ」とする連邦地裁の判決を棄却したため、ジラードの身柄は日本側に引き渡され、前橋地裁で裁判が行われた。11月19日、傷害致死で懲役3年(執行猶予4年)の判決が出た。

犯罪の重さに比較してあまりにも軽い判決であったが、地検は控訴しなかった。12月6日、ジラードは日本を離れて帰国した。同じ年の8月2日、茨木県下で超抵空飛行中のアメリカ軍飛行機が通行中の日本人母子を殺傷するという事件が起こった。アメリカ側は「公務中の過失」だと主張し、結局、日本側が裁判権を放棄し、不起訴処分になった。

・東京都下立川基地拡張にとまう砂川町住民および支援団体と警視庁機動隊の支援のもとに強制測量を実施しようとする調達庁側の衝突は、1955年秋に始まり1957年もなお続いていた。

1956年秋には、座り込みの住民・学生・労組員に警官隊が襲いかかり1000人に達する負傷者を出した。1957年5月から9月にかけても両者の衝突が繰り返された。

これらの事件は、アメリカが日本に駐留し、基地の拡張・強化を進める限り繰り返される恐れがあった。とくに地上軍が大量に駐留を続けると日本人とのあいだのトラブルが多くなるのをは避けられなかった。岸は、日米会談で地上軍の削減を要請した。

日米共同コミニュケには、アメリカは沖縄・小笠原に関する日本の潜在主権を認めるが、極東に脅威と緊張が存在する限り現状を維持するつもりだと記された。

岸は、日米会談後、ナショナル・クラブで演説し、「今回のワシントン訪問は日本の新時代への途を拓くために有益であった」と述べた。≫


 「日米地位協定」と米軍

米軍は、「陸上戦闘部隊の全面的撤退を含む大幅削減すると約束」しておきながら、何故、基地を拡張する必要があったのでしょうか。

この基地拡張ということをしなければ、砂川事件は起きなかった。今の辺野古の事件もそうです。

普天間を拡張して、「世界一危険な基地」にしたのは、米軍(米国)です。

米軍が、普天間を青の様な基地にしていなれば、今の辺野古の「騒ぎ」は起きませんでした。

それにしても、「ジラード事件」といい、「茨城事件」(勝手に私が付けました)といい、あまりに日本人を「バカにした」話です。

これも、「日米地位協定」があるからです。

今日では、「ジラード事件」がなぜ、軽微な罰で済んだのかという理由が、明らかになっています。

それは、ジラードを日本側に引き渡すあたって、「判決を出来るだけ軽くするという司法取引」が日米間で行われた、ということです。

岸が訪米中に、この事件に「何らかの形で関わった」のではないでしょうか。そう思えます。


「極東に脅威と緊張が存在する限り現状を維持する」(米軍の沖縄駐留し続けるし、返還も、行わない)というのに、訪米が「日本の新時代への途を拓くために有益であった」と自己評価する岸の姿は、そっくりそのまま、安倍首相と重なってみえます。

※ 次回は、「日中関係の悪化」についてです。

(2015年11月3日)

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