2015年10月6日火曜日

安保法制は、「ポツダム宣言」の精神に背くもの

<web上「読書会」 正村【5】を、投稿します。
今日は、ポツダム宣言について、みていきます。

宣言の内容と、その矛盾点、原爆の使用など、戦後の日本の起点ともいうべき文書についてです。

この文書は、安倍首相が「詳らかには読んではいない」と述べ、日本国民を驚かせることになった、文書でもあります。


◆ ここからは、抜書き

ポツダム宣言は、連合国側の対日戦遂行の決意と意図および戦後の対日政策の原則を示して日本政府の降伏への決断を促したものである。13か条から成っているが、第5条以下に述べられている戦後の対日政策の内容は以下のように要約できる。

(1) 日本における軍国主義の一掃、完全な武装解除と平和的生産的生活への復帰、戦争犯罪人の処罰。
(2) 民主主義の復活強化と自由および基本的人権の確立。
(3) 「本州・北海道・九州・四国および連合諸国の決定する諸小島」への主権の制限。
(4) 「その経済を支持し、また公正なる実物賠償の取り立てを可能ならしめるような産業」と、そのための原料入手、将来における「世界貿易関係への参加」は許される。ただし、戦争のための再軍備を可能ならしめるような産業は許されない。原料の「入手」は、その「支配」とは区別される。
(5) 新秩序建設までの連合軍による日本占領。

ポツダム宣言は1943年11月27日のカイロ宣言(ローズベルトとチャーチルと蒋介石の共同宣言、同年12月1日発表)の条項は履行されると述べ、日本が過去に武力で奪った土地の返還を求める以外は連合国に領土拡大の意図のないことを強調するとともに、日本人を民族として奴隷化したり滅亡させたりする意図もないと付言していた。

・・・・中略・・・・

領土問題に関する条項を別とすれば、ポツダム宣言は、日本の非軍事化、非軍国主義化、民主化、自由化、非帝国主義化、平和経済化といった目的を示している。これらの目的が達成され、さらに「日本国民の自由に表明した意思に従って、平和的傾向を有し、また責任ある政府が樹立されれば、占領軍は撤退する」とポツダム宣言は述べている。

この表現は一つの矛盾を含んでいる。「日本国民の自由に表明した意思」によって樹立された政府が連合国側によって「平和的傾向を有する」とみなされる政府に必ずなるという保証があるわけではない。

もし国民が自由な意思によって再び軍事強国を志向したとすれば、占領軍は、日本国民の自由な意思を否定して平和的政府を強制するか、それともに日本における平和的政府の成立をあきらめるかのいずれかを選択しなければならない。これは連合国の日本占領当初から伏在した問題である。

ポツダム宣言は、「我々の条件は以下の通りである」とか「我々はこの条件から離脱することはないだろう」とかいった表現が含まれているが、それは日本政府の決意をうながすために連合国の意図を明示したものであった。

日本政府が連合国との交渉によってこれらの条件を変更させる可能性はほとんどなかった。ポツダム宣言は日本政府が「全日本国軍隊の無条件降伏」の措置を講ずるよう要求した。

アメリカはこのときすでに原子爆弾を保有していた。戦争中の極秘裏の開発の結果、7月16日のニューメキシコ州の砂漠での最初の爆発実験は予想以上の成功を収めていた。トルーマンはポツダムでスターリンに原爆の保有を知らせた(チャーチルはアメリカの開発過程で情報を与えられていた)。

ポツダム宣言には「我々の軍事力の最高度の使用は、日本国軍の不可避かつ完全な壊滅を意味するだろうし、また同様に、必然的に日本国の完全なる破壊を意味するだろう」という文章が見られる。この文章は原爆による破壊の大きさを念頭に置いて日本政府に警告を発するために書かれた。

元駐日大使で1944年12月に国務次官に就任したグルーは、原爆の存在およびその使用の意思を具体的に日本に通告することによって終戦を早めるべきだと主張したが、採用されなかった。日本政府は右の文章を一般的な警告としてのみ理解した。≫


◆ 安保法制は「ポツダム宣言」の精神に背くもの

私は、ポツダム宣言が「原爆による破壊の大きさを念頭に置いて日本政府に警告を発するために書かれた」文書である、という見解を明らかにした「本」を初めて読みました。

日本も、原爆の開発を行っていた訳ですから、原爆の知識がなかったということは考えられないのですが、そこまでは思い致す余裕がなかったのでしょうか。

また、「日本国民の自由に表明した意思に従って、平和的傾向を有し、また責任ある政府が樹立されれば、占領軍は撤退する」という約束は、今日でも問題にされることですが、米国や日本の政府は、この条項に関しては、「すっぽり」と頭の中から抜け落ちているようです。

(旧)日米安保条約は、日本が米国に要請するという形になっていましたが、あの時点で日本が断れる状況にはなかった、と思います。

安保法制は日本を米軍の「下請け」にする法律である、と私は思いますが、このことは「ポツダム宣言」の趣旨に背くものである、と考えます。

(2015年10月6日)

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