2015年11月5日木曜日

命がけの航海「トルコから、ギリシャへ逃れる、難民」

(子供の遺体)
あまりに、悲惨過ぎる。「死を覚悟」しての渡航であるという。
イラク、シリア、アフガニスタンから、戦乱を逃れて避難してきた人々が、冬も近い海を渡り、尊い命を落としている。

彼らの「遺体」が、漂着してくるのだという。その遺体を「取り込んでいる」人々も、「いたたまれない」気持ちであろう。察するに余りある。


同じ人間として、「胸が張り裂ける思い」がする。

 英国の「BBC」が伝えた



冬が近づき地中海の波も日に日に荒くなるなかでも、トルコから小さな船でギリシャを目指す人の流れは絶えない。高波にのまれて溺死する人の数も。11月1日にはレスボス島沖で少なくとも幼い子供6人を含む13人が死亡したという。10月にはトルコからギリシャへ船で渡ろうとして430人以上が溺死している。アレックス・フォーサイスがリポートする。》

 「大国としての責任」
イラク、シリア、アフガニスタンから欧米に避難する人々だ。欧米が作った「混乱の結果」である。

欧米、ーー特に、米国、英国が―― 責任を取るのは当然としても、「命を落とす」ことを承知でやってくるということは、それほど自国の状況が過酷であるということだ。

しかも今のギリシャには、難民を受け入れる余裕はない。国家自体が、破産するかもしれない状況にある時だ。

こういう時こそ、安倍首相は、「大国、日本の責任」として、その本領を発揮する秋(とき)である。

あちこちに、お金をばらまく暇があったら、―「地球俯瞰的な外交」と自慢する―ギリシャまで「飛んで」、「援助する用意がある」と申し出るべきだ。

そうしてこそ、本当に日本が国際貢献をしたことになる。責任を果たしたことになる。それこそ、日本国憲法が、日本の権利者に要求していることである。

日本国憲法は、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と前文でのべている。

「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」った、はずだ。今こそ、安倍首相は、全力を尽くして行動することが、必要だ。

そうしてこそ、初めて日本国民の「付託」答えたことになる。

(2015年11月5日)

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