(原爆の攻撃を受ける前の広島商店街) |
今なお、原爆の「後遺症」で苦しんでいる日本人がいる。
このことを我々、日本人は、「決して、忘れてはならない」と思う。
原爆による「黒い雨」の放射線被害をめぐり、国が援護対象としていない区域の64人が、4日、広島地裁に提訴した。
◆ 国の認定は、原爆投下から31年後の1976年になされた=「朝日D」
≪広島への原爆投下直後に降った「黒い雨」の放射線被害をめぐり、国が援護対象としていない区域の64人が4日、広島地裁に提訴した。「黒い雨の被害を受けたのに、被爆者健康手帳の申請を却下されたのは不当だ」などと主張し、広島市や広島県を相手に処分の取り消しなどを求めている。原告側によると、黒い雨の被害の認定を求める集団訴訟は初めてとみられる。
訴状などによると、国は原爆投下から31年後の1976年、気象台の分析に基づき、黒い雨が多く降ったとみられる「大雨地域」を援護対象区域に指定。雨を浴びた人は公費で健康診断が受けられ、がんや肝硬変などにかかれば被爆者健康手帳を受け取れるようにした。一方で「小雨地域」は援護対象から外された。≫
◆ 地域の選定の根拠は、あいまい
訴訟理由について、「川が大雨と小雨の境界線とされた所」もある、という。その区分けについて、「援護対象を区域分けした国の制度」は、「著しく不平等。黒い雨の影響でがんなどを患ったり、健康に不安を抱いたりしてきた」と述べる。
訴訟団は、この制度を根拠に「無料で健康診断を受けられる受診者証や被爆者健康手帳の申請を却下」した、広島市と広島県の処分を取り消しや被爆者健康手帳の交付を求めている、ということである。(同上)
川で、「大雨と小雨の境界線」とするなど、出来ることではない。まして、この
国野基準そのものが、一怪訝である。原爆投下から31年後もたってからの、記録を基にするなど、考えられない。
そもそも、そのような記録が残されている、ということ自体について「信憑性を疑」ざるをえない。「どこにどれだけ」の雨が降ったか、などということを特定できるわけがない、と思うのだ。
◆ 日本政府も、GHQも、隠した
他社の報道によると、訴訟を行ったのは、70歳から90歳。本人は、気づいていなかったであろうが、おそらく、原爆投下の直後から、「体調がすぐれない」ということが続いたはずだ。
大本営、新聞、ラジオは、とものこの事実を隠ぺいした。原子爆弾を「新型爆弾」と言いかえた。
戦後日本の日本を占領下に置いた米軍も、同じであった。日本を支配したGHQは、「原爆に関する報道を禁止」する措置をとった。
被害にあった人びとは、こういう状況下において、どうすることが出来ただろうか。ただ「泣き寝入り」をする事以外に、取るべき道はなかったことであろう。
◆ 「原爆による攻撃」
訴訟を受けて、広島市長と知事は、その談話で、「(国への)援護対象区域拡大の要望が実現しておらず、却下せざるを得なかった」とのべた。
また、訴訟団については、「やむにやまれぬ気持ち」であろうと、「理解」を示した、と朝日の記事は報じている。
それにしても、何故、直接、国を相手の訴訟を起こさないのだろう。責任を取るべき立場にあるのは、日本の政府である。
国を相手では、到底、勝訴することが出来ない、と思ったのか。時間がかかりすぎると思ったのか。
「フクイチ」の災害では、「キズナ」という言葉が盛んに言われた。また、年に一度は、「原爆の日」に、日本人は「広島や長崎」を思い出す。
これで、本当にいいのか。
米国の新聞の「WSJ」が、今年の8月7日、「原爆投下を神に感謝」というオピニオン記事を掲載した。大きな反響があったようだが、それも「一過性」に終わることだろう。
広島と長崎への「原爆による攻撃」は、日本全体への「攻撃」であった。日本人全体への攻撃であった。これを我々は、決して忘れることがあってはならない。
そして、かりそめのも、「原爆投下」などいう「まやかしの言葉」を使ってはならない。そう思う。
広島と長崎は、日本国は、米国から「原爆による攻撃」を受けたのである。この事実は、「修正がしようのない」ことなのである。
(2015年11月4日)
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