<web読書会 正村(37)>
マッカーサー元帥の声明で、ゼネストは中止に追い込まれました。その後、各団体、機関が、そぞれに「声明」を出しました。ところで、このストと、「安保法制」反対デモとの
違いは、何処にあるのでしょうか。
共産党、社会党、総同盟、選別会議などです。
「ゼネストにたいする占領軍の介入の不可避性」は、十分に予想されたのに、――前もって――有効な対策をとることが出来ませんでした。
◆ 各団体、機関の「声明」
≪1947年1月31日夜、全官公庁共闘は、「我々にたいする内外の情勢は急転した」と述べて共同闘争委員会の解体を声明し、今後の闘争は各組合ごとにおこなわれるものとした。ゼネスト中止の指令はほとんど完全に尊守された。1月31日から2勝ち1日にかけて各団体、機関がそれぞれ声明を発表した。
・共産党は、「総司令官の声明はゼネストを通告したのであって、合法的な目的貫徹の行動を制限したのではない」と述べ、さらに、「我々は、わが国が荒廃よりすみかに復活することを衷心より望み、またそのために奮闘している。しかし、これを妨害しているのは、一切の犠牲を勤労者にかけて、少数独占資本の利益を守ろうとする政府の政策にある」と主張し、吉田内閣打倒と民主人民政権樹立の闘争を続けると言明した。
・社会党は、「わが党は、マッカーサー元帥の声明のなかに示されているように、わが国に現下の特殊情勢においては、ゼネストはあくまで回避すべきものであると確信する」と述べ、再び「中労委の積極的な活動」を期待するという態度をとった。
社会党は、一方では、「世事的地下活動」と「経済的サボタージュ」に対する警戒を述べ、他方では「最悪の事態を招いた」責任をとって吉田内閣が総辞職することを要求した。
・政府は、ゼネスト中止を歓迎し、この機会に「労使の争い」を当分いっさい中止するよう呼びかけるとともに、勤労者の最低生活の保障に向かって給与改善委員会などの活動が進むことを望むと声明した。
・総同盟は、一方では政府の「無誠意」と「労働政策の貧困」を非難するとともに、他方では「一部極左分子が、平和的解決を回避し、さらに政治ゼネストへ導かんとしつつある事実」も混乱の一因であると述べ、総同盟としては「わが国労働運動の健全強化」に邁進すると結んだ。
産別会議は、この機会に政府の反動性が暴露され、民主化が遅れることこそが由々しい問題であるとし、闘争継続の決意を表明した。
・2・1ゼネスト計画は、経済危機とインフレーションの進行のなかで生じた切実な待遇改善の要求と官公庁および官業の労働者のあいだに急速に広がった権利の意識とを土台とするものであった。
戦前および戦中の国家主義的統制と抑圧にたいする反発も一斉に噴出した。敗戦および占領をきっかけとして官僚機構のヒエラルキーに動揺が生じ、解放感が高まり、中・下層の公務員が大量に労働運動に参加した。
・・・・・
・占領軍の側から見れば、このような戦術が占領秩序の破壊と経済的破局をもたらす危険のあることは明瞭であり、リベラル・デモクラシ―そのものの存立を不可能ならしめることも予想された。
共産主義者が危機に乗じ危機を醸成することによって権力を掌握することは、GHQとしては容認しえなかった。それは日本をもう1つの全体主義の支配に委ねてしまうことを意味していたし、西側諸国との対立が鮮明になりつつあったソ連の日本に対する影響力行使を許すことを意味していたからである。
・ゼネストにたいする占領軍の介入の不可避性は、事前の度重ねる警告からも十分に予知されたはずであり、全官公庁共闘幹部も、この点に危惧を抱いていた。
しかし、共産党の徳田書記長らはこの問題にかんして明確な指針も展望も示さなかった。彼らは、占領軍の介入はないという前提でゼネスト計画を指導し、政治的妥協の可能性をつぶしていったが、マッカーサー指令が出ると、一転して抵抗なくストライキを中止するよう全官公庁共闘の幹部に指示を与え、急いで闘争態勢を解いてしまった。≫
◆ 「ストを打つ」意味
運動が、「指導部」を持って、計画的に行われる子おは、規模が大きくなればなるほど、重要な要素になることは、間違いではないと思います。
ですが、それだけの「指導部の役目」は、一方「まちがう」と運動にとって、致命傷になりかねません。
この是ネスつの場合も、共産党の指導部の「力量のなさ」は、決定的でした。
もっとも、戦中は、「活動らしい活動」の経験をすることができなかったのですから、もともと、これほどの規模の運動を指導すること自体に、「無理があった」ということでしょう。
それにしても、「言い訳がおもしろい」。
これは、日本の特性を表していると見ることが出来ると思います。
正直に「負け」を認めず、「負け惜しみ」を言った、としか思えない「弁解」に思えます。
「中労委の積極的な活動」や、政府に期待する事が出来ないから、「やむを得ない結果」としての、ゼネストであったはずです。
「中労委の積極的な活動」や、政府に期待する事が出来るのなら、ゼネストの必要はないのです。
ストは、もともと、それを行えば、「影響がでる」ことを前提にしています。もし、影響が出ない様なストであれば、「ストを打つ」意味がないと言えます。
その意味では、社会党には、もともと、このストに「否定的」であったということでできると思います。
結局のところ、このストが上手くいかなかった原因は、こういうところにあったということが出来ると思います。
「内部の抗争」です。労働側で、「指導権争い」があったのではないでしょうか。
今日の民主党も、そうです。
共産党に「母屋を取られてしまう」という「恐怖感」が、岡田代表の頭を支配しているのではないでしょうか。
それは、結局のところ、民主党の、岡田代表の「自信のなさ」の表れでしかないと思うのですが、--それを誤魔化してーー共産党に責任をなすりつけようとしているように見えます。
これでは、自民党を、安倍首相を喜ばせるだけのことでしょう。
※ 次回は、ゼネスト中止の影響を観ていきます。次回で、2・1ゼネストは、おわり、「三鷹事件」など、戦後疑獄事件に行く予定です。
(2015年11月7日)
マッカーサー元帥の声明で、ゼネストは中止に追い込まれました。その後、各団体、機関が、そぞれに「声明」を出しました。ところで、このストと、「安保法制」反対デモとの
違いは、何処にあるのでしょうか。
共産党、社会党、総同盟、選別会議などです。
「ゼネストにたいする占領軍の介入の不可避性」は、十分に予想されたのに、――前もって――有効な対策をとることが出来ませんでした。
◆ 各団体、機関の「声明」
≪1947年1月31日夜、全官公庁共闘は、「我々にたいする内外の情勢は急転した」と述べて共同闘争委員会の解体を声明し、今後の闘争は各組合ごとにおこなわれるものとした。ゼネスト中止の指令はほとんど完全に尊守された。1月31日から2勝ち1日にかけて各団体、機関がそれぞれ声明を発表した。
・共産党は、「総司令官の声明はゼネストを通告したのであって、合法的な目的貫徹の行動を制限したのではない」と述べ、さらに、「我々は、わが国が荒廃よりすみかに復活することを衷心より望み、またそのために奮闘している。しかし、これを妨害しているのは、一切の犠牲を勤労者にかけて、少数独占資本の利益を守ろうとする政府の政策にある」と主張し、吉田内閣打倒と民主人民政権樹立の闘争を続けると言明した。
・社会党は、「わが党は、マッカーサー元帥の声明のなかに示されているように、わが国に現下の特殊情勢においては、ゼネストはあくまで回避すべきものであると確信する」と述べ、再び「中労委の積極的な活動」を期待するという態度をとった。
社会党は、一方では、「世事的地下活動」と「経済的サボタージュ」に対する警戒を述べ、他方では「最悪の事態を招いた」責任をとって吉田内閣が総辞職することを要求した。
・政府は、ゼネスト中止を歓迎し、この機会に「労使の争い」を当分いっさい中止するよう呼びかけるとともに、勤労者の最低生活の保障に向かって給与改善委員会などの活動が進むことを望むと声明した。
・総同盟は、一方では政府の「無誠意」と「労働政策の貧困」を非難するとともに、他方では「一部極左分子が、平和的解決を回避し、さらに政治ゼネストへ導かんとしつつある事実」も混乱の一因であると述べ、総同盟としては「わが国労働運動の健全強化」に邁進すると結んだ。
産別会議は、この機会に政府の反動性が暴露され、民主化が遅れることこそが由々しい問題であるとし、闘争継続の決意を表明した。
・2・1ゼネスト計画は、経済危機とインフレーションの進行のなかで生じた切実な待遇改善の要求と官公庁および官業の労働者のあいだに急速に広がった権利の意識とを土台とするものであった。
戦前および戦中の国家主義的統制と抑圧にたいする反発も一斉に噴出した。敗戦および占領をきっかけとして官僚機構のヒエラルキーに動揺が生じ、解放感が高まり、中・下層の公務員が大量に労働運動に参加した。
・・・・・
(市電を止めていることに注意) |
・占領軍の側から見れば、このような戦術が占領秩序の破壊と経済的破局をもたらす危険のあることは明瞭であり、リベラル・デモクラシ―そのものの存立を不可能ならしめることも予想された。
共産主義者が危機に乗じ危機を醸成することによって権力を掌握することは、GHQとしては容認しえなかった。それは日本をもう1つの全体主義の支配に委ねてしまうことを意味していたし、西側諸国との対立が鮮明になりつつあったソ連の日本に対する影響力行使を許すことを意味していたからである。
・ゼネストにたいする占領軍の介入の不可避性は、事前の度重ねる警告からも十分に予知されたはずであり、全官公庁共闘幹部も、この点に危惧を抱いていた。
しかし、共産党の徳田書記長らはこの問題にかんして明確な指針も展望も示さなかった。彼らは、占領軍の介入はないという前提でゼネスト計画を指導し、政治的妥協の可能性をつぶしていったが、マッカーサー指令が出ると、一転して抵抗なくストライキを中止するよう全官公庁共闘の幹部に指示を与え、急いで闘争態勢を解いてしまった。≫
◆ 「ストを打つ」意味
運動が、「指導部」を持って、計画的に行われる子おは、規模が大きくなればなるほど、重要な要素になることは、間違いではないと思います。
ですが、それだけの「指導部の役目」は、一方「まちがう」と運動にとって、致命傷になりかねません。
この是ネスつの場合も、共産党の指導部の「力量のなさ」は、決定的でした。
もっとも、戦中は、「活動らしい活動」の経験をすることができなかったのですから、もともと、これほどの規模の運動を指導すること自体に、「無理があった」ということでしょう。
それにしても、「言い訳がおもしろい」。
これは、日本の特性を表していると見ることが出来ると思います。
正直に「負け」を認めず、「負け惜しみ」を言った、としか思えない「弁解」に思えます。
「中労委の積極的な活動」や、政府に期待する事が出来ないから、「やむを得ない結果」としての、ゼネストであったはずです。
「中労委の積極的な活動」や、政府に期待する事が出来るのなら、ゼネストの必要はないのです。
ストは、もともと、それを行えば、「影響がでる」ことを前提にしています。もし、影響が出ない様なストであれば、「ストを打つ」意味がないと言えます。
その意味では、社会党には、もともと、このストに「否定的」であったということでできると思います。
結局のところ、このストが上手くいかなかった原因は、こういうところにあったということが出来ると思います。
「内部の抗争」です。労働側で、「指導権争い」があったのではないでしょうか。
今日の民主党も、そうです。
共産党に「母屋を取られてしまう」という「恐怖感」が、岡田代表の頭を支配しているのではないでしょうか。
それは、結局のところ、民主党の、岡田代表の「自信のなさ」の表れでしかないと思うのですが、--それを誤魔化してーー共産党に責任をなすりつけようとしているように見えます。
これでは、自民党を、安倍首相を喜ばせるだけのことでしょう。
※ 次回は、ゼネスト中止の影響を観ていきます。次回で、2・1ゼネストは、おわり、「三鷹事件」など、戦後疑獄事件に行く予定です。
(2015年11月7日)
0 件のコメント:
コメントを投稿