2015年10月2日金曜日

マスコミに、「不偏不党」な報道を望むことは、不可能

会場になった金沢を、今、「ゲリラ豪雨」が直撃している。
マスコミ倫理懇談会全国協議会の、第59回全国大会の現場をである。
これは、まさに「天の怒り」の声か。

その金沢市では、安全保障関連法の報道について議論されたようだ。

普通、マスコミに、「不偏不党」な報道を望むことは、当然のこととされる。だが、それは「誤り」である。そもそも、「不偏不党」な立場に立つこと自体、不可能なことであるからだ。


◆ マスコミ倫理懇談会、全国協議会の第59回全国大会を開催

新聞社や放送局などでつくるマスコミ倫理懇談会全国協議会の第59回全国大会は1日午後、金沢市で分科会が開かれた。(「北海道新聞」)

≪9月に成立した安全保障関連法の報道について、参加者から「賛成、反対の二元論に陥ってしまった」と反省する声が出た。
安保法制をテーマにした分科会は、軍事アナリストの小川和久氏らの講演を受け、参加者が発言。全国紙の担当者は「賛成派は(東アジアの)緊張の高まりを、反対派は『戦争反対』を訴えるという二元論になり、報道の仕方もそこから抜け出せなかった」と話した。≫
軍事アナリストの小川和久氏を呼んだ時点で、すでに「偏向」している。小川和久氏は、1990年から、ずっと、外交・安全保障関係の自由民主党総合政策研究所委員である。


◆ 「左右の偏向を排して公正の立場をとる」ことなど出来はしない

マスコミ倫理懇談会とは、「メディアの自律・倫理の向上を目指すとともに、言論・表現の自由に対する外部からの不当な介入を排除すること」に努めている団体である。

ところで、メディアの倫理とは、何であろうか。会のホームページには、そのことについては、詳しい記述はない。

だが、メディアのあるべき姿ということについては、「不偏不党であるべき」ということが、社会からも、法律からも、要求されている。

ところが、現実は、そう簡単ではない。

政治学の泰斗といわれた丸山真男は、その著書『増補版 現代政治の思想と行動』において、その事の触れ、こう述べている。
≪私たちは行動関連の網に中にいるわけですから、私たちは対象を高空からいわば地図のように見ているのではなくて、あるいは観客席から舞台を見ているのではなくて、舞台で演技しながら、自分の立っている場所から遠近法的に観ている。・・・
そういうところから私たちの認識は常に一定の偏向を伴った認識です。むしろ偏向を通じないでは一切の社会現象を認識できない。
そのうえで、「『左右の偏向を排して公正の立場をとる』といった考え方が現実にはしばしばかえって自分の偏向を隠蔽し、あるいは社会席責任を回避する口実」(に利用されること)に注意を払わなければならない、と警告している。

この指摘は、重要だ。


◆ 「放送による表現の自由を確保する」こそ、最重要課題

確かに、「放送法」は、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障すること」を予定している。だが、それは、あくまでも、そのことで「放送による表現の自由を確保する」ことが、目的なのである。

したがって、マスコミの倫理とは、「放送による表現の自由を確保する」こと、この一点にかかっている。

分科会においては、「賛成派は(東アジアの)緊張の高まりを、反対派は『戦争反対』を訴えるという二元論になり、報道の仕方もそこから抜け出せなかった」
という、反省の声があったという。

だが、報道の仕方の評価は、あくまでも「放送による表現の自由を確保する」ことが、十分にできたのかどうか、という観点からなされるべきである、と考える。

特に、この法案に反対する「デモ」については、そのことを強調しておきたい。私の感覚では、マスコミのこの「デモ」についての報道姿勢は、決して、「放送による表現の自由を確保する」ものになっていたとは、思えない。

マスコミは、このデモをほとんど、報じなかった。特に、国会前のデモについては、国会の審議がほとんど終わりに近づいた頃になって、ようやく報道を始めた。

しかも、その際、デモ参加者の「行きすぎた行動」を「非難」することはしても、安倍政権のおこなった「異常なほどの過剰警備」を、非難し、安倍政権の姿勢を批判することをしなかった。

いかに報道するかということも重要ではあるが、何を報道するか(あるいは報道しないか)ということも、「表現の自由を確保」という点において、大切なことである。

その意味では、「二元論」というような視点から観るのではなく、あくまでも、主権者である国民に、安保法案にたいする「有用な情報」を提供することが出来たのかどうか。

この視点から、評価することこそ、重要であると、私は考える。


 ここでの記事は、その対象を社会現象に関することに限っています。自然現象に関することにつては、また違う点からの考察が必要である、と思っています。

(2015年10月2日)