2015年11月17日火曜日

米国の常套手段?「朝鮮半島での内戦に参加」

<正村 戦後史(46)>
今日は、米軍の参加の章です。相手に先に撃たせる。それを理由にして、攻撃する。これが米国の常套手段である。在韓大使の連絡をうけたトルーマンは、戦争の決意をします。

国連を動かして、名目を得た米国は、「国連軍としての米軍」という形で、朝鮮半島での内戦に参加していきます。


 韓国援助の米軍は国連軍

≪アメリカ国務省に在韓大使から北朝鮮の侵攻について最初の公電がはいったのは、1950年6月24日午前9時半(米東部時間、朝鮮時間では25日午前11時半)であった。

ワシントンは土曜日の夜であった。連絡を受けアチソン国務長官はミズーリ―州の出身地に帰っていたトルーマンに電話で報告、国連安全保障理事会緊急招集の要請を提案した。

・翌25日午後2時(朝鮮時間では26日午前4時)、ニューヨークの国連本部で緊急安保理事会が開かれた。ソ連は、1月以来、安保理事会をボイコットしていた。

前年10月の北京政府成立後も蔣政権が安保理事会のメンバーであることに抗議するためであった。ソ連の拒否権によるアメリカ提案否決の可能性はなかった。決議案は9対0で可決された(ユーゴスラビア棄権)。

決議は、北朝鮮の行動は平和の侵犯と侵略行為だと述べ、国連加盟国の韓国への援助を要請し、北朝鮮に即時停戦を呼びかけた。

・トルーマン大統領は25日夜、アメリカ政府の国家安全保障会議を招集した。その結果、トルーマンは次の処置を命じた。

(1) マッカーサーに在韓米人を引き揚げさせる。そのために米海軍の使用を認める。

(2) 同じくマッカーサーに、いそいで韓国にたいする武器の補給をさせる。

(3) 第7艦隊を台湾海峡に派遣する。

・第7艦隊は中国の台湾攻撃と蔣政権の大陸反攻を予防するためでった。

・26日、マッカーサーから韓国軍は崩壊寸前という報告がはいった。トールーマンは二度目の国家安全保障会議を招集し、朝鮮の事態はより大規模な「ベルリン封鎖」と同じだと述べ、韓国支援のため米海空軍の38度線以南の使用をマッカーサーに指令した。

・翌27日国連安保理事会は2回目の会議を開き、アメリカの提案で「北朝鮮の武力攻撃を撃退して平和と安全を回復するため韓国援助を加盟国に建議する」ことを決議した。韓国援助の米軍は国連軍とされ、イギリスなど15か国も少数の舞台を派遣した。

・6月29日、ワシントンは、ソ連国境から十分離れた北朝鮮の目標の米海空軍による攻撃と米地上軍二個師団の日本からの派遣を承認した。在日米軍は第8軍歩兵4個師団で、占領維持が目的のため部隊編成は少規模で装備も貧弱であり、訓練の不足している新兵が大部分であった。



最初に朝鮮に投入されたアメリカ軍部隊は手痛い打撃を受けた。7月7日、マッカーサーはワシントンに増援部隊派遣を要請した。ワシントンは、全世界に展開している米軍にはその余裕がないといって応じなかった。

・米海軍は朝鮮半島南部の「釜山橋頭堡」に追いつめられた。第8軍司令官ウヲーカー中将はここを死守せよと命じた。「死守」の命令は民主国家の軍人として不適当だとのちに議会で批判された。

韓国全土から300万人といわれる避難民が釜山橋頭堡に殺到し、それにまじってゲリラが侵入した。8月には北側が総攻撃をかけ、凄惨な戦闘が繰り返された。

9月15日、マッカーサーは、本国からの増援を得た新編成の第10軍団を朝鮮半島西海岸の仁川に上陸させた。遠浅で潮の干満の激しい海岸での上陸作戦というマッカーサーの大胆な計画は成功を収め、9月26日、アメリカ軍はソウルを奪還した。

釜山橋頭堡からウォーカーの第8軍が北上し、退路を断たれた北朝鮮軍は崩壊に向かった。』


 今でも残る「火種」

繰り返しになりますが、やはり、アメリカのとった処置は、納得できません。

わざと隙を見せることで、「敵=北朝鮮+ソ連」をおびき寄せた、としか思えません。

相手に最初の「一撃」を加えさせてから、それを理由に反撃をする、というのが「彼らのやり方」であるからです。

それはこれまでにも多くの例がありますから、今更説明するまでのないことでしょう。

ひとつだけ挙げておくと、「真珠湾」の例などは、その典型です。

これで、朝鮮半島に「火種」がくすぶり続けることになります。それは、今日においても、まだ、くすぶり続けています。


※ 次回は、中国軍の参加です。

(2015年11月17日)

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