2015年10月2日金曜日

”大東亜戦争”の犠牲者「300万人もの兵士と民間人が死傷」 

<web上「読書会」 正村公宏著『戦後史』【1】>の投稿です。
”大東亜戦争”の犠牲者は、300万人もの兵士と民間人の死傷がでました。
 
今回から、正村公宏(まさむらきみひろ)著『戦後史』からの「抜書き」を、お届けします。この本は上下の二冊に分けて、出版されました。
二巻で、1000ページに及ぶ大作です。

著者の正村公宏氏は、経済学者です。この本は、経済学者による戦後史の通史なのです。それだけに、いわゆる歴史の通史と呼ばれる一般書とは多少趣が異なります。

もともとが、この本は、著者が戦後の日本の経済を研究する過程において、対象を総合的に捉える必要がある、という結論を得た。その結果として、産まれて来たものである。

こう、はしがきで述べておられます。


◆ 以下は、抜書き

≪第二次大戦は人類史上未曾有の惨害をもたらした。死亡者、行方不明者、傷病者の数は想像を絶する大きさになった。兵器が発達し、戦場が極めて広範囲に及び、また戦線のはるか後方の都市がって低的に破壊されたため、非戦闘員の犠牲も大きくなった。

ナチスは一貫した民族差別と系統的な人種抹殺の政策をとり、特にユダヤ人を組織的に殺害した(その犠牲者は約600万人といわれる)。ドイツも日本も占領地で数多くの残虐な行為を行い、住民を戦火の巻き添えにし、食糧の挑発などによって多数の人々を餓死に追いやった。

犠牲者・被害者の数は正確なところはわからない。死者・行方委不明者だけでも全世界でおよそ4000万人に達するという推定がある。

日本は、満州事変以来15年にわたって戦争を拡大し、アジア・太平洋地域の諸民族を犠牲にした。その数も不明だが、死者・行方委不明者の合計は一千数百万人という規模といわれる。中国、フィリピンなどをはじめ、占領地の民衆に対しる日本軍の虐殺・暴行も数多く残されている。

日本の軍隊そのものが兵卒に対する非人間的な扱いを正当化する思想と規律をもっていた。人間性尊重の観念や人権重視の思想は日本の軍隊ではとくの欠如していた。そのうえ他のアジア諸民族を蔑視する風潮が強く、戦争の中の狂気や恐怖、ゲリラに対する敵意と警戒感が、蛮行を拡大した。

日本は、植民地の朝鮮、台湾や占領地の中国などから住民を大量に強制連行し、日本本土や満州その他において過酷な条件で労働させ、あるいは軍隊に参加させ、無数の死者を出した。日本本土に連行され、強制労働に従事させられ、死亡させられた中国人や朝鮮人だけでも数万の規模に達している。

これらの行為のため、戦後の日本人は長いあいだアジア・太平洋地域の諸民族から憎悪の目で見られるようになり、また、日本人じしんがこの地域に対して「負い目」を感じつづけるようになった。

日本人自身もこの戦争によって多数の死者・行方不明者、傷病者を出した。


  ・・・・・ 略 ・・・・


厚生省援護局(復員・引揚問題の処理を担当した官庁)が、国会の要請にもとづいて1964年3月1日にまとめた資料によると、1937年7月7日(二中戦争開始)から1945年8月15日(敗戦)までのあいだの陸海軍人・軍属の死者は194万人、軍人・軍属であって終戦後に復員が完了するするまでのあいだに死亡した者の総数は18万人(うち旧満州および中国本土が7万人、シベリアが5万人)とされている(これらの数字は、軍に動員された朝鮮人、台湾人などの犠牲者を含んでいる。)以上を合計すれば、日中戦争以後の軍人、軍属の死者だけでも212万人に達する。

他方、民間人の死者については、句集による犠牲者が東京だけで12万人、広島・長崎の原爆の死者は合計20万人前後(その後の後遺症による死者を除く)、沖縄戦による民間の死者は15万人、サイパン島の「玉砕」いよる民間人の死者は1万人、さらに満州の日本人で終戦後の秩序の崩壊によって犠牲になった死者と行方委不明者は16万人といった統計がある。

軍人・軍属と民間人を合わせておよそ、300万人に近い日本人が15年戦争の直接の犠牲として生命を失ったものと推定される。≫


◆ 著者の関心は、どこにあるか

著者の関心は、どこにあるか。それは、まえがきを観ると、よく解ります。
正村氏は、まえがきのおいて、次のように述べています。
「戦後」と呼ばれるべき時期をどのように区分するにせよ、「戦後」の歴史が、これからの日本人の政治的、経済的、社会的選択にとって引きつづき大きな意味を持ち続けることは疑いがない。
何よりも、今日の日本人の社会生活の大きな枠組みとなっている制度体系や国連関係は、第二次大戦後の変革の結果として生み出されたものであり、また、その後の歴史過程を通じて修正を受け、調整され、また拡充されたものである。
さらに、今日までの経済発展の成功を支えた諸要素も、実は、激動に満ちた戦後史の過程で形成されたものである。
その過程で、多くの主体的の深刻な錯誤の繰り返しが見られ、また、多くの深刻な犠牲が生みだされたことも否定できない。我々は、たとえいまとなっては「後時恵」としか呼べないものであるにせよ、やはり、それらの錯誤を直視し、今の時点でのいちおうの評価を試みておかなければならない。これからの選択における誤りを多少とも減らすために、不可欠であろう。(本書の「帯=まえがきの転載」より。)
著者の関心は、以上のことにあるのですが、私の関心は、次のことにあります。それが、この本の抜書きを思い立った理由です。

つもりそれは、こうです。

先日9月20日の未明に安保法案が、強行採決により「可決成立」された。その際において、安倍首相をはじめ、与党の幹部や与党の国会議員らは、この法案の必要性について、アジア・太平洋地域などの「状況の変化」ということを強調した。

今日のアジア情勢がいかなる変化を遂げてきているのか。それとも、その変化は、その本質においてそれほど変化してきていない、のか。このことを知るためには、それまでの歴史の流れを知る必要がある。

このことについては、多少の知識がないわけではないが、ここで改めて、学び直しておきたい。こういう結論に至った。

第一回は、〈300万人もの日本人が「大東亜戦争」の犠牲に〉を投稿します。


★ この本の「抜書き」を、どのような方針で、実行していくかということについては、まだ、明確な方針を持てていません。ですが、その方針が立つまで待つ、という訳にもいきません。

試行錯誤を繰り返しながら、前に進める以外に、取るべき道がない。そう考えています。

(2015年10月2日)

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