<戦後史 (43)>
今日から、「朝鮮戦争」を読んでいきます。同胞がおたがいに「血で血を洗う」戦いを繰り広げました。また、この朝鮮戦争は、世界大戦と比肩しうる大戦争でもありました。
まずは、休戦の時の状況を先に読みます。
明日からは、順次、米軍の参加、中国軍の参加など、具体的な戦争場面を見ていきます。
★ 世界大戦と比肩しうる大戦争
≪朝鮮戦争は第二次大戦後最初の大戦争であった。戦闘は局地的だが性格は国際的であり、兵員、兵器、弾薬の量や犠牲の大きさは世界大戦と比肩しうるものであった。
・休戦時の国連軍側地上兵はアメリカ軍30万、韓国軍59万、その他国連軍4万、合計93万、空軍と非戦闘員などを加えた動員総数は117万と発表されている。
・米軍の戦死者は3万3629人、負傷者10万3284人、捕虜または行方不明者5178人(第二次大戦中のアメリカ軍の戦死者は26万人、そのうち太平洋地域の対日戦の犠牲者は9万人とされている)。
韓国軍の戦死者41・5万人、負傷よび行方不明者42・9万人と発表されている。米韓以外の国連軍の死傷者は1・7万人、うち英連邦諸国が7000人であった。
北側は「戦果」だけを挙げ、自分の側の損害を公表していない。米軍側の発表では中国軍の殺傷約90万、北朝鮮軍のそれは約52万、合計142万とされている。米軍は太平洋戦争を上回る弾薬を投入した。
飛行機の喪失は国連軍全体で1986機(うち事故によるもの945機)、撃墜した北側の飛行機は9765機とされている。朝鮮半島全土が戦場になり民間人多数が犠牲になった。
その数は正確にはわからないが、韓国側の犠牲は死者・行方委不明者合計76万人、負傷者23万人、あわせて99万人、北朝鮮の民間人の喪失は、南への難民68万人、死者傷者200万人という。
・北側の政策決定過程を知ることは出来ないが、侵攻の動機はある程度推理できる。
・第一に、共産主義者たちは朝鮮民族の統一を最終的には実力で達成するという戦略を持っていた。この戦略によれば戦争は侵略ではなく革命であり、内戦である。
第二に、アメリカは干渉しないという情勢の読みである。1949年から1950年にかけて、マッカーサーやマーシャル国務長官は、「アメリカの太平洋における防衛線」について発言したさい、アラスカ、アリューシャン、日本、沖縄、フィリピンなどを列挙しながら、韓国や台湾には言及しなかった。
蔣介石の敗北によりアメリカは極東戦略の再編成に迫られ、アジア内陸部への介入を避け、日本を前線とする新しい防衛線を考え始めていた。
韓国は戦略的重要性が低く負担が大きいと考えられていた。そうした状況が米側の責任者の一連の発言に反映されていた。それはソ連や北朝鮮がアメリカは朝鮮に干渉しないという判断になったと思われる。
もうひとつは、共産主義者たちが南の政治情勢は彼らに有利だと考えたことである。彼らは南へ進行すれば韓国軍は一挙に崩壊し、民衆の多数が両手を挙げて歓迎すると判断した。
侵攻の直前、1950年5月30日に実施された韓国の二度目の総選挙では李承晩大統領派の得票と議席が激減していた。しかし、南の民衆が共産主義を全面的に歓迎する状況にあったわけではないし、韓国軍も霧散霧消はしなかった。≫
(youtube「戦友」より)
★ 人類史上稀にみる、「内戦」
ページを飛ばして、先に、休戦時の状況から、読んできました。
まずは、いかなる戦争であったのを「大ざっぱ」に把握して頂けたことと思います。
実際の戦闘場面がいかなるものであったのかは、韓国が、「映画化」していますから、ご覧になった読者もおられると思います。
以前に、「youtube」にアップされていたのですが、削除されていて、全体を満つことは出来ません。
もちろん、韓国側から見た「朝鮮戦争」ですから、どこまで、「史実にちゅじつにえが来ているのかという点は、「差し引いて」おかなければなりません。
それにしても、あれほどの規模での「内戦」を経験したというのは、歴史上においても、人類は経験したことがないのではないでしょうか。
また、この戦争は、知面では、米ソの代理戦争的なところがあるのは、否定できないことでしょう。
そのことが、この戦争をより、「悲惨なもの」にしたという気がします。
(2015年11月13日)
今日から、「朝鮮戦争」を読んでいきます。同胞がおたがいに「血で血を洗う」戦いを繰り広げました。また、この朝鮮戦争は、世界大戦と比肩しうる大戦争でもありました。
まずは、休戦の時の状況を先に読みます。
明日からは、順次、米軍の参加、中国軍の参加など、具体的な戦争場面を見ていきます。
★ 世界大戦と比肩しうる大戦争
≪朝鮮戦争は第二次大戦後最初の大戦争であった。戦闘は局地的だが性格は国際的であり、兵員、兵器、弾薬の量や犠牲の大きさは世界大戦と比肩しうるものであった。
・休戦時の国連軍側地上兵はアメリカ軍30万、韓国軍59万、その他国連軍4万、合計93万、空軍と非戦闘員などを加えた動員総数は117万と発表されている。
・米軍の戦死者は3万3629人、負傷者10万3284人、捕虜または行方不明者5178人(第二次大戦中のアメリカ軍の戦死者は26万人、そのうち太平洋地域の対日戦の犠牲者は9万人とされている)。
韓国軍の戦死者41・5万人、負傷よび行方不明者42・9万人と発表されている。米韓以外の国連軍の死傷者は1・7万人、うち英連邦諸国が7000人であった。
北側は「戦果」だけを挙げ、自分の側の損害を公表していない。米軍側の発表では中国軍の殺傷約90万、北朝鮮軍のそれは約52万、合計142万とされている。米軍は太平洋戦争を上回る弾薬を投入した。
飛行機の喪失は国連軍全体で1986機(うち事故によるもの945機)、撃墜した北側の飛行機は9765機とされている。朝鮮半島全土が戦場になり民間人多数が犠牲になった。
その数は正確にはわからないが、韓国側の犠牲は死者・行方委不明者合計76万人、負傷者23万人、あわせて99万人、北朝鮮の民間人の喪失は、南への難民68万人、死者傷者200万人という。
・北側の政策決定過程を知ることは出来ないが、侵攻の動機はある程度推理できる。
・第一に、共産主義者たちは朝鮮民族の統一を最終的には実力で達成するという戦略を持っていた。この戦略によれば戦争は侵略ではなく革命であり、内戦である。
第二に、アメリカは干渉しないという情勢の読みである。1949年から1950年にかけて、マッカーサーやマーシャル国務長官は、「アメリカの太平洋における防衛線」について発言したさい、アラスカ、アリューシャン、日本、沖縄、フィリピンなどを列挙しながら、韓国や台湾には言及しなかった。
蔣介石の敗北によりアメリカは極東戦略の再編成に迫られ、アジア内陸部への介入を避け、日本を前線とする新しい防衛線を考え始めていた。
韓国は戦略的重要性が低く負担が大きいと考えられていた。そうした状況が米側の責任者の一連の発言に反映されていた。それはソ連や北朝鮮がアメリカは朝鮮に干渉しないという判断になったと思われる。
もうひとつは、共産主義者たちが南の政治情勢は彼らに有利だと考えたことである。彼らは南へ進行すれば韓国軍は一挙に崩壊し、民衆の多数が両手を挙げて歓迎すると判断した。
侵攻の直前、1950年5月30日に実施された韓国の二度目の総選挙では李承晩大統領派の得票と議席が激減していた。しかし、南の民衆が共産主義を全面的に歓迎する状況にあったわけではないし、韓国軍も霧散霧消はしなかった。≫
(youtube「戦友」より)
★ 人類史上稀にみる、「内戦」
ページを飛ばして、先に、休戦時の状況から、読んできました。
まずは、いかなる戦争であったのを「大ざっぱ」に把握して頂けたことと思います。
実際の戦闘場面がいかなるものであったのかは、韓国が、「映画化」していますから、ご覧になった読者もおられると思います。
以前に、「youtube」にアップされていたのですが、削除されていて、全体を満つことは出来ません。
もちろん、韓国側から見た「朝鮮戦争」ですから、どこまで、「史実にちゅじつにえが来ているのかという点は、「差し引いて」おかなければなりません。
それにしても、あれほどの規模での「内戦」を経験したというのは、歴史上においても、人類は経験したことがないのではないでしょうか。
また、この戦争は、知面では、米ソの代理戦争的なところがあるのは、否定できないことでしょう。
そのことが、この戦争をより、「悲惨なもの」にしたという気がします。
(2015年11月13日)
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